桜ノ宮駅と廃線遺構

▼毛馬桜之宮公園は大川(旧淀川)にある毛馬水門から天満橋まで広がる川沿いの公園であり、きれいな桜並木が続く。

毛馬桜之宮公園(2018年3月)

▼その毛馬桜之宮公園とホテル街の間、大阪環状線の桜ノ宮駅から南へ徒歩7分ほどの場所にひっそりと櫻宮(桜宮神社)という神社がある。

櫻宮(2016年11月)

▼櫻宮(桜宮神社)には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、八幡大神(やはたのかみ)、仁徳天皇が祀られる。

櫻宮(2016年11月)
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▼櫻宮(桜宮神社)はかつて現在の東野田町にあった。▼社殿が洪水で流され、現在の中野町(現在の桜ノ宮駅付近)に漂着し、そこに祀られた。

櫻宮(2016年11月)
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▼そこでも水害に悩まされた末、1756年(宝暦6年)に現在の地に移る。

櫻宮(2016年11月)
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櫻宮(桜宮神社)近くの桜ノ宮駅についての話。▼1975年(昭和50年)、山陽新幹線の岡山~博多間が開業する一方で、国鉄の累積赤字はより一層大きくなりその経営状況は大きく悪化していた。▼国鉄は、経営状況改善に向けて合理化に着手しようとするが、労働組合との関係も悪化してストライキが行われるなどしたため、国鉄に対するイメージは著しく悪化した。

毛馬桜之宮公園(2018年3月)

▼そうした中、1975年(昭和50年)~1976年(昭和51年)にかけて、累積赤字解消のため運賃値上げを実施した。▼結果的に、大都市においては乗客を私鉄に奪われ、長距離輸送においては飛行機に乗客を奪われた。

大川に架かる淀川橋梁(2019年2月)

▼当時の桜ノ宮駅にはホームのほとんどに屋根がなく、雨の日にホームで電車待ちをするには傘をさす必要があった。▼運賃値上げに対する見返りとして、国鉄はホームに屋根をつけ、乗客サービスを向上させるという提案をした。

桜ノ宮駅(2017年8月)
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▼ところが、屋根工事にあたって、戦前から道路沿いに植えられた桜が邪魔になっていた。▼桜を残すか、工事を強行するかで議論があった。▼結果的に、桜は切られて工事が実施された。▼その後、西口に桜が植えられたという。

大川に架かる淀川橋梁(2019年2月)

桜ノ宮駅のすぐそばを流れる大川沿いは、江戸時代から「桜の名所」として知られる。▼現在の桜ノ宮駅では、その発車メロディーに「さくらんぼ」(大塚愛)を使用。▼2004年(平成16年)のヒット曲だが、歌手の大塚愛さんが大阪出身であることと、大川沿いの毛馬桜之宮公園が「桜の名所」であることから選曲された。

淀川橋梁の桁下(2019年2月)

▼桜ノ宮駅は1898年(明治31年)、大阪鉄道(現在の大阪環状線の一部)の駅として京橋~天満間に新設開業した。▼その後、関西鉄道大阪鉄道を合併したため、関西鉄道の所属となった。

桜ノ宮駅東側の廃線遺構(2016年10月)
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▼桜ノ宮駅の北側には、かつて広大な淀川貨物駅・淀川電車区などがあった。

桜ノ宮駅東側の廃線遺構(2016年10月)
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▼そのため、現在の桜ノ宮駅周辺には数多くの廃線遺構があるといわれる。

桜ノ宮駅東側の廃線遺構(2016年10月)
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▼現在では、淀川貨物駅などの跡地は再開発により総合医療センターやマンション群へと変化を遂げた。▼そうした中、歴史を物語る古い遺構の数々も少しずつ姿を消している。

桜ノ宮駅東側の廃線遺構(2016年10月)
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▼桜ノ宮駅から大川沿いに北へ少し歩くと都島橋がある。▼都島橋東詰南側には「大阪市水道発祥之地」

大阪市水道発祥之地」石碑(2016年11月)

▼1895年(明治28年)、大阪市最初の上水道がこの場所から送水された。▼ここから、上水道が送水されるまで飲料水は淀川の井戸水に頼っており、感染症などのリスクがあった。▼その後、大阪市の人口が増えるにつれ施設の拡張に迫られ、柴島浄水場を建設した。▼そのため、この地での送水は1915年(大正4年)に停止している。

桜ノ宮駅を出発して淀川橋梁を渡る大阪環状線の車両(2019年2月)

▼桜ノ宮駅や櫻宮(桜宮神社)は大阪市都島区にある。▼櫻宮(桜宮神社)から大川沿いに少し下ると「都島区由来記」の石碑が立つ。▼遠い昔、母なる川である淀川に生成した多数の島や洲によって都島の大地がつくられたのがそのはじまりとなる。

「都島区由来記」石碑(2016年11月)

▼「都島区由来記」石碑が立つのは、京阪国道(国道1号線)の桜宮橋東詰。▼桜宮橋は大阪を代表する美しい橋の一つである。▼太陽の光が射すと銀色に輝き、地元の人々は「銀橋」として親しまれる。▼桜宮橋は1930年(昭和5年)に完成し、その長さは188メートル,幅23メートル。▼全国的に有名な桜の名所「造幣局の通り抜け」は桜宮橋西詰となる。

OAP(大阪アメニティパーク)を背にする銀橋(2016年11月)
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▼平安時代には民家や寺院なども見られたが、実際に都島区の各地に集落が形成されるようになったのは近世になってからのこと。▼京橋口から発する京街道が開発されて、京都大阪を結ぶ道が政治的にも経済的にも大動脈となってからのこと。▼1889年(明治22年)に大阪市制が施行されて大阪市が誕生した後、市域拡張および行政区の再編成などがあって、1943年(昭和18年)に都島区は現在の区域として誕生した。

毛馬桜之宮公園(2018年3月)