日光線の歴史と大谷石の輸送

1.「駅弁発祥の地」宇都宮駅 2.日光線の歴史 3.大谷石

 

宇都宮駅(2020年1月)


「駅弁発祥の地」宇都宮駅

宇都宮駅には現在、東北新幹線および山形新幹線の他、東北本線烏山線日光線が乗り入れています。もともと宇都宮駅が開業したのは1885年(明治18年)のことであり、当時の日本鉄道(現在の東北本線)の駅として開業しました。

 

宇都宮駅(2020年1月)

 

その開業した当時の宇都宮駅では、旅館業を営んでいた白木屋が「ごま塩をまぶしたおにぎり2個とたくあん2切れ」を竹の皮で包んで販売しました。このことから、宇都宮駅は日本で初めて駅弁が販売された「駅弁発祥の地」としても知られています(諸説あり)。当時の駅弁業者としては白木屋の他、松廼屋(まつのや)、富貴堂の3軒があったといいます。

 

松廼屋「とりめし」(2016年12月)

 

日本鉄道構内営業中央会は1993年(平成5年)、4月10日は「駅弁の日」と定めました。これは「弁」という字を分解すると「4」と「十」に分けることができるということに由来します。宇都宮駅で駅弁が最初に販売されたという7月16日という案もあったそうですが、この日は駅弁記念日となっています。


日光線の歴史

日光線は栃木県の県庁所在地となる宇都宮駅と日本屈指の観光都市である日光駅を結ぶ路線であり、朝夕の通勤・通学客が主に利用しています。「日光を見ずして結構と言うな」という言葉があるように、歴史的建造物とその周辺の風景は古くから多くの人々に愛されてきました。また、1999年(平成11年)には「日光の社寺」(日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺)が世界文化遺産として登録されました。

 

世界遺産「日光の社寺」登録20周年ヘッドマーク(2020年1月)

 

当初日光線の敷設を計画したのは日光鉄道という鉄道会社でしたが、日本鉄道がその計画を継承して1890年(明治23年)に宇都宮~今市間を開通させました。そして、同年にこの路線は日光駅まで延伸され、その後、1909年(明治42年)に「日光線」と命名されています。

 

宇都宮駅に停車する日光線の車両(2020年1月)

 

当時は上野~日光間において直通列車が運行されており、観光地である日光へと多くの乗客を運んでいました。しかしながら、1929年(昭和4年)に東武日光線が開通すると、これは国鉄の巨大なライバルとなります。

 

宇都宮駅の日光線ホーム(2020年1月)

 

東武日光線の浅草~東武日光間は国鉄の上野~日光間と比べるとその距離は短く、また国鉄の場合には宇都宮駅では折り返し運転が必要となりますが、東武日光線は新栃木駅を過ぎると東武宇都宮線と分岐して東武宇都宮駅へと向かわずに直接日光へと北上します。

 

宇都宮駅の日光線ホーム(2020年1月)

 

国鉄ではこうした不利を解消するため、1956年(昭和31年)には上野~日光間において準急「日光」の運行を開始します。1959年(昭和34年)になると全線電化を完了し、東京~日光駅間の所要時間を2時間以内へと短縮しました。さらに、伊東~東京~日光間を結ぶ準急「湘南日光」の運行も開始し、その他にも多くの優等列車の運行に取り組みました。しかし、東武鉄道もこれに対抗して対策を講じた結果、東武日光線へと乗客は傾いていき、1982年(昭和57年)の東北新幹線の開通をもって急行「日光」は廃止となり、東北本線直通列車も本数が減少されてしまいました。


大谷石

大谷石(おおやいし)は栃木県宇都宮市の大谷町付近一帯で採掘される軽石凝灰岩であり、柔らかく加工がしやすいため、古くから外壁や土蔵などの建材として使用されてきました。1979年(昭和54年)に開館した大谷資料館は大谷石採石に関する博物館となっています。

 

大谷資料館(2019年12月)

大谷資料館入場券(2019年12月)

 

大谷資料館にある地下採掘場跡は、1919年(大正8年)~1986年(昭和61年)の間に大谷石を掘り出してできた2万平米にもおよぶ地下空間となっています。

 

大谷資料館における巨大な地下空間(2019年12月)

 

戦時中には地下の秘密工場として使用された他、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されました。

 

大谷資料館における巨大な地下空間(2019年12月)

 

現在では地下採掘場跡として公開されている他、コンサートや美術展などにも使用されています。

 

大谷資料館における巨大な地下空間(2019年12月)

 

たとえば、2019年(令和元年)には華道家である假屋崎省吾氏の世界展「華寿絢爛 in 大谷資料館」が開催され、巨大な地下空間に假屋崎省吾氏の作品が展示されました。

 

巨大な地下空間に展示される作品(2019年12月)

 

1885年(明治18年)に現在の東北本線、1890年(明治23年)に現在の日光線となる日本鉄道の路線が開通すると、当時の厳しい道路状況もあったことから、この大谷石を輸送する手段としての鉄道路線敷設が計画されるようになりました。

 

大谷資料館における巨大な地下空間(2019年12月)

 

1896年(明治29年)に宇都宮軌道運輸が設立されると、翌年西原町~荒針間に人車軌道(人の力で客車や貨車を押す鉄道)を開業しました。

 

大谷資料館に展示される人車軌道(2019年12月)

 

その後、宇都宮軌道運輸は路線の拡大を図り、1898年(明治31年)には荒針~立岩・弁天山間、1903年(明治36年)には西原町~材木町間を延伸しています。さらに同年、西原町~鶴田間を延伸して日光線の鶴田駅への接続を果たしました。

 

地下空間から見える地上の光(2019年12月)

 

1906年(明治39年)になると、戸祭~新里間、戸祭~徳次郎間において新里石を輸送していた野州人車鉄道を吸収して自社の路線と接続しました。宇都宮軌道運輸は社名変更により宇都宮石材軌道となり、石材輸送に加えて旅客輸送も担うようになったものの、相変わらず人車軌道のままでした。

 

大谷資料館における巨大な地下空間(2019年12月)

 

その後も石材の需要は拡大を続け、宇都宮石材軌道は1915年(大正4年)に荒針~鶴田間において大谷石輸送のための専用線を敷設し、蒸気機関車による輸送を開始しました。

 

巨大な大谷石(2019年12月)

 

にもかかわらず、採掘に石材の輸送が追いつかない状況が見られました。そうした中、大正末期になると自動車網も発達するようになり、宇都宮石材軌道は経営的にも厳しい状況となりました。

 

大谷資料館における巨大な地下空間(2019年12月)

 

昭和に入ると東武鉄道は栃木県に進出するにあたり、1931年(昭和6年)に宇都宮石材軌道を吸収合併して東武宇都宮線を開通させました。東武鉄道は石材輸送専用線を新鶴田駅から分岐し、これを東武宇都宮線の西川田駅に接続するとともに、その一方でそれ以外のすべての旧宇都宮石材軌道の路線を廃止しました。戦時中は地下採掘場跡は秘密工場として利用されたため、石材輸送専用線は軍需用として使用され、戦後まで路線は残りました。最終的には1964年(昭和39年)に新鶴田~西川田間が廃止されたことによってすべての路線は廃止となりました。

 

青い光に照らされる神秘的な地下空間(2019年12月)