阪急京都線・嵐山線の歴史と沿線の風景

1.阪急京都線の歴史 Θ京都河原町駅Θ 2.京とれいん 3.浜中津橋とトラス橋 4.嵐山線の沿線風景 Θ嵐山線への直通列車Θ 5.東向日駅と西国街道 6.洛西口駅と物集女駅

 

阪急京都線の京都河原町駅地上の様子(2017年3月)


阪急京都線の歴史

京都線はもともと新京阪鉄道が所有していた路線でした。新京阪鉄道は1922年(大正11年)に設立された会社ですが、1930年(昭和5年)に京阪電気鉄道と合併しています。その後、京阪電気鉄道が阪神急行電鉄(略称「阪急」)と合併して京阪神急行電鉄(略称「京阪神」)となったため、新京阪鉄道が所有していた現在の京都本線にあたる系統の路線は京阪神急行電鉄(略称「京阪神」)の所属となりました。

 

柴島駅から淡路駅方面を臨む(2017年1月)

 

ところが、1949年(昭和24年)に京阪神急行電鉄(略称「京阪神」)より京阪電気鉄道が分離する際に、この路線は現在の阪急電鉄に残されてしまいました。このとき、これらの路線は京都本線、十三線(後に京都本線となる)、千里山線(現在の千里線)、嵐山線とされました。現在では、京都本線は大阪梅田(実際の起点は十三)~京都河原町間、千里線は天神橋筋六丁目~北千里間、嵐山線は桂~嵐山間を結んでいます。

 

千里線柴島駅から天神橋筋六丁目駅方面を臨む(2017年1月)

 

京都本線は運行系統上、大阪梅田~十三~淡路~茨木市~高槻市~長岡天神~桂~京都河原町間を結ぶ路線ですが、実際の起点は十三駅となっています。1928年(昭和3年)に淡路~高槻町(現在の高槻市)~京都西院(現在の西院)間を開業しています。

京都河原町駅

京都本線の終点となる京都河原町駅は、京都本線が1963年(昭和38年)に大宮駅より河原町駅(現在の京都河原町駅)まで延伸した際に開業しました。

 

河原町駅駅名標(2019年1月)

 

京都河原町駅は四条河原町の交差点の地下にあり、ここから東方向へ250メートルほど行くと京阪電気鉄道の祇園四条駅があります。

 

京都本線河原町駅地上(2017年3月)

 

高槻市駅の東隣りにある上牧駅~大山崎駅間においては、阪急電鉄の列車東海道新幹線と並走する区間があります。当然に京都本線の方が先に開業していたわけですが、東海道新幹線はこの路線の上に高架線として建設する予定となっていました。しかしながら、地質調査の結果、地盤が弱いことが判明したため、計画を変更して両線とも高架化し、並走する形となりました。もし、計画が変更されていなかったら阪急電鉄の列車東海道新幹線の並走を見ることはできなかったということになります。

 

青梅鉄道公園に保存される0系新幹線(2020年10月)


京とれいん

6300系は1975年(昭和50年)~1978年(昭和53年)の間に8〔両編成〕×8〔本〕=64〔両〕が製造されたものです。このうち、6354以下[-6804-6904-6854-6864-6814-6914-6454]8両編成は改造され、京とれいんとして活躍しています。

 

京とれいん(2019年1月)

河原町駅に停車する「京とれいん」2号車(2019年1月)

 

京とれいん京都本線(大阪梅田~京都河原町間)を走る観光特急として2011年(平成23年)にデビューしました。車両の外観・内装ともに和モダンな装いであり、京への旅を大いに盛り上げてくれるデザインとなっています。

 

車体側面に記された「京とれいん」の文字(2017年3月)

6804の車体側面(2019年1月)

河原町側先頭部分(2017年3月)

 

京都河原町駅は1号線・2号線・3号線をもちますが、普段は主に1号線および3号線を使用します。2号線は3号線の大阪梅田寄りに設置されている切り欠き式のホームとなっており、朝のラッシュ用の他、京とれいんが使用するホームとなっています。

 

河原町側先頭部分(2019年1月)

