「月の光」という名の夜行列車

1.夜行急行「月光」の登場 2.「大垣夜行」から「ムーンライトながら」へ

 

185系「ムーンライトながら」(2017年8月)


夜行急行「月光」の登場

「月の光(ムーンライト)」より夜をイメージできることから、その名は夜行列車の愛称として使用されてきました。急行「月光」は、東京大阪間の夜行急行として「銀河」「明星」「彗星」に次いで1953年(昭和28年)に登場しました。ところが、1964年(昭和39年)に東京新大阪間に東海道新幹線が開業したことにより、東海道本線を昼間に走る特急はすべて廃止され、夜行急行は「月光」と「銀河」「明星」「金星」のみとなってしまいました。このとき「月光」は何とか生き残ることができましたが、東海道新幹線のダイヤ改正による増発のため1965年(昭和40年)に「月光」と「金星」は姿を消すことになりました。

 

京都鉄道博物館に展示される581系電車「月光」(2019年1月)
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それから僅か2年後の1967年(昭和42年)、「月光」という名の列車は「世界初の昼夜兼行車両による寝台電車」として復活します。車両本体に動力をもつ寝台電車の運行は1902年(明治35年)のアメリカに遡りますが、このときは大きな広がりを見せることはありませんでした。一方、「月光」に充てられた581系(交直両用車〔交流区間60ヘルツ対応〕)/583系(交直両用車〔交流区間50・60ヘルツ対応〕)は昼夜兼行車両、すなわち昼間は通常の座席形式、夜は座席を寝台に変更して寝台車として利用できる特殊な仕様であったため、酷使されることになります。寝台特急「月光」として新大阪~博多間を結ぶ581系/583系電車は、寝台特急として博多を出発して翌朝新大阪に到着すると、昼間は「みどり」として大分まで取って返し、夜になるとまた特急「月光」として博多に向かうという過酷な仕事をこなしました。

 

京都鉄道博物館に展示される581系電車「月光」(2019年1月)

 

このような合わせ技をもつことから581系/583系電車は、1972年(昭和47年)にかけて434両も製造され、八面六臂の活躍をすることになります。その後581系/583系電車はさまざまな特急列車に充てられるようになり、「月光形電車」と呼称されるようになりました。1972年(昭和47年)以降、寝台特急「月光」は岡山~博多・西鹿児島(現在の鹿児島中央)を結ぶようになり、1975年(昭和50年)になると二度目となる「月光」の名の消失となり、その後「月光」の名は復活していません。


「大垣夜行」から「ムーンライトながら」へ

1967年(昭和42年)になると、東海道新幹線の開業や特急・急行列車の増発などにより、夜行普通列車は東京大阪間の1往復のみと豊橋~東京間の上り列車1本のみとなりました。廃止が決定していたこれらの夜行普通列車は利用者らによる要望により、これまで運行されていた臨時急行列車「ながら3号」を普通列車化して存続することになりました。

 

185系「ムーンライトながら」(2017年8月)

 

それ以来、東京~大垣間を結んできた通称「大垣夜行」を代替して、1996年(平成8年)に快速「ムーンライトながら」が登場しました。

 

「ムーンライトながら」行先標(2017年8月)

 

上野写真は快速「ムーンライトながら」の行先標です。鉄道やバスに表示される行き先などを示したものを行先標(行先札)などといいます。国鉄時代には、行先標(行先札)の略号を「サボ」としていたため「サボ」とよばれることもあります。これは「サインボード」などの略ともいわれます。

 

北陸線電化記念館に展示される行先札(2017年8月)

 

「ムーンライトながら」は空席が目立つようになってきた2009年(平成21年)以降は臨時列車として運行されてきましたが、2020年(令和2年)は新型コロナウイルス感染症の影響により夏・冬ともに運行されませんでした。2021年(令和3年)に廃止が発表され、2020年(令和2年)3月の運行が最後の運行となりました。これにより「月の光(ムーンライト)」を名乗る列車はすべて消失してしまいました。

 

快速「ムーンライトながら」(2017年8月)