箕面有馬電気軌道の設立と阪急電鉄の歴史

1.箕面有馬電気軌道の設立 2.田園都市構想 3.箕面有馬電気軌道から阪神急行電鉄・京阪神急行電鉄へ 4.阪急電鉄の誕生 5.阪急マルーン色

 

天神祭のヘッドマークを付けた車両(2018年7月)


箕面有馬電気軌道の設立

阪急電鉄の歴史は1907年(明治40年)、創業者の小林一三(こばやしいちぞう)らが箕面有馬電気軌道を設立したことにはじまります。小林一三は1873年(明治6年)に山梨県で生まれました。若き頃の小林一三は小説家を志していましたが、19歳で慶應義塾を卒業すると、20歳のときに三井銀行に入社します。34歳のときに三井銀行を退職し、箕面有馬電気軌道の発起人の一人となり、この会社の専務取締役に就任します。

 

鉄道事業者としては後発であり、また梅田から農村地帯を抜け、紅葉狩りや温泉を楽しむための観光客を運ぶ鉄道会社を経営することは難しいのではないかというような声を背に、自ら1908年(明治41年)に豊能郡池田町(現在の大阪府池田市)に移り住み、実質上の経営者として多くのアイデアを生み、さまざまな生活文化を創出することになります。鉄道事業をはじめとして、不動産開発・小売業・娯楽業なども展開し、私鉄のビジネスモデルを創始することになります。

 

梅田駅(現在の大阪梅田駅)に停車する車両(2018年7月)

 

1910年(明治43年)に梅田~宝塚間(現在の宝塚本線)、石橋~箕面間(現在の箕面線)を開業した後、1913年(大正2年)に宝塚唱歌隊(後の宝塚歌劇団)を組織しました。これを宝塚少女歌劇養成会と改称して、1914年(大正3年)に初公演を実施しています。小林一三はその後、1927年(昭和2年)に阪神急行電鉄社長、1928年(昭和3年)に東京電燈副社長(1933年より社長)に就任します。さらに、1929年(昭和4年)には阪急百貨店を開業し、1932年(昭和7年)に東京宝塚劇場を創立しています。政界へも進出し、1940年(昭和15年)には商工大臣(第二次近衛文麿内閣)、1945年(昭和20年)には国務大臣(幣原喜重郎内閣)兼戦災復興院総裁となっています。1957年(昭和32年)に84歳で亡くなりました。

 


田園都市構想

小林一三のビジネスに対する考え方は田園都市構想に基づいているといわれます。都心から郊外へと鉄道を敷設し、その鉄道の沿線を開発していきます。人々は田畑の残る緑豊かな地域に住み、毎日電車に乗って都心の職場へと通勤します。こうした沿線開発の手法は後に関東の私鉄にも大きな影響を与えることになります。

 

ロンドン出身のエベネザー・ハワードは1898年にその著書において田園都市構想を提唱しますが、その考えは理想主義的であるとの批判を浴びました。一方で、19世紀末のロンドンでは急速に工業化が進展し、都心部の人口も急増していました。都心部の住環境の悪化も懸念されるようになり、エベネザー・ハワードは1903年、田園都市構想に基づいた田園都市をロンドン郊外のレッチワースに建設し、その運営を成功させました。この成功により後に「近代都市計画の祖」とよばれるようになります。田園都市はその後、日本でも「ベッドタウン」という形となり導入されています。


箕面有馬電気軌道から阪神急行電鉄・京阪神急行電鉄へ

1918年(大正7年)になると、箕面有馬電気軌道は社名を阪神急行電鉄(略称「阪急」)と改称し、1920年(大正9年)には十三~神戸間(現在の神戸本線)を開業しています。この「電鉄」という名称を初めて正式な社名として取り入れたのは阪神急行電鉄であり、小林一三によるものでした。この鉄道会社が当初、箕面有馬電気軌道と称していたのは私設鉄道法による鉄道敷設ではなく、軌道条例によって鉄道敷設を果たしたことによるものです。

 