車体の側面に描かれたデザイン(2017年3月)

車体の側面に描かれたデザイン(2019年1月)

 

1号車・2号車の内装を見ると、「蘭の華散らし」をイメージした座席が導入されており、天井からの車内吊り広告がないスマートな空間がより一層その華やかさを引き立てています。

 

1号車の車体側面(2019年1月)

1号車・2号車の座席(2019年1月)

 

3号車・4号車では、扉を入ったすぐのデッキ部分が格子状のエントランスとなっており、まるで京町屋のような雰囲気を醸し出しています。この格子は客席との仕切りの役目を果たしており、落ち着いた座席空間を演出しています。

 

4号車の車体側面(2019年1月)

デッキ部分に設置された格子状の仕切り(2019年1月)

 

座席上部には半透明のパーティションが設置されており、座席空間の個室感をより一層高めています。

 

座席上部に取り付けられた半透明のパーティション(2019年1月)

個室空間を感じられる座席(2019年1月)

 

窓側の壁には小さなテーブルが取り付けられており、携帯電話やドリンクなどが置けるようになっています。

 

座席に取り付けられた小さなテーブル(2019年1月)

 

さらに、座席の背もたれは畳地になっている他、座席に配されている模様も和柄が描かれています。

 

畳地となっている座席背もたれ(2019年1月)

座席に描かれる和柄(2019年1月)

 

車両の天井に埋め込まれたライトもお洒落であり、車内をより印象的にライトアップしています。

 

車内の照明(2019年1月)

 

5号車・6号車では、グリーンを基調とした「麻の葉」をイメージした座席が採用されています。合わせて竹模様の扉が和の趣を一層引き立てています。

 

5号車・6号車の座席(2019年1月)

5号車・6号車の座席(2017年3月

 

阪急電鉄では2019年(平成31年)1月7日に京都線千里線嵐山線においてダイヤ改正を実施しましたが、その告知のために1月7日より1月25日までの間、10編成についてヘッドマークを掲げています。

 

1月19日ダイヤ改正のヘッドマークを掲げる車両(2019年1月)

 

このダイヤ改正では列車種別として新たに快速特急Aを設けており、京とれいんは快速特急Aとなります。停車駅は大阪梅田、淡路、桂、烏丸、京都河原町に変更されており、十三駅には停車しません。十三駅ではホームドアを設置するため、その2扉が車両の前後に寄せられている京とれいんでは、ホームドアが設置された新たな十三駅には対応できないとして通過することになったそうです。なお、京とれいんはダイヤ改正開始日となる1月19日より2月27日まで車両点検のため運転休止となり、8300系(6両編成)による代行となります。

 

2扉の「京とれいん」6300系(2019年1月)

2扉の「京とれいん」6300系(2017年3月)

 

快速特急A「京とれいん」の大阪梅田駅発車時刻は10時32分、12時32分、14時32分となり、京都河原町駅発車時刻は11時41分、13時41分、15時41分となります。

 

ダイヤ改正以前の「京とれいん」河原町駅発車時刻(2017年3月)

 

また、このダイヤ改正では快速特急も設定されており、快速特急の大阪梅田駅発車時刻は9時32分、11時32分、13時32分、15時32分となり、京都河原町駅発車時刻は10時41分、12時41分、15時41分となっています。この快速特急は一般車両で運行されていますが、2019年(平成31年)3月より新たな観光特急「京とれいん 雅洛(がらく)」となっています。

 


浜中津橋とトラス橋

桁橋(けたばし)とは橋台の上に橋桁を渡しただけの橋のことであり、その構造が最もシンプルな橋といえます。この橋を電車が通れば、電車の重みにより橋桁はたわんでしまいます。

桁橋の模式図

橋桁の上端には橋桁の中央へ向かって圧縮しようとする力が生じ、橋桁の下端には橋桁の両端に向かって引っ張ろうとする力が生じます。コンクリートは引っ張る力に弱いため、引っ張る力が生じる橋桁の下端は鉄筋などで補強されています。そこで、変形しにくい橋にするため橋桁をトラス構造で補強した橋が生み出されました。トラス構造は細長い材料を三角形に組んだものですが、横から力を加えても変形がしにくくなっています。トラス構造により作られた橋をトラス橋といいます。

