日立電鉄線の歴史

▼水郡線の常陸太田駅を降りるとすぐそばを国道349号線が走る。▼これを挟んで、かつてはこの地に日立電鉄の常北太田駅があった。▼日立電鉄線は、常北太田駅と日立市の鮎川駅を結んでいた鉄道路線である。▼日立電鉄線:常北太田駅―小沢―常陸岡田―川中子―大橋―茂宮―南高野―久慈浜―大甕―水木―大沼―河原子―桜川―鮎川。

磯原海岸海水浴場(日立電鉄線創立50周年記念乗車券)

▼終点の鮎川駅は日立駅より3キロほど南、現在の常磐線の日立駅と常陸多賀駅の間にあった。

常磐線(2020年6月)

▼常北電気鉄道が、1928年(昭和3年)に大甕~久慈(後の久慈浜)間、1929年(昭和4年)に久慈~常北太田間を開業し、日立電鉄線の歴史がはじまった。▼1944年(昭和19年)、日立製作所傘下にあった日立バスなどと合併して日立電鉄となった。▼日立電鉄となった後の1947年(昭和22年)に大甕~鮎川間が開業。▼2005年(平成17年)に橋梁などをはじめとする設備工事の経費がかかることなどを理由として、全線が廃線となった。▼日立電鉄線が廃線となった後の2013年(平成25年)に、その跡地を利用したBRT(バス・ラピッド・トランジット/バス高速輸送システム)が日立おさかなセンター~大甕駅間にて開業した。▼2018年(平成30年)には大甕駅~常陸多賀駅間が延伸開業。

フォードBBV8型(日立電鉄線創立50周年記念乗車券)

▼日立電鉄線を走ったフォードBBV8型は、1933年(昭和8年)~1935年(昭和10年)にかけて製造された車両。▼定員として34人~38人が乗車できる。▼クラクションはハンドル下にあるゴム製の風船状の物体を握ることで空気が圧縮され、吹鳴するようになっていた。▼当時の車両購入価格は約2,700円であり、車両重量は1,350キロであった。

ハフ3形(日立電鉄線創立50周年記念乗車券)

▼ハフ3形は集電装置がなく、ハンドブレーキが付随していた。▼1947年(昭和22年)頃まで、電動客車として連結して使用された。▼モハ101形(院電ナデ6141号)は、1914年(大正3年)に鉄道院新橋工場で製作された電動客車であり、中央線山手線で運行されていた。▼1925年(大正14年)に廃車となり、その後、目蒲電鉄(現在の東急目蒲線)、芝浦製作所、鶴見臨港鉄道と渡り歩き、1950年(昭和25年)に日立電鉄へ移された。▼当時においては、国産電動車の中では最も古いものであり、1972年(昭和47年)には鉄道記念物に指定された。

モハ101形(日立電鉄線創立50周年記念乗車券)