八高線の歴史とその沿線の風景

1.八高線の歴史

 

八高線路線図


八高線の歴史

明治時代の中頃、八王子~高崎間における鉄道敷設計画が立てられましたが、許可が下りずに頓挫してしまいました。1922年(大正11年)には改正鉄道敷設法が公布され、国が建設すべき鉄道路線が示されたことに加えて、1923年(大正12年)の関東大震災により鉄道路線が大きな被害を受け、再び八王子~高崎間の鉄道敷設計画が浮上し、後に「八高線」とよばれるようになる路線の建設がはじまりました。

 

八王子駅(2021年2月)

 

八高線は、上越地方の物資を東海道方面へと運搬するにあたり、東京都心部を経由せずにこの路線を経由して東海道本線へと向かうことができるようになる路線といえます。その敷設工事は「八高南線」と「八高北線」に分けて進められることになりました。八高南線は1931年(昭和6年)に八王子~東飯能間が開通し、小宮駅、拝島駅、東福生駅、箱根ケ崎駅、金子駅、東飯能駅が設置されました。1933年(昭和8年)には東飯能~越生間、1934年(昭和9年)には越生~小川町間が延伸開業しました。一方の八高北線は1931年(昭和6年)に倉賀野~児玉間が開通し、1933年(昭和8年)には児玉~寄居間が延伸開業しました。さらに、1934年(昭和9年)には小川町~寄居間が延伸開業して全通となり、八王子~倉賀野間が「八高線」となりました。

 

八高線/八王子駅駅名標(2020年10月)


東福生駅

東福生駅(2020年11月)


金子駅

金子駅(2020年9月)


東飯能駅

東飯能駅(2020年9月)