交流電化発祥路線「仙山線」

1.仙山線 2.直流電化と交流電化 3.仙石線

 

交流電化発祥の地「作並駅」(2017年9月)


仙山線

仙山線は、仙台駅と山形県の羽前千歳(うぜんちとせ)駅間58キロを結ぶ路線であり、ベッドタウンとして発展する北仙台、国見、葛岡(くずおか)と通勤・通学の人たちを運びます。

 

仙山線の車両(2020年1月)

 

その先は山間部を行き、作並温泉(さくなみおんせん)や立石寺(りっしゃくじ)を通り過ぎて、山形へと到着します。仙山線はもともと東西に分けて建設が進められてきました。まず、1929年(昭和4年)に仙台~愛子(あやし)間が仙山東線として開業し、その後1931年(昭和6年)に作並まで延伸されます。一方、仙山西線は1933年(昭和8年)に羽前千歳~山寺間が開通しています。


直流電化と交流電化

日本の鉄道の歴史直流電化からはじまります。それは電車用の直流モーターがその回転速度に関わらず、電車が動きはじめの低速度においても強い力が期待できるため、この特性を生かし、その歴史のはじめは直流モーターが使われることとなりました。直流の場合には、発電所から鉄道変電所までは高電圧で送電し、変電所でこの電圧を下げ、直流に変換して送電するという方法が取られます。この方法では多くの変電所が必要となり、人件費や設備費などが余計に必要となります。

 

交流の場合には大容量送電においても変圧器を用いて簡単に電圧を変えることができるため、高電圧で交流電気を架線から車両に直接供給し、車両内で電圧を下げ直流に変換しモーターを回すことができます。したがって、交流の場合の方が経済的であるといえるわけです。ちなみに、新幹線では高速走行において大量の電力が必要となるため交流電化を採用しています。

 

仙山線全通したのは1937年(昭和12年)のことですが、仙山線は交流電化発祥路線として国鉄の歴史にその名を刻んでいます。交流電化とは交流電源を用いる鉄道電化方式の一つであり、直流電化に比べると送電ロスが少ないため変電所の間隔を長く取ることができる他、その他の地上設備が少なくてすむので建設費やその維持費が大幅に減らすことができるというメリットがあります。

 

仙山線においては、1954年(昭和29年)より北仙台~作並間では交流電化の実験が行われた後、1957年(昭和32年)から営業運転が開始されました。仙山線の作並~山寺間では先に直流電化されていましたので、その境となる作並駅は日本で初めての交直流接続駅となりました。また、この2つの区間を直通運転するために日本で初めての交直流両用電車もつくられています。したがって、作並駅にはこれを記念して交流電化発祥の地の碑が立っています。その後、1968年(昭和43年)に仙山線は全線が交流化されることになります。


仙石線

仙石線はあおば通~石巻間50.2キロを結ぶ路線であり、その名の通り仙台・石巻間の海岸線に沿って走ります。仙石線は通勤路線と観光路線という2つの顔をもちます。仙台駅を出てしばらくは通勤路線の顔となり、走る車両も通勤車両が見られます。

 

仙石線の車両(2015年5月)

 

その一方で、観光路線としての顔も見られます。仙石線は日本屈指の景勝地である松島を走り抜けます。松島は、江戸時代の俳人である松尾芭蕉を感嘆させた場所であり、古くから安芸の宮島、天橋立と並んで「日本三景」として称賛されてきました。松島湾に浮かぶ島々はまさに日本の風景美を代表する場所として多くの人々を魅了しています。松島をはじめとして数多くの観光地を走り抜けるのが、仙石線の魅力といえます。

 

仙石線はもともと1925年(大正14年)、宮城電気鉄道(略称「宮電」)が仙台~西塩釜間を開通させたことにはじまります。宮城電気鉄道は1922年(大正11年)に設立された鉄道会社ですが、1944年(昭和19年)に国有化され、その路線が仙石線となりました。現在、東北地方のJR路線がすべて交流電化路線であるのに対し、宮城電気鉄道は直流電化路線からその歴史をはじめたため、東北地方では異色の存在となっています。仙石線はわずか50.2キロの間に30ほどの駅があり、その平均の駅間距離が比較的短くなっています。その理由はやはりもともと私鉄である宮城電気鉄道が開業した路線であるということに由来します。

 

宮城電気鉄道は仙台~西塩釜間を開通させた後、1926年(大正15年)に西塩釜~本塩釜を延伸開業します。さらに、1927年(昭和2年)に本塩釜~松島公園(現在の松島海岸)、1928年(昭和3年)に松島公園~陸前小野、陸前小野~石巻を開通させ、仙石線が全通します。その後、1944年(昭和19年)に国有化されて仙石線となり、いくつかの駅名を変更した他、新田駅、小石浜遊園駅、新富山駅を廃止します。1988年(昭和63年)には快速列車の愛称として「うみかぜ」(2004年愛称廃止)を設定しました。2000年(平成12年)になると、仙台~あおば通間を延伸開業し、その起点は仙台駅からあおば通駅に変更されました。そして、2015年(平成27年)には東日本大震災の被災による復興支援を目的とした仙石線・東北本線接続線(仙石東北ライン)の整備が完成しています。

 

仙石東北ライン(2016年12月)