史跡足利学校(栃木県足利市)

▼足利学校は「日本最古の学校」といわれる。▼しかし、その創設には諸説あるという。

足利学校(2020年10月)

▼一つは、奈良時代における国学の遺制であるというもの。▼一つは、832年(天長9年)に小野篁(おののたかむら)が創建したというもの。▼一つは、足利尊氏の祖となる足利義兼(よしかね)が創建したというもの。▼一つは、1439年(永享11年)に関東管領の上杉憲実が建てたというもの。▼いずれにせよ、足利学校の歴史について記されているのは室町時代中期以後となる。

孔子像(2020年10月)

▼足利学校の範囲とその規模についてはその年代により異なるが、最盛期となる室町時代の遺構は明確ではない。▼大正時代に指定史跡となった際、その範囲のうち東半分がすでに小学校となっていて、その範囲では建物が取り壊されていた。▼ところが、近年では整備が進められ、東半分は江戸時代中期頃の様子へと復元されている。

大成殿(2020年10月)

▼大成殿、杏壇門、学校門、入徳門、稲荷堂の建物、土塁の一部などが現存する。▼方丈(ほうじょう)、庫裡(くり)、書院、土蔵、木小屋、衆寮(しゅうりょう)、裏門の建物、庭園、堀、土塁などは復原である。

学校門(2020年10月)

▼「史跡足利学校」へは、両毛線の足利駅からは徒歩10分。▼東武伊勢崎線の足利市駅からは徒歩15分。

足利駅(2020年10月)

▼三門とは、入徳門、学校門、杏壇門をいう。▼これは、江戸時代より受け継がれてきたものである。

入徳門を入ると学校門が見える(2020年10月)

▼「入徳」とは「徳に入る」の意である。▼道徳心を習得する場所(学校)に入るということを示す。▼入徳門は、足利学校への入口だが、1831年(天保2年)に近隣の火災により類焼し、1840年(天保11年)頃修築されるものの腐朽してしまい、1909年(明治42年)には裏門をここへ移転修築したと伝えられる。

入徳門(2020年10月)

▼学校門は、日本で唯一の「学校」の額が掛けられた門。▼1668年(寛文8年)に建てられたもの。▼これは、足利学校のシンボルとなっている。

学校門(2020年10月)

▼土蔵は、宝暦年間の姿に復元されたもの。▼外壁から屋根にかけて土で塗り固めた後、漆喰で仕上げたものである。▼土蔵は大切なものを格納するものであり、堅牢な耐火建築となっている。

土蔵(2020年10月)

▼孔子廟は、儒学の祖である孔子を祀る廟である。

孔子廟(2020年10月)

▼そのうち、大成殿は1668年(寛文8年)に建てられ、正面には孔子坐像、右側には小野篁像を安置している。▼孔子坐像は1535(天文4年)に造られた日本最古の孔子彫像である。

大成殿(2020年10月)

▼杏壇門は1892年(明治25年)に火災で焼失。▼しかし、1900年(明治33年)に再建された。

杏壇門(2020年10月)

▼方丈は、儀式や行事に使用される部屋。▼庫裡は土間や台所などがあり、日常の生活空間となっていた。▼書院は、接客の場所。▼方丈、庫裡、書院などを廊下でつなぐ建物が主屋となっていた。▼衆寮は、僧房または学生が寄宿する場所。▼現在のこれらの建物は宝暦年間の再現となっている。

復原された建物(2020年10月)

▼方丈の南北には、池がある築山泉水庭がある。

南庭園(2020年10月)

▼南庭園よりも北庭園の方が格が高く、広さも大きくなっている。

北庭園(2020年10月)

▼旧足利学校遺蹟図書館は1915年(大正4年)に建設されたもの。▼これは足利市重要文化財となっている。

旧足利学校遺蹟図書館(2020年10月)

▼その屋根は入母屋造桟瓦葺であり、基礎や外壁はレンガ積みをした上で石材および漆喰で仕上げられている。▼和風の屋根および洋風の外壁・内装の和洋折衷の様式などの意匠的特徴は大正時代の建築物として貴重な存在となっている。

旧足利学校遺蹟図書館(2020年10月)