和歌山城の歴史と特急「くろしお」

1.和歌山城(虎伏城/竹垣城)の歴史 2.特急「くろしお」

 

和歌山城(2019年7月)


和歌山城(虎伏城/竹垣城)の歴史

和歌山城は市内中心部にあり、和歌山駅または和歌山市駅からのアクセスが可能です。和歌山駅からは少し距離があるので、駅前から和歌山バスに乗車し、所要時間は5分程度で到着します。

 

和歌山駅の階段に描かれる和歌山城(2019年7月)

 

もう一つのアクセス駅である和歌山市駅には南海電気鉄道およびJR線が乗り入れていますが、和歌山市駅からは徒歩10分ほどで和歌山城へ行くことができます。

 

南海電車とJRの共同使用となる和歌山市駅(2019年7月)

 

和歌山城は和歌山県の北西部、紀ノ川の下流に位置し、江戸時代には「虎伏山(とらふすやま)竹垣城」とも呼称されました。

 

和歌山城入場券(2019年7月)

 

虎伏山竹垣城」の名は和歌山城のある山を海上から見ると猛虎が伏せている姿に見えたからだといいます。

 

和歌山城内の虎の像(2019年7月)

 

そのため、今でも「虎伏城」や「伏虎城」などともよばれます。和歌山城内には1959年(昭和34年)に建てられた虎の像があります。

 

和歌山城内にある虎の像(2019年7月)

 

紀州を平定した羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は弟の秀長に命じて、1585年(天正13年)に紀ノ川河口の岡山(現在の虎伏山)の山頂部分に城を築かせました。このとき、普請奉行には藤堂高虎が任じられ、突貫工事により五層の天守を構えた本丸と二の丸が築かれました。

 

天守閣から見た紀ノ川(2019年7月)

 

その後、秀長郡山城へ移り、関ヶ原の戦いまでは城代として桑名氏和歌山城に居城することになりました。そして、1600年(慶長5年)以降は浅野氏が居城することになり、浅野氏は連立式天守を建築し、現在の本丸・二の丸および西の丸に屋敷を造営しています。

 

本丸御殿跡から見た天守(2019年7月)

 

また、大手門を岡口門より一の橋方面へと移設し、本町通りを大手筋として城下町を整備しました。

 

岡口門付近を上から見る(2019年7月)

 

1619年(元和5年)になると、徳川家康の第10子となる徳川頼宣が55万5千石を拝領し、紀州太守として赴任しました。徳川頼宣は西国随一の要衝となる紀州にあり、西国諸藩の監視という重責を担い、徳川御三家(尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家)の一つである紀州藩の創始者となりました。

 

天守から見た景色(2019年7月)

 

徳川頼宣二の丸を西へと広げ、砂の丸・南の丸を新たに造営しました。その後、紀州徳川家からは8代将軍吉宗と14代将軍家茂を輩出しています。

 

天守を見上げる(2019年7月)

 

和歌山城の内郭(二の丸より内側の地域)に入る正面の門が大手門であり、この門を外へ出たあたり一帯が三の丸です。

 

大手門・一の橋(2019年7月)

 

この大手門は、江戸時代の中頃までは市之橋御門よばれていましたが、1796年(寛政8年)に大手門と改称されています。

 

一の橋から見た北堀(2019年7月)

 

この門は1909年(明治42年)に倒壊しましたが、1983年(昭和58年)に古い写真などをもとにして復元されたものです。

 

大手門・一の橋(2019年7月)

 

この門の形式は高麗門形式とよばれるものであり、その間口は約11メートルとなっています。この門が復元された翌年には一の橋も復元されています。

 

一の橋付近に立つ城内案内図(2019年7月)

 

大手門をくぐり中へ入ると、右手の石垣の上に大きなクスノキが見えます。

 

一の橋樟樹(2019年7月)

 

この大きな木は「一の橋樟樹(くすのき)」とよばれ、1958年(昭和33年)に県指定文化財/天然記念物となっています。この木の幹の周囲は7メートル、樹高は25メートルにもなり、巨大な樹冠を形成しています。

 

一の橋樟樹(2019年7月)

 

太い枝を四方にのばし、約35メートルにもおよぶ城内最大の樹木となっています。その推定樹齢は約450年といわれています。1945年(昭和20年)の和歌山大空襲で損害を受けていますが、樹勢が回復し、今日に至っています。

 

城内の風景(2019年7月)

 

和歌山城の石垣は、時代によりその石材や積み方の技法が変わるといいます。桑山氏の時代には、岡公園や和歌浦などでとれる緑色片岩(紀州青石)を中心とした結晶片岩を用いて、加工せずに自然石のままの野面積み(のづらずみ)という手法によりました。

 

城内の石垣の様子(2019年7月)

 

浅野氏の時代になると、友ヶ島などに石切場を開発し、先の結晶片岩から砂岩(和泉砂岩)へと移行していきます。この頃の石積みの方法は、石を加工してから接ぎ合わせて積むという打込みハギとなりました。

 

城内の石垣の様子(2019年7月)

 

徳川氏の時代になると、砂岩を用いた打込みハギに加えて、精密に加工して積んだ切込みハギの石垣となり、熊野の花崗斑岩も使用するようになりました。


特急「くろしお」

特急「くろしお」は京都新大阪~白浜・新宮間を結ぶ列車あり、使用される車両は287系京都新大阪~和歌山・海南・紀伊田辺・白浜・新宮)、283系新大阪~和歌山・白浜・新宮)、289系京都新大阪~和歌山・白浜・新宮)です。

 

新大阪駅に停車する287系(2019年7月)

 

また、和歌山県にあるテーマパーク「アドベンチャーワールド」とJR西日本が協力して誕生したラッピング列車「パンダくろしお『Smileアドベンチャートレイン』」が運行されることもあります。「パンダくろしお『Smileアドベンチャートレイン』」を企画するアドベンチャーワールドは和歌山県白浜町にある動物園・水族館・遊園地が一体となったテーマパークです。1978年(昭和53年)の開業当初は「南紀白浜ワールドサファリ」という施設名でした。1988年(昭和63年)には中国からジャイアントパンダ2頭が来園し、現在では永明(えいめい)、良浜(らうひん)、桜浜(おうひん)、桃浜(とうひん)、結浜(ゆいひん)、彩浜(さいひん)の6頭のジャイアントパンダを見ることができます。

 

オーシャンアロー車両が描かれる和歌山駅の階段(2019年7月)

 

287系は車内のレイアウトに配慮した車両であり、座席間隔や足元スペースをゆったりと広くとってあります。バリアフリーにも対応するなどすべての人にやさしい車両となっています。また、低騒音対策を施しており、より静かな車内環境を実現しています。283系はかつて「オーシャンアロー」として運行されたオーシャンアロー車両です。その車体をまとう鮮やかなブルーは南国へのリゾート感を演出し、その先頭車両のライトはまるでイルカの目のように鋭いまなざしが感じられます。なお、2012年(平成24年)のダイヤ改正により「オーシャンアロー」は姿を消し、すべての特急列車が「くろしお」となりました。289系はかつて「しらさぎ」として運行していた683系の車両を形式変更したものであり、2015年(平成27年)より「くろしお」として運行しています。

 

京都鉄道博物館に展示される特急「くろしお」キハ81系(2019年1月)