1.ローカル線の魅力 2.汐見橋駅の歴史 Θ地下鉄桜川駅Θ 3.通称「汐見橋線」 4.複雑な事情のある「岸里玉出駅」
汐見橋駅に停車する「汐見橋線」の車両(2019年8月)
ローカル線の魅力
都心部の鉄道に対して、昔ながらの古い車両が走り、昔ながらの古い駅舎に到着するという風景を、令和になった今でもまだ見ることができます。
木野駅を出発して鞍馬方面へ向かう叡山電車(2019年4月)
こうした風景には郷愁を感じますが、少しずつそうした風景も消えつつあります。
阪堺電車の北天下茶屋停車場付近の様子(2016年10月)
ローカル線の魅力の一つには、都心部ではない場所、たとえば人があまりいないところや緑豊かな日本の原風景の中を、乗客もあまり乗っていない1両編成の電車に揺られながら、のんびりと旅をするというようなところにあります。
京都丹後鉄道の普通列車(2018年4月)
ローカル線という言葉を使う場合には、都心部などに比べると輸送量の比較的少ない鉄道路線を表すように思いますが、「a local line」にイメージが近いように感じます。「local」という言葉は英和辞典によると「場所の」「土地の」や「(特定の)地方の」「地元の」などの意味があります。また、「a local line」は「地方鉄道」、「a local train」は「普通列車(各駅停車)」を表します。
汐見橋駅の歴史
ローカル線の魅力を有しながら、大阪の随一の繁華街なんばから西へ約15分ほどの始発駅から走り出す通称「汐見橋線」という路線があります。その始発駅は汐見橋駅といい、大阪市内の真ん中に小さな駅がひっそりと建っています。
汐見橋駅北側入口(2017年7月)
この駅舎だけ見ると、ここが大都会の中心部なのかと疑ってしまいます。
汐見橋駅東側入口(2019年8月)
汐見橋駅は1900年(明治33年)、高野鉄道が「道頓堀駅」として開業した歴史のある駅です。高野鉄道は1896年(明治29年)に設立された鉄道会社です。
汐見橋駅改札口(2017年7月)
汐見橋駅は現在1面2線をもつ小さな駅となっていますが、汐見橋線がかつて貨物輸送が盛んだった頃にはその西側に貨物ヤードもあったといいます。
汐見橋駅ホーム(2017年7月)
汐見橋駅を開業した高野鉄道が1898年(明治31年)、大小路(現在の堺東)~狭山間を開通した後、その路線は長野(現在の河内長野)まで南伸されました。
河内長野駅に停車する南海電車の車両(2016年10月)
北への延伸については、高野鉄道は難波への延伸を企図していましたが、南海鉄道(現在の南海電気鉄道)との計画が重複したため許可が下りず、道頓堀駅(現在の汐見橋駅)までの延伸を実現し、1900年(明治33年)に現在の汐見橋駅は開業しています。
阪神桜川駅入口から見る汐見橋線の車両(2019年8月)
当時の汐見橋付近は交通の要衝であり、大阪鉄道の湊町駅(現在のJR難波駅)があった他、貨物駅としても大いに賑わったようです。
現在の汐見橋駅改札口(2017年7月)
その後、1907年(明治40年)になると、高野鉄道はその事業を高野登山鉄道に譲渡します。高野登山鉄道は1915年(大正4年)に汐見橋~橋本間を開通した後、その業績が向上したため資本金を増資して大阪高野鉄道と社名変更しました。
現在の汐見橋駅改札口(2017年7月)
地下鉄桜川駅
通称「汐見橋線」の起点となる汐見橋駅付近の地下には、地下鉄千日前線と阪神なんば線の駅がありますが、この駅は汐見橋駅ではなく「桜川駅」となります。
阪神桜川駅への入口(2017年7月)
桜川駅は1969年(昭和44年)、当時の大阪市営地下鉄(現在の「Osaka Metro」)5号線(現在の千日前線)の野田阪神~桜川駅間の開通と同時にその終着駅として開業しています。後に千日前線は延伸され、桜川駅は途中駅となりました。
地下鉄桜川駅駅名標(2017年7月)
2009年(平成21年)になると、当時の阪神西大阪線(現在の阪神なんば線)が西九条~大阪難波間へと延伸して近鉄難波線と接続して開業した際に、桜川駅は誕生しています。
汐見橋駅に隣接する阪神桜川駅(2019年8月)
大阪高野鉄道と、橋本~高野山方面への工事に着手していた高野大師鉄道を合併したのが南海鉄道(現在の南海電気鉄道)です。南海鉄道は1925年(大正14年)に橋本~高野山(現在の高野下)間を開通させています。
橋本駅駅名標(2016年10月)
このとき、岸ノ里駅(後に隣接する玉出駅と合併し岸里玉出駅となる)に高野線と南海本線の連絡橋が完成し、それまではすべての高野山方面への直通列車が汐見橋駅起点となっていましたが、難波を起点とする列車が運行されるようになりました。さらに、南海鉄道は高野山電気鉄道を設立し、1929年(昭和4年)に高野下~極楽橋間を開通させ、後の南海高野線を全通させています。
