野田駅と大阪市場線廃線跡

1.野田駅と野田阪神駅 2.野田城跡 3.大阪市場線と大阪市中央卸売市場 4.大阪市場線廃線跡「野田緑道」

 

大阪市場線の廃線跡「野田緑道」(2019年8月)


野田駅と野田阪神駅

現在、阪神電気鉄道の本社は野田駅の北側にあります。北大阪線が1914年(大正3年)に開業し、この場所がその起点となったこともあり、阪神電気鉄道にとっては大切な場所の一つといえます。この地に1918年(大正7年)、大阪市電の野田線(玉川町三丁目~野田阪神電車前)が開業することになりますが、阪神電気鉄道野田駅の前に設置した大阪市電の駅名を野田阪神電車前としました。大阪市電が私鉄の社名を駅名に入れたのは、一つには大阪市電の西野田線(船津橋~兼平町)にすでに野田停車場(現在の大阪環状線野田駅付近)があったからのようです。

 

野田駅(高架)と野田阪神前交差点(2017年7月)

 

ちなみに、1997年(平成9年)にJR東西線をこの地に通したJR西日本はその名を避けたのか、その駅名を海老江駅としています。また、現在でも阪神電気鉄道野田駅との乗換駅となっている地下鉄の駅名も野田阪神駅となっています。

 

地下鉄千日前線野田阪神駅駅名標(2017年7月)

 

この阪神電気鉄道野田駅から500メートルほど南に行った場所にあるJR西日本の野田駅は1898年(明治31年)、西成鉄道大阪~安治川口間を開通した際に、旅客および貨物を取り扱う一般駅として設置されています。その後、西成鉄道が国有化されたことにより国鉄の駅となり、1909年(明治42年)には線路名称が「西成線」と設定されたため、西成線の所属駅となりました。

 

野田駅駅名標(2019年8月)

 

大阪環状線では奈良方面へ向かう大和路快速、関西空港へ向かう関空快速、和歌山方面へ向かう紀州路快速、また特急「はるか」特急「くろしお」なども走るため、さまざまな列車がはげしく往来します。しかしながら、野田駅ではこれらの列車がすべて通過してしまうため、昼間の特に12時~15時の時間帯においては1時間に4~5本ほどの列車しか停車しません。都会の真ん中でありながら昼間はひっそりとした駅に感じてしまうこともあります。野田駅地下鉄千日前線玉川駅と隣接しており乗換駅となっています。この野田駅と玉川駅が交差する南東方向に野田城跡の石碑が立っています。

 

JR野田駅近くのマンションの一角に立つ石碑(2019年8月)


野田城跡

野田城は戦国時代にこの辺りにあった平城ですが、野田城跡はすでに住宅地となってしまっており、どのような城郭であったのかはよくわかっていません。

 

もう一つの野田城跡の石碑(2019年8月)

 

住宅地を東へと入っていくと極楽寺というお寺があり、そこにも野田城跡の石碑が立っています。

 

極楽寺(2019年8月)


大阪市場線と大阪市中央卸売市場

大阪市中央卸売市場は大阪市内にある中央卸売市場であり、現在では本場・東部市場・南港市場の3市場が開設されています。このうち、大阪市中央卸売市場本場は大阪市福島区にあり、その取扱高は豊洲市場(東京)に次いで国内第2位を誇ります。

 

大阪市中央卸売市場本場(2019年8月)

 

1931年(昭和6年)に当時の關一(せきはじめ)大阪市長により現在地に開設されました。社会政策論および都市計画論を専攻していた關一は大蔵省、高校教諭、大学教授を経て、1923年(大正12年)に第7代大阪市長となりました。都市計画に関する知識を生かして、御堂筋の拡幅、大阪市バス事業の開始、大阪港の建設、地下鉄の建設、大阪駅前の区画整理、大阪城公園の整備などに加えて大阪市中央卸売市場の開設し、いわゆる「大大阪時代」を実現しています。

 

大阪市場線廃線跡の先に卸売市場が見える(2019年8月)

 

大阪市中央卸売市場本場の開設にともない、当時の国鉄西成線(現在の大阪環状線の一部)の野田駅付近から線路を分岐して市場へと至る貨物線の計画が立案されました。土地買収に難航したものの、1931年(昭和6年)に貨物線として開通しました。当時は野田駅の横に貨物ヤードが設置され、ここより貨物線に入って大阪市中央卸売市場本場に設置された大阪市場駅へと乗り入れていました。

 

大阪市場線廃線跡の先に卸売市場が見える(2019年8月)

 

1961年(昭和36年)に城東線と西成線を合わせて大阪環状線が成立しますが、これよりこの貨物線は大阪環状線貨物支線(通称「大阪市場線」)となりました。このとき、大阪環状線のうち大阪~野田~西九条間についてはいまだ高架線とはなっておらず、大阪環状線となったものの、西九条で分断されており、本来の環状運転は行われていませんでした。これは、大阪西九条~(現在のJRゆめ咲線)~桜島間が西成線(旧西成鉄道であったことに由来します。

 

京都鉄道博物館に保存される103系電車(2019年1月)

 

その後、1964年(昭和39年)にようやく旧西成線の高架化工事が完了し、大阪環状線は高架線となり環状運転が開始されることになります。このとき、大阪市場線梅田駅(通称「梅田貨物駅」)から通称「梅田貨物線」を経由して野田駅にて分岐し、高架となった大阪環状線の下を通り大阪市場駅へ至るように変更されています。

 

昭和39年以降の大阪市場線のイメージ図

最盛期には大阪市場駅より数多くの生鮮食料品が出荷されていましたが、その役割は車に取って代わられるようになり、1985年(昭和60年)に大阪市場線は廃止となっています。

 

大阪市場線廃線跡(2019年8月)


大阪市場線廃線跡「野田緑道」

現在では、上図の紫線の部分は線路はなくなり、野田緑道という遊歩道になっています。

 

野田緑道の傍らに立つ名標(2019年8月)

 

野田駅から大阪環状線の線路沿いに西九条方面に少し歩いて、線路と平行に走る道路の南側に病院があります。野田6丁目の交差点の少し東側ということになりますが、この病院の辺りから野田緑道に入ることができます。

 

野田緑道に少し入り大阪環状線の線路を振り返る(2019年8月)

 

野田緑道に入り南へと下ります。緑道は緩やかなと弧を描いています。

 

野田緑道に入り南方向を見る(2019年8月)

 

線路跡とおぼしき場所を歩いて行きます。

 

野田緑道(2019年8月)

 

車道により緑道が一旦途切れますが、信号を渡ると、弧を描いていた緑道が東方向に続いています。そして、緑道の先に大阪市中央卸売市場の建物が見えてきます。野田緑道が終わると、大阪市中央卸売市場に到着します。

 

野田緑道の先に卸売市場が見える(2019年8月)