京阪電気鉄道の歴史と京阪本線沿線の風景

1.京阪電気鉄道のはじまり Θ淀城跡Θ Θ関目駅Θ Θ清水五条駅Θ 2.路線の拡大と京阪電気鉄道の歴史 Θ三条駅Θ Θ滝井駅と土居駅Θ 3.京阪特急の歴史 4.京阪本線と鴨東線 Θ神宮丸太町駅Θ 5.萱島駅と大クスノキ 6.香里園駅 7.枚方市駅と樟葉駅 8.東福寺駅 9.祇園四条駅

 

中書島駅に入る宇治線の列車(2017年12月)


京阪電気鉄道のはじまり

戦国時代、豊臣秀吉は大坂城淀城伏見城を築城しました。豊臣秀吉は隠居後、隠居先の伏見城から淀城を経由して大坂城への往来のために軍用道路を確保し、さらに淀川の治水対策とするため、毛利氏に命じて淀川左岸の堤防を修築したといいます。

 

淀城跡

淀駅の歴史は古く、京阪本線の開通と同時の1910年(明治43年)に開業しています。

 

淀駅駅名標(2018年2月)

 

1925年(大正14年)には隣接する京都競馬場が営業を開始しました。

 

高架ホームからみる京都競馬場(2018年2月)

 

1943年(昭和18年)に会社合併により京阪神急行電鉄の駅となりますが、1949年(昭和24年)には再び京阪電気鉄道の駅となっています。

 

高架ホームからみる京都競馬場(2018年2月)

 

淀駅は古くから何度も水害を受けてきましたが、1999年(平成11年)より駅の高架化工事に着手し、2009年(平成21年)には下りホームの高架化が完了しました。

 

京都方面行きホーム(2018年2月)

 

2011年(平成23年)になると上りホームの高架化も完了し、水害を受けにくい新しい高架駅として生まれ変わりました。

 

淀駅を通過する特急(2018年2月)

 

新しい駅が完成する前の地上駅は淀城趾の本丸南東部にありましたが、京都市は淀城跡公園の再整備を計画しています。

 

淀駅の行先標(2018年2月)

 

淀駅から徒歩5分ほどで淀城跡に到着します。淀城は現存しませんが、その本丸の石垣と堀の一部のみ残っています。

 

このときにできた堤防上の道は、京橋を起点として片町、東野田、内代(うちんだい)を通り淀川左岸沿いに進み、淀を経由してへと至ります。この道が京街道であり、おおよそ現在の京阪本線沿いとなります。

 

整備される「京街道」石碑(2016年11月)
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今では、その周辺の姿は大きく変わりましたが、大阪の交通の要衝として大いに栄えています。関目駅の近くには「関目七曲り」とよばれるジグザグの道が今でも残されています。

 

関目駅

関目駅は1931年(昭和6年)、京阪本線の蒲生(現在の京橋)~守口(現在の守口市)間が専用軌道化される際に開業しています。

 

関目駅東口(2019年2月)

 

1943年(昭和18年)に会社合併により京阪神急行電鉄の駅となり、1949年(昭和24年)に会社分離により京阪電気鉄道の駅となっています。

 

関目駅東口(2019年2月)

 

その後、2006年(平成18年)に地下鉄今里筋線が開通したことにより関目成育駅が開業し、関目駅関目成育駅との乗換駅となりました。

 

関目成育駅との乗換口となる関目駅西口(2016年11月)

 

 

渋沢栄一らが、高麗橋~五条間を結ぶ旧京街道沿いに走る鉄道を敷設することを目的として、1903年(明治36年)に畿内電気鉄道を設立しました。その後、1906年(明治39年)に畿内電気鉄道京阪電気鉄道へと社名を変更して、京阪電気鉄道の歴史がはじまります。しかしながら、開業を直前に控えて変電所火災や試運転列車による事故災害に見舞われ、その予定が延期されたものの、1910年(明治43年)には、当時の電気鉄道としては日本国内最長路線となる天満橋~五条(現在の清水五条)間46.7キロを開業しました。

 

清水五条駅

清水五条駅は1910年(明治43年)、当時の終着駅「五條駅」として開業しました。1963年(昭和38年)に「五条」と表記を変更し、2008年(平成20年)に清水寺の最寄り駅ということから「清水五条駅」と改称しています。

 


路線の拡大と京阪電気鉄道の歴史

1913年(大正2年)に中書島宇治間7.8キロを開通した後、1915年(大正4年)には五条(現在の清水五条)~三条間1.5キロを延伸開業しています。

 

三条駅

三条駅は1915年(大正4年)、現在の京阪本線が三条まで延伸される際に開業しました。

 