当時、大阪神戸間の官鉄と並走する路線の新設については、私設鉄道法を管轄する逓信省が難色を示していました。なんとしても神戸線の建設を実現したかった小林一三は、神戸線についても私設鉄道法による建設ではなく、内務省が所轄する軌道条例によりこれを新設することを目指しました。軌道条例は緩やかな速度で1~2両編成にて運行する鉄道(路面電車のような鉄道)を想定した法律であったため、その規制は私設鉄道法より緩やかなものでした。しかしながら、社名として「鉄道」と称することはできませんでした。

 

将来的に神戸線における高速走行の実現を予定していた小林一三は、苦肉の策として「電気鉄道」の略称としての「電鉄」という名称を社名に用いることを思いつきました。さらに、これに先立ち、同じく軌道条例により阪神間を結ぶ鉄道を建設していた阪神電気鉄道よりも高速であるというイメージをつくるため「急行」という文字を加えて、新社名を阪神急行電鉄としたものです。現在では京成電鉄、京王電鉄、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、小田急電鉄など「電鉄」と称した社名について私たちは違和感をおぼえることはありませんが、その社名の先駆けとなったのはまさに阪神急行電鉄ということになります。その後、1943年(昭和18年)になると、阪神急行電鉄は京阪電気鉄道と合併して京阪神急行電鉄(略称「京阪神」)が誕生しています。

 

京王線の車両(2020年6月)


阪急電鉄の誕生

1949年(昭和24年)になると、京阪神急行電鉄より京阪電気鉄道が分離したため、京阪線宇治線京津線石山坂本線が「新しい京阪電気鉄道」の所属となりました。1959年(昭和34年)には社名を京阪神急行電鉄から阪急電鉄に改めています。

 

阪急電鉄の路線には神戸線、宝塚線京都線があります。神戸線は神戸本線大阪梅田~神戸三宮間)32.3キロ、神戸高速線(神戸三宮~新開地間)2.8キロ、伊丹線(塚口~伊丹間)3.1キロ、今津線(今津~宝塚間)9.3キロ、甲陽線(夙川~甲陽園間)2.2キロ、宝塚線は宝塚本線大阪梅田~宝塚間)24.5キロ、箕面線(石橋~箕面間)4.0キロ、京都線京都本線大阪梅田~京都河原町間)47.7キロ、千里線(北千里~天神橋筋六丁目間)13.6キロ、嵐山線(嵐山~桂間)4.1キロから成ります。その起点となる大阪梅田駅はホーム10面・線路9線を有し、私鉄のターミナル駅としては最大規模を誇ります。1号線~3号線は京都線、4号線~6号線は宝塚線、7号線~9号線は神戸線の発着線となっています。

 

現在、大阪空港(伊丹空港)へ乗り入れしている路線は大阪モノレールだけですが、将来的に阪急電鉄は大阪空港への乗り入れる新線を計画しているといいます。宝塚線の曽根駅で線路を分岐し、大阪空港までの約3キロを地下鉄線で結ぶ計画です。実現すれば、大阪の中心・大阪梅田駅から乗り換えなしで大阪空港へアクセスできることになります。

 

大阪モノレールの車両(2019年1月)


阪急マルーン色

現在では経済的でないとわかっていながら、シルバー色の車体に塗装を施している鉄道会社もあります。たとえば、阪急電鉄の車両はアルミ製の車体にマルーン色とよばれる光沢のある塗装を施し、「阪急マルーン」の伝統を守ることを大切にしています。その塗色は箕面有馬電気軌道時代から変わっておらず、当時開業の際に登場した1形(木造車両)にはすでにこの色が採用されていたといいます。

 

阪急マルーン色の車両にラッピングされた車両(2018年9月)

 

1000系は2013年(平成25年)に登場した神戸線・宝塚線の車両であり、能勢電鉄への乗り入れにも対応しています。この車両は遮音性、安全性、省エネ、バリアフリーに優れていて、新型モーターを搭載するなど機能の向上が施されています。

 