 

阪急神戸線中津駅付近のトラス橋(2019年6月)

 

大阪神戸間に鉄道が敷設された1874年(明治7年)、この路線間に下十三川橋梁9連、水戸川橋梁1連、神崎川橋梁17連、武庫川橋梁12連が架橋されました。これがわが国で初めての鉄道用トラス橋(鉄製)ということになります。

 

浜中津橋(2019年6月)

 

このトラス橋はイギリス人技師であるジョン・イングランドが設計を担当し、イギリスのダーリントン・アイアン社で製造されました。しかし現在では、当時大阪神戸間において架けられたこれらのトラス橋はすべて撤去されてしまっており、鉄道橋としては現存していません。

 

浜中津橋(2019年6月)

 

これらのトラス橋のいくつかは周辺の道路橋などに転用されており、大阪市北区中津にある浜中津橋はその一つとされています。

 

足元に「濵中津橋」と書かれている(2019年6月)

 

浜中津橋は当時、下十三川橋梁として大阪神戸間の鉄道路線上にありましたが、1909年(明治42年)頃には十三小橋として道路橋に転用されています。

 

浜中津橋(2019年6月)

 

さらに、1935年(昭和10年)に現在の浜中津橋として転用され、現在に至っています。

 

浜中津橋として利用されるトラス橋の一部(2019年6月)

 

また、このトラス橋は橋脚と橋脚の間の長さ(支間)が21.3メートル(70フィート)しかなく、わが国で用いられた鉄道橋のトラス橋としては最も短いものとなっています。

 

足元に「はまなかつはし」と書かれている(2019年6月)

 

そのつくりでは、トラスの交わる点においてピンによる結合を用いています。こうした方法をピントラスとよんでいます。

 

ピンによる結合部分が見える(2019年6月)

 

浜中津橋へは阪急中津駅から歩いてアクセスすることができます。

 

浜中津橋(2019年6月)

 

阪急大阪梅田駅から乗車した場合はその次の駅ということになります。

 

十三大橋の東側を大阪梅田方面へ向かう阪急電車(2019年6月)

 

なお、中津駅付近には阪急神戸線、宝塚線、京都線の線路が走っていますが、京都線には中津駅のホームがありませんので、京都線では中津駅で降りることはできません。

 

阪急神戸線・宝塚線・京都線の3路線が走る中津駅近くの鉄橋(2019年6月)

 

中津駅で降車し、改札口は大阪梅田駅寄りに一つしかありませんので、この改札口より外に出ます。

 

阪急電車(2019年6月)

 

改札を出て右へ行き、西出口の階段を上って高架道路(国道176号線)へと出ます。線路に沿って、右手に中津駅を見ながら、十三方面へ国道176号線を歩いて行きます。しばらく歩くと、左手には中津浜の交差点に大阪シティバス中津営業所が見えます。

 

大阪シティバス中津営業所(2019年6月)

 

さらに、淀川の方へ向かって歩くと、十三小橋、十三大橋が見えます。

 

十三大橋(2019年6月)

 

十三小橋のすぐ横に水色の浜中津橋があります。

 

十三小橋のすぐ左に水色の浜中津橋が見える(2019年6月)


嵐山線の沿線風景

嵐山線桂~嵐山間を結ぶ短い路線です。その歴史は1928年(昭和3年)に新京阪鉄道が桂~嵐山間を開通したことにはじまります。

 

嵐山駅(2017年7月)

 

1930年(昭和5年)には、京阪電気鉄道がこの新京阪鉄道を合併したことにより嵐山線京阪電気鉄道の路線となりました。さらに1943年(昭和18年)には、京阪電気鉄道阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄となったことから、同社の路線となります。その後、京阪神急行電鉄阪急電鉄となったため阪急嵐山線となりました。

 

嵐山駅ホーム(2017年7月)

 