三条駅駅名標(2017年9月)

 

当初は旧字体の「三條」と表記していましたが、1963年(昭和38年)に「三条」と表記を改めました。

 

三条駅に入る準急「出町柳行き」(2017年9月)

 

1922年(大正11年)になると和歌山水力電気を合併し、和歌山水力電気が当時運営していた13.5キロにわたる軌道線を得て、京阪電気鉄道の和歌山支店にこれらの軌道線の運営にあたらせました。また同年、淀川右岸の新線敷設を目的として新京阪鉄道を設立しました。さらに、その前年に十三~千里山間を開業していた北大阪電気鉄道をその傘下に収めて、同社が保有する淡路~天神橋(現在の天神橋筋六丁目)間の免許を得ることに成功しました。

 

八幡市駅を通過する特急「出町柳行き」(2017年11月)

 

1925年(大正14年)には、三条大橋~札ノ辻(ふだのつじ)間10.9キロを運行していた京津電気軌道を合併した後、札ノ辻~浜大津(現在のびわ湖浜大津駅)間0.4キロを延伸開業しています。さらに、1928年(昭和3年)には新京阪鉄道が天神橋(現在の天神橋筋六丁目)~西院間、桂~嵐山間を開業したため、京阪電気鉄道は現在における阪急京都線嵐山線および千里線の路線網をほぼ完成させたといえます。1929年(昭和4年)になると、現在の石山坂本線を運行していた大津電車軌道を合併して螢谷(後に石山駅に統合)~坂本間14.1キロをその路線網に加えます。1930年(昭和5年)には京阪電気鉄道新京阪鉄道を合併する一方で、この新京阪鉄道の合併費用捻出と和歌山支店の業績不振などをその理由として和歌山支店の運営する軌道線を合同電気(後の東邦電力)へと譲渡しました。

 

空に小さな月が見える夕暮れの枚方市駅(2017年3月)

 

その後、戦時中の1943年(昭和18年)、京阪電気鉄道は阪神急行電鉄(略称「阪急」)との合併を余儀なくされ、合併後には京阪神急行電鉄(略称「京阪神」)の一部となっています。その後、京阪神急行電鉄より分離独立し、1949年(昭和24年)に「新しい京阪電気鉄道」として再出発しています。このとき、現在の京阪本線交野線宇治線京津線石山坂本線が京阪電気鉄道(新)の所属となりましたが、新京阪鉄道が保有していた新京阪線(現在の阪急京都本線千里線)は現在の阪急電鉄の所属となってしまいました。

 

滝井駅から見える土居駅(2017年12月)

 

滝井駅と土居駅

滝井駅は1931年(昭和6年)に開業しました。滝井駅と隣りの土居駅までの距離は極めて短く、滝井駅から京都方面の線路の先へ視線を移すと、隣の土居駅がよく見えます。2駅の中心地点間の距離は約400メートル、ホームの端と端との距離はたった159メートルしかありません。

 

滝井駅から見える土居駅(2017年12月)

 

1949年(昭和24年)に「新しい京阪電気鉄道」となった後、1955年(昭和30年)には男山鉄道鋼索線(現在の石清水八幡宮参道ケーブル)を直営により営業を再開、1963年(昭和38年)には天満橋~淀屋橋間の地下延長線を開業しました。また、1989年(平成元年)には鴨東線(三条~出町柳間)を開業しています。さらに、1997年(平成9年)には京津三条~御陵(みささぎ)間を廃止して地下鉄東西線(御陵~京都市役所前間)への乗り入れを開始しています。2008年(平成20年)になると中之島線天満橋~中之島間)を開業しています。


京阪特急の歴史

京阪電気鉄道は1914年(大正3年)、わが国の大手私鉄の中で初めて料金不要の速達電車である急行の運転を開始しています。天満橋~京都五条(現在の清水五条)間を1時間20分で結んだといいます。これが京阪特急のはじまりとなります。

 

八幡市駅を通過する特急「淀屋橋行き」(2017年11月)

 

その後、この急行は最急行と改称されたり廃止となったりしますが、1950年(昭和25年)に初の特急が設定され、京橋~七条間のノンストップ運転がはじまります。

 

中書島駅に停車する特急「出町柳行き」(2017年11月)

 

1954年(昭和29年)には、特急車両にテレビを設置した「テレビカー」を登場させるなど大きな話題となりました。昭和30年代の前半にはすべての特急に「テレビカー」を連結しています。1993年(平成5年)になると、ノンストップ運転を貫いてきた特急において、一部の列車を中書島駅に停車させることとし、戦略の転換を図るようになります。2000年(平成12年)には中書島、丹波橋が終日特急停車駅に設定されることとなりました。