1300系は2014年(平成26年)に登場した京都線の車両であり、地下鉄堺筋線への乗り入れにも対応しています。その車体の設計は1000系と同じですが、モーターの形式は1000系とは異なっています。

 

3000系は1964年(昭和39年)に登場した車両であり、当時架線電圧の引き上げに対応するために開発された車両でした。現在では今津線伊丹線で運用されているものの、順次廃車となっています。3300系は1967年(昭和42年)に登場した京都線の車両であり、地下鉄堺筋線との相互直通運転を実現するために投入された車両です。その車体の大きさは地下鉄堺筋線に合わせたものとなっています。

 

5000系は1968年(昭和43年)に登場した神戸線の車両であり、山陽電鉄への乗り入れに対応した車両でした。現在ではリニューアル車両が神戸線今津線で運用されています。5100系は1971年(昭和46年)に登場した車両であり、量産車として初めての冷房車となりました。各線での走行を可能にするため機器類の統一が図られた他、パンタグラフを軽量化しています。5300系は1972年(昭和47年)に登場した京都線の車両であり、初めて電気指令式ブレーキが採用されています。

 

6000系は1976年(昭和51年)に登場した車両であり、宝塚線今津線甲陽線で運用されています。1975年(昭和50年)に登場した京都線の特急車両であり、すべての座席が転換クロスシートとなっています。1976年(昭和51年)にはブルーリボン賞(鉄道友の会)を受賞しています。クロスシートとは多くの特急車両が採用している座席形式であり、車長方向(車両の長手方向)とクロスする形で座席が配されています。このうち、転換クロスシートは座席の背もたれを前後に移動することができるようになっていて、着席方向を変更することができるようになっています。嵐山線では、2009年(平成21年)より6300系をリニューアルした4両編成での運行を開始しました。2007年(平成19年)のダイヤ改正により特急の性格が変更され、6300系京都線での特急車両としての役目を終えることとなりました。その後、リニューアルされ、嵐山線で活躍しています。

 

嵐山線を走る車両(2017年7月)

 

7000系は1980年(昭和55年)に登場した神戸線・宝塚線の車両であり、210両という多くの車両が製造されました。ブレーキシステムとして回生ブレーキシステムを初めて採用しています。7300系は1982年(昭和57年)に登場した京都線の車両であり、その車両の性能は7000系と同じです。

 

8000系は1989年(昭和64年)に登場した神戸線・宝塚線の車両であり、創立80周年を記念して製造された車両です。本格的に小型・軽量の交流モーターを積み、行先表示板や列車種別表示板、窓や前面のデザインが一新されています。8300系は1989年(平成元年)に登場した京都線の車両であり、地下鉄堺筋線への乗り入れに対応しています。その車両のデザインは8000系とほぼ同様となっています。

 

9000系は2006年(平成18年)に登場した神戸線・宝塚線の車両であり、8000系の後継車両として車体の軽量化および遮音性の向上が図られています。すべての座席がロングシートとなっており、車内の扉上部には液晶ディスプレイによる情報案内板が設置されています。9300系は2003年(平成15年)に登場した京都線の特急車両であり、1車両における扉数は片側3扉となっています。座席は転換クロスシートとロングシートの部分があります。車内の快適性を高めることと、混雑を緩和することを目的とした造りとなっています。

 

天神祭のヘッドマークを付けた車両(2018年7月)

 


ラッピング列車

阪急電鉄では沿線の活性化と旅客誘致を目的として、2019年10月までラッピング列車を運行しています。

 

ラッピング列車「古都(KOTO)」(2018年9月)

 

ラッピング列車には愛称をつけており、神戸線は「爽風(KAZE)」、宝塚線は「宝夢(YUME)」、京都線は「古都(KOTO)」としています。

 

ラッピング列車「古都(KOTO)」(2018年9月)

 

それぞれのデザインを担当しているのは、神戸線がイラストレーターの中村佑介氏、宝塚線が劇作家の池田理代子氏、京都線が絵本作家の永田萠氏となっています。

 

ラッピング列車「古都(KOTO)」(2018年9月)