豊臣秀吉の伏見城とその周辺駅

投稿者: | 2019-02-21

桃山駅(2017年12月)


安土桃山時代

安土桃山時代は織田信長と豊臣秀吉がその政権を担っていたことから織豊政権ともよばれます。安土桃山時代の「安土」とは織田信長の居城があった現在の安土駅(滋賀県近江八幡市安土町)周辺の土地をさします。また、「桃山」とは豊臣秀吉の政治を支えた伏見城のあった現在の京都市伏見区周辺をさします。

伏見城(2017年12月)

伏見城が廃城となった後、江戸時代のこの地に桃の木が植えられたことから「桃山」とよばれました。これより、伏見城は「桃山城」「伏見桃山城」ともよばれるようになります。


御香宮神社

御香宮(ごこうのみやじんじゃ)神社は平安時代、病いに効果のある香水がその境内より湧き出たことから、清和天皇よりその名を賜ったとされます。その水は「伏見の御香水」として、環境省による昭和の名水百選に選定されています。御香宮神社の最寄り駅となるのは近畿日本鉄道桃山御陵前駅京阪電気鉄道伏見桃山駅であり、徒歩5分ほどです。

桃山御陵前駅の近くにある御香宮神社鳥居(2019年1月)

桃山御陵前駅近畿日本鉄道の駅であり、1928年(昭和3年)に奈良電気鉄道が桃山御陵前~西大寺(現在の大和西大寺)間を開通した際に開業しています。その後、2週間と経たないうちに京都~桃山御陵前間も開業しました。


伏見御堂

桃山御陵前駅と至近距離にある伏見桃山駅京阪電気鉄道の駅であり、1910年(明治43年)の京阪本線開通の際に伏見駅として開業しました。1915年(大正4年)には伏見桃山駅と改称し、京阪神急行電鉄の駅を経て、1949年(昭和24年)に京阪電気鉄道の駅となっています。

会津藩駐屯地跡/伏見御堂(2019年5月)

伏見桃山駅を下車して西へ徒歩10分ほど行くと伏見御堂があります。伏見御堂教如が慶長年間に創建した寺院であり、1868年(慶応4年)には会津藩の先鋒隊がこの場所を宿陣としています。


伏見桃山城

伏見桃山駅伏見桃山駅から東へ10分ほど歩くと桃山駅が見えてきます。

桃山駅(2016年9月)
img_1309

桃山駅は1895年(明治28年)、奈良鉄道伏見駅より桃山駅まで路線を延伸したことにより開業しました。1905年(明治38年)には奈良鉄道関西鉄道と合併したことにより関西鉄道の所属を経た後、1907年(明治40年)には国有化されました。その後、国鉄分割民営化によりJR西日本の駅となっています。

桃山駅(2016年9月)
img_1310

桃山駅は明治天皇の陵墓となる伏見桃山陵(桃山御陵)の最寄駅となります。伏見桃山陵は豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸跡地に造営されましたが、かつてはこの伏見城を中心として数多くの大名屋敷が集まっていました。宇治川の北側に位置するこの周辺は100メートル程度の高さの丘となっていて「桃山丘陵」とよばれます。

伏見城(2017年12月)

桃山丘陵にはかつて「伏見桃山城キャッスルランド」という遊園地がありました。この遊園地は1964年(昭和39年)に開業したものですが、その園内には伏見城をイメージした模擬天守がありました。その後、時代の流れとともに入場者数が減少し、2003年(平成15年)に閉園しましたが、現在は伏見桃山城運動公園として整備されています。

伏見城(2017年12月)

当初は解体予定であった模擬天守も、地元の人々の要望により保存されることとなりました。しかしながら、耐震強度を満たしていないという理由から城内へ入ることはできません。もし、豊臣秀吉さながらこの模擬天守へ入ることができたなら、京都、大阪や奈良までも見渡すことができたのかもしれません。

伏見城(2017年12月)


伏見稲荷

お隣同士となる京阪電気鉄道伏見稲荷駅深草駅(現在の龍谷大前深草駅は、これまで以下のように駅名を変更しています。

【伏見稲荷駅と深草駅の駅名変更】

稲荷新道駅 ――→ 稲荷駅 ――→ 稲荷神社前駅 ――→ 伏見稲荷駅 ――→ 現在に至る
稲荷駅 ――――→ 深草駅 ―――――――――――――――――――――――→ 龍谷大前深草駅

伏見稲荷駅は1910年(明治43年)、京阪本線開通の際に稲荷新道駅として開業しました。開業当時には伏見稲荷の表参道の最寄り駅であった現在の深草駅稲荷駅と称していましたが、稲荷新道駅から神社へと続く新しい参道の方が伏見稲荷大社に近かったことから、8か月後に稲荷新道駅は稲荷駅と改称しました。

深草駅/現在の龍谷大前深草駅(2018年4月)

これと同時に、稲荷駅深草駅と改称しています。なお、京阪電気鉄道は2019年(令和元年)、深草駅の駅名を龍谷大前深草駅と改称しました。もともと稲荷駅として設置された現在の龍谷大前深草駅は、当初より深草車庫が併設された駅でした。1917年(大正6年)には、その車庫や留置車両が全焼する火災が発生しています。その後も車庫の他、列車無線基地局や変電所などが配置されて拠点駅として重視されましたが、1980年(昭和55年)に淀車庫が完成すると深草車庫は廃止されてしまいます。

深草駅の東側を流れる琵琶湖疎水/鴨川運河(2018年4月)

新しく「稲荷駅」と称した現在の伏見稲荷駅はその後、1939年(昭和14年)に稲荷神社前駅、1948年(昭和23年)に伏見稲荷駅となっています。伏見稲荷駅の柱は現在でも朱塗りにされていますが、これは伏見稲荷大社の千本鳥居にちなんで古くからこのような柱としています。

伏見稲荷駅(2017年12月)

伏見稲荷大社は現在では、日本を訪れる外国人に最も人気のある観光スポットの1つとなっています。「千本鳥居」とよばれる朱色の鳥居が重なる姿は訪れる観光客を圧倒しますが、この鳥居の下をくぐると願い事が叶うとされます。

千本鳥居(2017年12月)

丹波橋駅

丹波橋駅1910年(明治43年)、京阪本線の開通より2か月遅れて桃山駅として開業しました。1913年(大正2年)に駅名を丹波橋駅と改称しています。連絡通路を渡ると近鉄京都線に乗り換えることができます。

丹波橋駅に停車する特急(2018年3月)