忠臣蔵のふるさと「播州赤穂駅」と片上鉄道の歴史

1.赤穂線 2.片上鉄道の歴史 3.忠臣蔵と播州赤穂駅

 

伊部駅を出発する赤穂線の車両(2018年4月)


赤穂線

赤穂線は相生(あいおい)~東岡山間を結ぶ路線であり、起点の相生駅、終点の東岡山駅の両駅で山陽本線に接続しています。

 

播州赤穂駅駅前広場(2018年4月)

 

姫路駅を出発して西へ向かう山陽本線は相生駅で二股に分かれます。山側を走る路線は山陽本線であり、上郡駅、東岡山駅を経由して岡山方面へとつながります。

 

赤穂線の黄色い車両と並ぶ神戸方面へと向かう車両(2018年4月)

 

一方、海側を走る路線は赤穂線であり、播州赤穂駅、日生駅、備前片上駅、伊部駅を経由して東岡山駅へとつながります。

 

播州赤穂駅駅名標(2018年4月)


片上鉄道の歴史

赤穂線の備前片上駅~伊部駅間に西片上駅がありますが、かつてこの西片上駅の近くに同和鉱業片上鉄道の起点となる片上駅がありました。片上鉄道線片上駅より北上し、岡山県の柵原(やなはら)町(現在の美咲町)までを結んでいました。

 

普通「姫路行き」223系(2018年4月)

 

柵原町は吉備高原に位置し、かつては同和鉱業の硫化鉄の鉱山である柵原鉱山で栄えました。片上鉄道はこの鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港へと輸送するために敷設されました。1923年(大正12年)には片上~和気間、和気~井ノ口間が相次いで開業し、1931年(昭和6年)になると井ノ口~柵原間が開業して全通となり、鉱石輸送に加えて地元の足としても利用されるようになりました。33.8キロの路線は吉井川沿いに敷設されており、その車窓からは美しい景色が見えたといいます。

 

赤穂線の車両(2018年4月)

 

しかしながら、柵原鉱山の産出量減にともない、その輸送は徐々にトラックでの輸送へと切り替えられていきました。また、旅客輸送についても、鉱山労働者の減少と沿線地域の過疎化のため乗客数は大きく減少してしまいました。そして、ついに1991年(平成3年)、全線が廃線となってしまいました。終点の柵原駅の一つ南にあった吉ヶ原(きちがはら)駅には、かつて操車場や貨物ホームがありました。現在、この敷地は柵原ふれあい鉱山公園として整備されて資料館がある他、旧吉ヶ原駅舎や当時の貨車や客車が保存されています。この車両は動態保存されており、わずか総延長300メートル、平均時速は10~15キロ程度ですが、吉ヶ原~黄福柵原(こうふくやなはら)間を月に1度だけ運行しています。吉ヶ原駅も黄福柵原駅も三角屋根を擁する木造駅舎であり、往時の雰囲気を味わうことができます。

 

赤穂線「備中高梁行き」(2018年4月)


忠臣蔵と播州赤穂駅

元禄時代、江戸城の廊下で吉良上野介(きらこうずけのすけ)が播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に斬りつけられたとして、浅野内匠頭が切腹に処せられました。

 

播州赤穂駅構内に展示される「忠臣蔵」関連品(2018年4月)

 

その後、浅野内匠頭の家臣である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら47人が、吉良邸に討ち入りし、吉良上野介らを討ったといいます。

 

播州赤穂駅構内に展示される「忠臣蔵」関連品(2018年4月)

 

この一連の事件は赤穂事件とよばれ、この赤穂事件をもとにした作品は「忠臣蔵」として語り継がれています。

 

播州赤穂駅構内に展示される「忠臣蔵」関連品(2018年4月)

 

この赤穂事件のゆかりの地となるのが、兵庫県南西部に位置する赤穂市であり、その中心駅となるのが播州赤穂駅です。播州赤穂駅は1951年(昭和26年)に赤穂線の当時の終点として開業されました。

 

播州赤穂駅から姫路方面へ続く線路(2018年4月)

 

現在ではJR神戸線、JR京都線、琵琶湖線を経由して米原方面へ向かう播州赤穂駅発の新快速も設定されています。

 

播州赤穂駅駅前広場(2018年4月)

 

塩味饅頭は「しおみまんじゅう」と読みます。

 

赤穂名物「塩味饅頭」(2018年4月)

 

塩味饅頭赤穂市の名産品であり、その発祥は江戸時代に遡るといわれています。シンプルな味でとても美味しいです。

 

赤穂名物「塩味饅頭」(2018年4月)