 

中書島駅における京阪本線と宇治線の分岐(2017年12月)

 

2017年(平成29年)、京阪電気鉄道特急車両8000系に連結する「プレミアムカー(PREMIUM CAR)」を投入しました。特急列車の6号車となるプレミアムカーの乗車の際には、乗車券に加えて「プレミアムカー券」が必要となります。

 

プレミアムカー券(2017年11月)

 

「プレミアムカー券」は買い物をしたときのレシートのようであり、自分が考えていたよりも薄い紙でした。

 

プレミアムカー座席シート(2017年11月)

 

その一方で、車内の座席は快適であり、他の車両が混んでいる中、座席が指定できるのには大きなメリットがあります。

 

樟葉駅ホームのライナー足元表示(2019年8月)


京阪本線と鴨東線

京阪本線は淀屋橋~三条間を結ぶ京阪電気鉄道の路線です。運行系統上は、多くの列車が三条から出町柳まで続く鴨東線(おうとうせん)を経由して出町柳駅まで直通運転されます。鴨東線は1989年(平成元年)に開業しています。三条を起点として、鴨川沿いを三条、神宮丸太町、出町柳と走ります。

 

神宮丸太町駅

神宮丸太町駅は1989年(平成元年)に鴨東線の丸太町駅として開業し、2008年(平成20年)に「神宮丸太町駅」と改称しています。

 

神宮丸太町駅の鴨川沿いの出口(2016年12月)

 

運行系統上は京阪本線から列車が乗り入れ、出町柳を終点としています。この鴨東線の開業にあたっては、鴨川電気鉄道を設立の上で実施され、後にこれを吸収する形で京阪鴨東線としています。

 

一級河川鴨川(2016年12月)


萱島駅と大クスノキ

クスノキは常緑高木であり、その木の幹が10メートル以上になることも珍しくありません。世界的にみると、台湾、中国、ベトナムなどといった暖かい場所に見られ、わが国においては本州西部の太平洋側、四国、九州などに見られます。また、森林などでは見かけることが少なく、人里近くに多く見られます。神社などでは、クスノキの大木を見かけることがしばしばあり、御神木として信仰の対象とされる場合も多くあります。

 

萱島駅の大クスノキ(2017年3月)

 

萱島(かやしま)駅ホームには有名な大クスノキがあります。

 

萱島駅の大クスノキ(2017年3月)

 

その大クスノキは淀屋橋・中之島方面行きホームのまさにど真ん中にあり、ホームの屋根を突き破るかのようにそびえ立ちます。

 

萱島駅の大クスノキ(2017年3月)

 

この大きなクスノキは、高さ約20メートル、幹回りは約7メートルもあります。樹齢700年ともいわれ、昔から萱島の大クスノキとして地元のみなさんに親しまれてきました。

 

駅のホームにある「萱島の大クスノキ」説明文(2017年3月)

 

昭和47年11月、輸送力増強のため着工した土居~寝屋川信号所間高架複々線の建設の際、地元のみなさんのクスノキに寄せる尊崇の念にお応えし、新しい萱島駅と共にこのクスノキを後世に残すことにしました。特有の芳香を放ち豊かな緑を繁らせて人々にやすらぎを与えてきたクスノキをいついつまでも大切に育てていくため、ご覧の通り樹木がホームと屋根とを突き抜けるという、全国に例のみない姿となりました。

 

萱島駅の大クスノキと京阪電車の車両(2017年3月)

 

駅を出てすぐクスノキの根元には、昭和55年夏に再興された萱島神社があり、ご神木のクスノキと共に地元のみなさんに親しまれています。

 

大クスノキの根元(2017年3月)

 

萱島駅は1910年(明治43年)、京阪本線が開業したと同時に設置されています。

 

萱島駅の大クスノキと京阪電車の車両(2017年3月)

 

その後、高度経済成長時代の1972年(昭和47年)、大阪郊外の人口増加に対応するため土居駅~寝屋川信号所(萱島駅~寝屋川市駅間)までの高架複々線工事に着手します。

 

土居~寝屋川信号所間複々線開通記念切符

 

複々線化工事は1980年(昭和55年)に完了し、複々線区間は天満橋駅~寝屋川信号所となります。しかし、その工事にともない、萱島駅を少し南側へと移設しなければならなくなりました。京阪電気鉄道はその用地として萱島神社の境内とその隣接地を買収しますが、その境内にあるクスノキの保存運動が起こったといいます。そうした中から、駅の屋根を突き破るような大クスノキが残りました。

 