嵐山線への直通列車

神戸本線および京都本線直通列車が初めて運行されたのは1949年(昭和24年)のことであり、翌年には宝塚駅から今津線および京都本線への直通列車が運行されています。また、1970年(昭和45年)には大阪万博に際して、神戸本線や宝塚本線から千里線の臨時駅となる万国博西口駅への「EXPO直通列車」も運行されています。その後、30年以上にわたり直通列車は運行されていませんでした。

 

2008年(平成20年)、嵐山観光のための臨時列車として神戸本線から京都本線嵐山線への直通列車(西宮北口~十三~嵐山)が初めて運行されました。停車駅は西宮北口~十三までの各駅、桂~嵐山までの各駅でした。その後も、列車種別や運行経路、停車駅を変更しながら、嵐山線直通臨時列車が幾度となく運行されています。

 

嵐山の風景(2017年7月)

 

2011年(平成23年)には、嵐山直通臨時列車に愛称が与えられ、たとえば高速神戸~嵐山間の直通特急には「あたご」、宝塚~(今津線経由)~嵐山間の直通特急には「とげつ」、天下茶屋~(地下鉄堺筋線経由)~嵐山間の直通特急には「ほづ」と名付けられました。「あたご」は京都市右京区の北西部にある愛宕山、「とげつ」は桂川に架かる渡月橋、「ほづ」は京都府を流れる保津川の名に由来します。

 

桂川(2017年7月)

 

 

国内外から年間1,600万人にもおよぶ観光客が訪れる嵐山の中でも、最も有名な場所が愛宕山と嵐山をその背景として渡月橋桂川の織りなす風景です。

 

桂川(2017年7月)

 

渡月橋」の名は、亀山上皇がその姿を「くまなき月の渡るに似る」と語ったことから付いたとされ、その長さは155メートルになります。

 

渡月橋(2017年7月)

 

嵐山は平安時代にはすでに有名な景勝地でしたが、この時代の人々が好んで見た景色は、渡月橋から西へ500メートルほど行った小高い場所にある亀山公園から見た保津峡の風景だったといいます。

 

桂川の風景(2017年7月)

嵐山の風景(2017年7月)


 

東向日駅と西国街道

西国街道は京から西国へ向かう古くからの街道です。向日市の古い記録によると、天下統一を果たした豊臣秀吉が計画した朝鮮出兵のために、街道沿いの田畑を取り込んで道幅を拡大したことが記されており、幹線道路として整備されたことがわかります。江戸時代に入ると、京へ上ったり、西山に点在する名刹や神社を訪ねたりする人々が往来したため、この街道はますます賑わうようになりました。西国街道の起点となる京都の東寺口を出発してからここまでは平坦な道ですが、ここから先は緩やかな上り坂が続きます。この辺りは昔から梅ノ木とよばれ、江戸時代前期の洛外図屏風には「梅ノ木茶屋」とあり、坂の手前でひと休みできる店が道沿いに並ぶ様子が描かれています。

 

東向日駅近くに立つ石柱道標(2018年11月)

 

町内に建てられた愛宕灯籠を見ながら坂道を上りきったところが向日町ですが、豊臣秀吉による西国街道整備の一環として作られた歴史を誇る町場となっています。向日町には、江戸時代より100軒ほどの商家や職人の家々が軒を連ね、明治時代になると役所・学校・郵便局・警察署などが建設され、乙訓地域の商業・文化・政治の中心地となりました。今でも民家や商店が残っており、往時の様子を偲ぶことができます。


洛西口駅と物集女駅

京都本線の桂駅と東向日駅の間には洛西口駅があります。この洛西口駅は比較的新しく2003年(平成15年)に開業しています。

 

洛西口駅(2016年9月)

 

以前は、桂駅と東向日駅の間には物集女(もずめ)駅がありましたが、この駅は1946年(昭和21年)に開業して1948年(昭和28年)に廃止となっています。洛西口駅の開業直後、2008年(平成20年)に京都市と阪急電鉄が洛西口駅から桂駅にかけての間の高架化工事に着手し、高架駅となりました。

 

洛西口駅高架化工事の様子(2016年9月)
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