汐見橋駅駅舎(2019年8月)
C10001形蒸気機関車は1946年(昭和21年)、汐見橋~河内長野間における急行列車の牽引車として登場しました。当時のダイヤでは、夕方2列車が汐見橋駅を出発して河内長野駅に向かい、翌朝その2列車が河内長野駅を出発して汐見橋駅へと戻るというものでした。
河内長野駅に停車する南海電車の車両(2016年10月)
客車にはサハ3800形とよばれた木造車が2両連結され、その停車駅は汐見橋~住吉東までの各駅と堺東、三国ヶ丘、初芝、北野田でした。1949年(昭和24年)に蒸気機関車による急行列車が廃止されると貨物輸送に従事した後、片上鉄道へと譲渡されています。
天下茶屋駅に停車する「なんば行き」(2017年1月)
通称「汐見橋線」
現在でも高野線の起点は汐見橋駅であり、終点は極楽橋駅となっています。しかしながら、運行系統上では、高野線とは難波~極楽橋間を運行する系統の列車をさし、汐見橋~岸里玉出間の折り返し運転のみを行う区間を通称「汐見橋線」とよんでいます。
汐見橋駅に停車する折り返し運転の車両(2019年8月)
高野線は汐見橋~極楽橋間を結ぶ路線ですが、実際には汐見橋~岸里玉出間と岸里玉出~極楽橋間は線路が分断されています。そのため、運行系統上は難波駅(通称「なんば駅」)~岸里玉出間は南海本線、岸里玉出~極楽橋間は高野線を走る直通運転となっています。
汐見橋線車両の車内(2019年8月)
複雑な事情のある「岸里玉出駅」
1900年(明治33年)に高野鉄道が大小路(現在の堺東)~道頓堀(現在の汐見橋)間を延伸開業した際、勝間駅(後の岸ノ里駅)を設置しました。この駅は1903年(明治36年)に阿部野駅(後の岸ノ里駅)と改称されます。
汐見橋駅に停車する汐見橋線の車両(2019年8月)
1907年(明治40年)になると、南海鉄道(現在の南海電気鉄道)が天下茶屋~玉出駅間に岸ノ里駅を設置しました。その後、1922年(大正11年)に南海鉄道(現在の南海電気鉄道)が大阪高野鉄道を合併し、1925年(大正14年)には阿部野駅を岸ノ里駅と改称しました。これに伴い、南海本線と高野線を結ぶ連絡線が開設されたため、高野線の列車が汐見橋駅だけではなく、難波駅への乗り入れを開始しています。
天下茶屋駅ホーム(2017年1月)
しかしながら、当時の岸ノ里駅では難波駅から高野線への直通列車用ホームは設置されなかったため、難波駅から高野線への直通列車は岸ノ里駅を通過していました。この連絡線は1926年(大正15年)に複線化され、これと同時に現在の汐見橋線と南海本線を結ぶ連絡線も複線で設けられました。この後、岸ノ里駅は近畿日本鉄道の駅を経て、1947年(昭和22年)には南海電気鉄道の駅となります。
天下茶屋駅に到着する各駅停車「なんば行き」(2016年10月)
1970年(昭和45年)になると、高野線の難波駅直通列車用ホームが設置され、1985年(昭和60年)には、汐見橋線と高野線が分断されました。さらに、1993年(平成5年)に南海本線が高架化され、その駅間がたった400メートルしかなかった岸ノ里駅と玉出駅は統合され、岸里玉出駅が誕生しました。
岸里玉出駅駅名標(2019年8月)
その後、高野線も高架化され、現在に至ります。下の写真は、現在の南海本線と高野線の分岐の様子です。手前の列車が和歌山方面行きの南海本線を走る列車であり、その陰から写真右手へ向かっていく列車が高野線へと分岐していく列車です。
南海本線と高野線の分岐(2019年8月)
現在の岸里玉出駅は普通列車しか停車しない駅でありながら、高野線、南海本線、汐見橋線が乗り入れます。1番線・2番線となる高野線ホームは2面2線の相対式ホーム、3番線・4番線となる南海本線ホームは1面2線の島式ホーム、5番線は通過線のためホームはなく、6番線となる汐見橋線ホームは1面1線の単式ホームとなっています。
6番線汐見橋線ホーム(2019年8月)
下の写真で見ると、最も右の線路が6番線汐見橋線であり、奥(南側)に車止めが見えます。中央の線路が5番線の通過線であり、難波方面へ向かう特急列車などが通過します。その左の線路が4番線であり、南海本線の上り線となっています。
6番線南側の車止め(2019年8月)
次の写真の左側には、汐見橋から来た岸里玉出駅行きの列車が6番線ホームに入るのが見えますが、写真の右手の方には3番線を走る和歌山方面行きの列車の最後尾の車両が見えます。
岸里玉出駅6番線に到着する汐見橋線の車両(2019年8月)