万世橋駅の歴史と旧万世橋駅の遺構

▼万世橋駅は、江戸時代より繁栄していた万世橋界隈に設置された駅。▼現在の中央本線神田駅と御茶ノ水駅の間にあった駅。▼万世橋駅は1912年(明治45年)に開業し、1943年(昭和18年)に営業を休止した。

神田川に架かる現在の万世橋(2019年10月)

▼江戸城三十六見附は、江戸城に置かれた見張り番所のうちの主な36か所をさす。▼一般的に、江戸城の堀に架けられた橋と一体になっている。▼赤坂見附などは現在でもその地名が残っているが、筋違見附(筋違橋門)は現在の万世橋と昌平橋の間にあった。

万世橋を跨ぐ中央線(2019年10月)

▼筋違見附(筋違橋門)は1872年(明治5年)に取り壊されている。▼翌年、その石材を再利用して「萬世橋(よろずばし)」と命名された石造りの橋が完成した。▼その後、しだいに「まんせいばし」という名が一般的となり、1896年(明治29年)にはこの橋の東側に木橋を渡して、馬車鉄道が走るようになった。

「万世橋架道橋」の文字が見える(2019年10月)

▼1903年(明治36年)になると、現在の万世橋のある位置に新しい万世橋が架けられた。▼筋違見附の場所にあった「元万世橋(萬世橋)」と名を代えていた眼鏡橋は後に撤去された。▼新しい万世橋には路面電車が走り、東京の名所にもなった。▼しかし、関東大震災で被災してダメージを受けたため、1930年(昭和5年)に架け直された。

昌平橋から旧万世橋駅方向を見る(2019年10月)

甲武鉄道は1904年(明治37年)に飯田町(現在は廃止)~御茶ノ水間を開業した後、御茶ノ水~万世橋間の工事に着手したが、その途中の1906年(明治39年)に甲武鉄道は国有化される。▼この工事は国有鉄道へと引き継がれるが、結果的に万世橋駅の完成までに約7年を要することになる。▼その間となる1908年(明治41年)に途上に仮駅として昌平橋駅を設けて中央本線の起点とした。▼その後、ついに1912年(明治45年)に万世橋駅までの延伸が完成した。▼このとき、昌平橋駅は廃止される。

昌平橋の上を跨ぐ中央線(2019年10月)

▼昌平橋が架けられたのは寛永年間(1624年~1644年)と伝えられており、「一口橋/芋洗橋(いもあらいばし)」「相生橋」などとよばれたこともある。▼「一口橋」の名は、この橋の南側を西に向かって坂を登ったところに一口稲荷神社(現在の太田姫稲荷神社)があったことに由来する。▼元禄時代には「相生橋」とよばれていたが、1961年(元禄4年)に徳川綱吉が湯島聖堂を建設した際、孔子誕生地の昌平郷にちなんで「昌平橋」とよばせることとなった。

神田川に架かる現在の昌平橋(2019年10がt)

明治時代になると、この橋は「相生橋」と改名されるが、1873年(明治6年)に大洪水で落橋し、1899年(明治32年)に再興されて「昌平橋」となった。▼現在の昌平橋は1928年(昭和3年)に架けられたものである。

現在の昌平橋(2019年10月)

▼その後、万世橋駅は1943年(昭和18年)に休止となってしまったが、赤レンガの万世橋高架橋の中にはホームや階段などの施設の一部が残っている。

旧万世橋駅の遺構(2019年10月)

▼現在ではこうした遺構を保存・整備している。▼これを「旧万世橋駅」としてリニューアルし、カフェなどのいくつかのショップが営業している。

「旧万世橋駅」として整備された建物(2019年10月)