紀淡海峡と南海加太線の歴史

1.加太のまちと加太線 2.加太線の歴史

 

加太から紀淡海峡を望む(2016年12月)


加太のまちと加太線

加太は古い歴史をもつ港町であり、古くは「賀陀(賀太)」とよばれました。平安時代初期に編纂された『続日本紀』には、702年(大宝2年)に「紀伊国賀陀に駅家を置く」という記述があります。また、江戸時代には淡路島や四国、九州などへ向かう港町として栄えたといいます。

 

加太から紀淡海峡を望む(2016年12月)

 

加太線は紀ノ川~加太間を結ぶ路線であり、その起点は紀ノ川駅となっていますが、運行系統上はすべての加太線の列車が紀ノ川駅を経由して和歌山市駅に乗り入れをしています。起点となる紀ノ川駅から順に、東松江、中松江、八幡前、西ノ庄、二里ヶ浜、磯ノ浦、加太となります。加太線は「加太さかな線」の愛称をもちます。2015年(平成27年)より「加太さかな線プロジェクト」を実施していますが、このプロジェクトは「おいしいさかな」をはじめとするグルメや風光明媚な景色、温泉など加太の魅力をPRし、鉄道旅行の楽しみを創り上げていくというプロジェクトです。2016年(平成28年)から観光列車「めでたいでんしゃ」を運行しています。この観光列車は、加太を代表する海の幸である鯛をイメージした電車であり、この電車がレールの上を走る様子が、まるで海を泳ぐ鯛のように感じられます。


加太線の歴史

1912年(明治45年)に加太軽便鉄道が和歌山口~加太間の運行を開始しました。加太軽便鉄道は1930年(昭和5年)に「加太電気鉄道(加太電鉄)」と社名変更した後、1942年(昭和17年)に南海鉄道加太線となります。1944年(昭和19年)に南海鉄道と関西急行鉄道が合併し近畿日本鉄道となったことから、加太線近畿日本鉄道の所属路線となります。近畿日本鉄道時代には、紀ノ川~東松江間を松江線として貨物線を開業しています。松江線では1984年(昭和54年)に貨物営業が廃止されましたが、それ以前には東松江駅では電気機関車が牽引する貨物列車の姿を見ることができました。住友金属工業の荷物を載せて、東松江駅から紀ノ川駅を経由して和歌山市駅まで運んでいました。

1947年(昭和22年)には、近畿日本鉄道から南海電気鉄道に旧南海鉄道所属の路線が分離譲渡されることになったため、加太線南海電気鉄道の路線となります。1950年(昭和25年)になると、貨物線であった松江線の旅客営業を開始し、加太線の運行についても紀ノ川駅経由に変更されます。その後、台風の影響などにより和歌山市~北島間が休止となり、紀ノ川~加太間を「加太支線」、北島~東松江間を「北島支線」と改称します。1966年(昭和41年)には北島支線は廃線、1984年(昭和59年)には加太支線の貨物営業を廃止して、現在の和歌山市となりました。