南武鉄道の歴史

1.南武線の歴史

 

南武線(2020年6月)


南武線の歴史

南武線立川~川崎間を結ぶ路線であり、多摩川と並行するような形で走ります。また、南武線は尻手~浜川崎間を結ぶ支線(通称「浜川崎支線」)と尻手~鶴見間を結ぶ支線(通称「尻手短絡線」)をもちます。南武線は1921年(大正9年)に設立された南武鉄道により敷設された路線です。

 

車両の側面に「NAMBU LINE」と描かれている(2020年6月)

 

1919年(大正8年)に地元の資本を中心とした多摩川砂利鉄道東京や横浜へ多摩川の砂利を運ぶことを目的として設立されましたが、その計画が中止となって、この鉄道会社は南武鉄道と社名を変更しています。1923年(大正12年)になると、GHQに十五大財閥として指定された財閥の一つである浅野財閥が南武鉄道の株を所得して、南武鉄道は浅野財閥グループの一員となりました。1927年(昭和2年)に最初の区間として川崎~登戸間を開業し、1929年(昭和4年)には現在の本線となる区間である川崎~立川間が全通しました。

 

南武鉄道が開業して間もない時期には「砂利鉄道」と呼称されることもあり、セメントの材料となる多摩川の砂利や奥多摩より運ばれてきた石灰石などを積んでいたといいます。1930年(昭和5年)になると、貨物線として尻手~浜川崎間(通称「浜川崎支線」)が開業しました。この頃から南武鉄道は砂利の運搬から旅客輸送へと変わっていき、尻手~新浜川崎(後に浜川崎駅に統合)間でも旅客営業を開始します。

 

立川駅に停車する貨物列車(2020年6月)

 

1940年(昭和15年)には五日市鉄道(現在の五日市線)を合併するものの、1944年(昭和19年)に南武鉄道の鉄道路線は南武線および五日市線として国有化されてしまい、鉄道事業から撤退することになりました。