萱島駅駅名標(2017年3月)


香里園駅

香里園駅は1910年(明治43年)、「香里駅」として開業しました。この駅が開業した際に駅の近くに香里遊園地も開園しています。駅の周辺における当時の大字は「郡(こおり)」でしたが、その頃に人気を博していた阪神電気鉄道が運営する香櫨園遊園地にちなんで「香里遊園地」と名付けました。香里遊園地は当時、菊人形展を開催して多くの来園者が訪れたといいます。その後、香里遊園地は1912年(大正2年)に当時の枚方駅(現在の枚方公園駅)付近に移転し後のひらかたパークの起源となっています。香里駅は1938年(昭和13年)に「香里園駅」と改称しています。


枚方市駅と樟葉駅

特急が停車する枚方市駅は1910年(明治43年)、京阪本線の開通と同時に枚方東口駅として開業しました。

 

枚方市駅(2019年2月)

 

その後、1949年(昭和24年)に枚方市駅と改称され、1993年(平成5年)に高架工事が完成しています。

 

蔦屋書店の店内にある美しい本棚(2019年2月)

 

また、枚方市駅は2018年(平成30年)に駅構内のリニューアル工事が完成しています。全国で初めて無印良品がトータルデザインを担当する駅となり、木目調のシンプルで心地よい空間となっています。

 

木目調の駅構内(2019年2月)

 

構内にはオブジェがあり、オブジェには以下のようなメッセージがあります。

 

駅構内にあるオブジェ(2019年2月)

 

「生きとし生けるものは、なにかある大きなものに支えられている。その大きなものは自然といってもいいし、母なる大地といってもいい。あるいは神と呼んでもいいものではないか。棒状の石に刻まれた横縞は、生きもの――とりわけて人間が時間のなかの存在であることを示そうとしたものであるが、解読不能の経文のごときもの、あるいは念仏のたぐいと見てもらってもいい。山口牧生」

 

蔦屋書店の店内にある美しい本棚(2019年2月)

 

TSUTAYA社長の増田宗昭氏の著書によると、この枚方市が蔦屋書店の創業の地ということです。

 

駅から「HIRAKATA T-SITE」につながる渡り廊下(2019年2月)

 

1982年(昭和57年)、枚方市駅前にレンタルレコード店を開業し、オープン当日からお客さんが殺到したそうです。

 

蔦屋書店のあるHIRAKATA T-SITE(2019年2月)

 

現在、枚方市駅前の「HIRAKATA T-SITE」の蔦屋書店にはさまざまなジャンルの書籍が興味をそそるように並べられている他、料理に関する本や児童書、文具などのラインアップも充実しています。

 

蔦屋書店の店内にある美しい本棚(2019年2月)

 

枚方市駅のお隣りの樟葉駅は1910年(明治43年)、京阪本線の開通と同時に設置されました。快速特急「洛楽」以外のすべての種別の列車が停車します。

 

樟葉駅ホーム(2019年8月)


東福寺駅

東福寺駅は1910年(明治43年)、天満橋~五条(現在の清水五条)間が開通すると同時に開業しています。1957年(昭和32年)には、当時の国鉄奈良線京都稲荷間に国鉄の東福寺駅が新設され、翌年には京阪と国鉄の駅の連絡施設工事が完了しています。

 

東福寺駅ホーム(2018年9月)


祇園四条駅

1915年(大正4年)、五条(現在の清水五条)~三条間延伸の際に「四條駅」として開業しました。1963年(昭和38年)に「四条と表記を変更し、2008年(平成20年)に繁華街である祇園の中心地であるということから祇園四条駅と改称しています。

 

建仁寺(2018年7月)

 

祇園四条駅から歩いてすぐの場所に建仁寺があります。建仁寺は臨済宗建仁寺派の大本山であり、日本に正式に臨済宗を伝えた栄西が開山しました。

 

建仁寺(2018年7月)

 

方丈は室町時代の建築物であり、もともとは安国寺(広島県)にあったものです。これを1599年(慶長4年)に安国寺恵瓊が建仁寺に移築したものです。現在では重要文化財となっています。

 

方丈(2018年7月)

 

ここからさらに東へ行くと有名な八坂神社があり、その隣には円山公園があります。円山公園は1886年(明治19年)に誕生した京都市で最も古い公園です。円山公園には、優雅なたたずまいの中で、かつて国内外の賓客を迎えた長楽館があります。

 

長楽館入口(2017年3月)

 

長楽館は1909年(明治42年)に建築された建物であり、現在でもホテルとして営業しており、宿泊、レストラン、カフェとして利用することができます。

 

長楽館(2017年3月)