那珂湊駅と山上門・那珂湊反射炉

▼湊線(勝田~阿字ヶ浦間)の主要駅。▼1913年(大正2年)、湊鉄道の駅として開業。▼1944年(昭和19年)に茨城交通の駅となる。▼1998年(平成10年)に「歴史と伝統のある駅で開業当時の面影を残した駅」としてに関東の駅百選に選出される。

那珂湊駅舎(2022年2月)

▼現在の那珂湊駅も開業当時の雰囲気を醸し出す。これまでも映画やドラマ、CMなどの撮影に利用される。▼那珂湊は江戸時代より水運で栄えたまちであり、市中にも歴史ある建物などが残る。

那珂湊駅駅舎内(2022年2月)

▼山上門:那珂湊駅から徒歩5分。▼山上門は水戸藩江戸小石川邸正門右側の門であり、江戸時代後期に勅使奉迎のために設置された。▼小石川邸の建築物は山上門以外はすべて消失。▼その名前の由来は、後に小石川邸内の山上に移築されたことによる。▼山上門は本柱と控柱を結ぶ梁の中間に束をおき切妻屋根をのせた形であり、「薬医門」という江戸時代後期の典型的な屋敷門。▼1936年(昭和11年)に那珂湊出身の深作貞治が陸軍から払い下げを受け、ここに移築して保存した。▼1957年(昭和32年)に那珂湊市に寄贈される。

山上門(2022年2月)

▼茨城県指定史跡「那珂湊反射炉」は山上門のすぐ近くにある。▼この反射炉(大型の金属溶解炉)は1937年(昭和12年)にほぼ原型通りに復元された模型。

那珂湊反射炉(2022年2月)

▼幕末には、那珂湊沖にも異国船が出現。▼水戸藩主・徳川斉昭が「海防の要」を唱えて領内に砲台を建設するために、大砲の鋳造を目的としてここに反射炉をつくる。

那珂湊反射炉(2022年2月)

▼1855年(安政2年)に1号炉、1857年(安政4年)に2号炉が完成。▼1864年(元治元年)の天狗党の乱(元治甲子の乱)で壊される。

那珂湊反射炉(2022年2月)

▼反射炉建設にあたっては高熱に耐える煉瓦の製造が必要となる。▼そうした煉瓦を焼成するために築かれた登り窯(煉瓦焼成窯)の復元模型が反射炉の近くにある。

煉瓦焼成窯(2022年2月)