「下館」の名と筑西市にある下館駅

1.「下館」の名 2.下館駅の歴史

 

下館駅南口改札口(2020年1月)


「下館」の名

平安時代、藤原秀郷は平将門による反乱鎮圧のために上館・中館・下館の三館を築きましたが、これが「下館」の名のはじまりとされます。

 

下館駅駅名標(2020年1月)

 

室町時代には、水谷勝氏が結城氏から下館領を与えられて下館城を築城し、その城郭は1869年(明治2年)に廃城となるまで残りました。江戸時代には下館藩の城下町として栄え、水谷氏に代わった徳川光圀の兄・松平頼重が水戸城下にならった町割りを行いました。その後、結城紬(ゆうきつむぎ)をはじめとする商業のまちとして発展して「関東の大阪」ともよばれるようになります。

 

大阪モノレールから見える大阪のまち(2019年1月)

 

1889年(明治22年)には下館町が成立し、その後順次、水戸鉄道(現在の水戸線)、真岡軽便線(現在の真岡鐡道)、常総鉄道(現在の常総線)の駅が開業しました。

 

下館駅に見える真岡鐡道・JR・関東鉄道の車両(2020年1月)

 

1954年(昭和29年)には周辺の自治体を編入して下館市となりますが、2005年(平成17年)のいわゆる「平成の大合併」により下館市は関城町・明野町・協和町と合併して筑西市となりました。

 

母子島遊水地から見た筑波山(2022年1月)

 

これにより、平安時代より1000年の歴史をもつ「下館」の名は姿を消すことになりました。新たに誕生した筑西市の代表駅となる下館駅には水戸線真岡鐡道常総線が乗り入れます。

 

関東鉄道常総線の運賃表(2020年1月)


下館駅の歴史

水戸線の前身となる水戸鉄道が小山~水戸間の開通の際、1889年(明治22年)に下館駅を開業し、下館駅の歴史ははじまります。その後、水戸線は1892年(明治25年)に日本鉄道に譲渡されて下館駅は日本鉄道の駅となりますが、1906年(明治39年)には鉄道国有法により水戸線も国有化され、国鉄の駅となりました。

 

岩瀬駅を出発する水戸線「小山行き」(2020年2月)

 

1912年(明治45年)には、真岡鐡道の前身となる真岡軽便線(下館~真岡間)が開通し、下館駅に乗り入れます。さらに、1913年(大正2年)には常総鉄道(現在の常総線)が取手~下館間を開通し、3路線が乗り入れることになりました。

 

下館駅付近を走る関東鉄道の車両(2020年1月)

 

1937年(昭和12年)に現在の北口駅舎が開業し、1976年(昭和51年)には南口を開設します。2006年(平成18年)になると、南口の改札業務はJRより関東鉄道に変更されています。

 

南口の改札口(2020年1月)

 

現在の下館駅は3面6線をもつ地上駅であり、一部は橋上駅となっています。

 

下館駅に停車する関東鉄道常総線の車両(2020年1月)

 

6線のうち、切り欠きホームをもつ1番線は真岡鉄道線、単式ホームの2番線と島式ホームの3番線・4番線は水戸線、島式ホームの5番線・6番線は常総線が使用しています。南口駅舎は常総線の5番線・6番線の上にあります。

 

下館駅南口駅舎(2020年1月)