西府駅(南武線)

▼西府村は1889年(明治22年)に周辺の3村が合併して発足した後、1954年(昭和29年)に府中町および多磨村と合併して府中市となる。▼「西府」の名は府中の西側にある地に由来し、「府中」とは律令時代に武蔵国の国府が置かれた地をいう。

西府駅前に掲示される地図(2020年7月)

南武線の前身となる南武鉄道。▼1929年(昭和4年)、南武鉄道線の屋敷分(現在の分倍河原)~立川区間が開通した際に西府停留場を開設した。

西府駅南口(2020年6月)

▼停留場名は先の地名に由来する。▼西府停留場は現在の西府駅とは700メートルほど離れた位置にあった。▼その後、駅に変更されたが、1944年(昭和19年)に南武鉄道が戦時買収され国有化された際に廃止となった。

西府駅周辺の地図(2020年6月)

▼現在の西府駅は、このとき廃止となった旧西府停留場のまさに「再興」。▼かつての西府駅から少し所在地を変更した現在の西府駅は、2009年(平成21年)に開業した南武線の最も新しい駅となった。

西府駅近くの市川緑道(2020年6月)

▼この付近にある熊野神社の本殿北側には、飛鳥時代(7世紀中頃)に築造されたという武蔵府中熊野神社古墳がある。

武蔵府中熊野神社古墳(2020年7月)

▼古墳は上円下方墳とよばれるもの。▼四角いの墳丘の上に丸い墳丘が重なった形状をしている。▼古代の中国では、天はドームのような半球形であり、大地は四角いものであると信じられていたので、そうした宇宙観を背景として築造されたものと考えられている。

武蔵府中熊野神社古墳(2020年7月)

▼上円下方墳は古墳時代末期に築造されるようになった。▼全国的に見てもきわめて珍しいもの。▼武蔵府中熊野神社古墳は石が葺かれている上円下方墳においては最古であり、最大規模の古墳である。

武蔵府中熊野神社古墳(2020年7月)

▼墳丘の1段目の一片の長さは約32メートル。▼2段目の正方形の一辺の長さは約23メートル。▼上円部の直径は約16メートルもある。▼墳丘の高さは上円部の頂上で約6メートルの高さ。▼内部の石室は横穴式石室とよばれるものであり、三室構造となっている。

武蔵府中熊野神社古墳(2020年7月)

▼内部に収められた副葬品も質の高いものであり、古墳の大きさや珍しさから見ると埋葬された人物は東国の有力者と考えられる。▼しかし、その人物名は判明していない。

武蔵府中熊野神社古墳(2020年7月)

▼古墳および熊野神社に隣接して古墳展示館がある。

古墳展示館(2020年7月)

▼古墳展示館に隣接して古墳石室復元展示室が設けられている。▼発掘調査による成果から当時の状況が復元されている。

古墳石室復元展示室(2020年7月)

▼西府駅南口の前には府中市指定文化財となる御嶽塚(みたけづか)がある。▼もともとは、古墳時代に築造された古墳だった。

西府駅前の古墳(2020年7月)

▼西府駅南口から少し歩いた場所に遊歩道が整備された市川緑道がある。▼市川緑道は南武線の南側に並行して所在する。

歩道橋下の市川緑道(2020年6月)

▼この市川緑道は多摩川の水や沿線の湧水を集めて流れる市川沿いに設置された緑道である。

市川緑道沿いの植生(2020年6月)

▼市川緑道に沿って府中崖線がある。▼ニセアカシア、ケヤキ、シカラシ林などの貴重な自然林。▼府中崖線から湧き出る貴重な湧水が見られる。

市川緑道沿いの植生(2020年6月)

▼西府駅と市川緑道の高低差は大きく、駅からは歩道橋を渡って緑道へと下りる。

崖の上の先に西府駅がある(2020年6月)

▼歩道橋には、エレベーターも設置されている。

エレベーター(2020年6月)