近鉄京都線の歴史とその沿線の風景

近鉄京都駅に停車する特急列車(2016年10月)
img_1406

1.近鉄京都線の歴史
2.近鉄京都駅の開業
3.東寺駅と東寺(教王護国寺)


近鉄京都線の歴史

近鉄京都線京都~大和西大寺間を結ぶ近畿日本鉄道の路線です。

京都~奈良間を結ぶ特急列車(2018年3月)

この路線はもともと1928年(昭和3年)に奈良電気鉄道(奈良電)桃山御陵前~西大寺(現在の大和西大寺)間を開業したことにはじまります。その12日後には京都~桃山御陵前間が開業し、奈良電気鉄道(奈良電)は全通となります。


近鉄京都駅の開業

奈良電気鉄道(奈良電)が1928年(昭和3年)に全通を果たした際、その始発駅として京都駅は開業しました。京都駅は当初、現在の京都駅の北側に地下駅として完成する予定でしたが、当時京都で行われた昭和天皇の即位の礼に合わせたため地上駅としての開業となりました。

京都駅のホームに停車する特急列車(2017年6月)

その後、1963年(昭和38年)に東海道新幹線京都駅の開業に合わせて現在のような高架駅となった後、会社の合併にともない、近畿日本鉄道の駅となりました。現在の京都駅は2階部分に改札口があり、4面4線をもつ櫛形ホームとなっています。1番線と2番線はおもに特急の発着ホーム、3番線と4番線はおもに急行および各駅停車の発着ホームとして使用されています。

京都駅のホームに停車する特急列車(2017年6月)


東寺駅と東寺(教王護国寺)

京都駅を出発した列車は大きく左へカーブを切って南下すると、わずか1分ほどで東寺駅に到着します。駅間にするとわずか900メートルしかありません。東寺駅は小さな駅ですが、現在では特急以外のすべての列車がこの駅に停車します。東寺駅は1928年(昭和3年)に奈良電気鉄道(奈良電)京都桃山御陵前間が開通すると同時に開業しています。1963年(昭和38年)に近畿日本鉄道の所属となっています。

東寺駅(2016年10月)
img_1353

現在の東寺駅は高架駅となっていますが、開業当時の東寺駅は地上駅でした。1939年(昭和14年)に十条駅側(南側)へ110メートルほど移設されて高架駅となりました。東寺駅と十条駅の駅間は、京都駅東寺駅の駅間よりさらに短く、わずか600メートルとなります。

東寺駅(2016年10月)
img_1351

この東寺駅で下車し、西へ5分ほど歩いて行くと東寺(教王護国寺)が見えます。

東寺(2016年10月)
img_1360

東寺(教王護国寺)は創建から約1200年ほど経ち、唯一残る平安京の遺構です。桓武天皇による平安遷都の際、官寺として建立された東西両寺の一つです。西寺は早くに廃れ姿を消すことになりますが、一方の東寺は、唐より密教を学んで帰国した空海が嵯峨天皇により託されることになります。空海は東寺教王護国寺と称し、真言密教の根本道場として長く繁栄させました。

東寺五重塔(2016年10月)

東寺は1934年(昭和9年)に国の史跡に指定されており、1994年(平成6年)には「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」として世界遺産に登録されています。「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」は点在する17か所の寺社と城郭で構成されています。これは、東寺(教王護国寺)の他、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺、天龍寺、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、龍安寺、西本願寺、二条城より成ります。

五重塔の西側から見る(2016年10月)
img_1361

京都線の車窓からもその姿を見ることができる五重塔はその高さが54.8メートルあり、木造塔としては日本一の高さを誇ります。826年(天長3年)に空海がこれの創建に着手しますが、実際に完成したのは空海が没した後の9世紀末となります。歴史的に4回ほど消失しており、現在の五重塔は5代目となっています。1644年(寛永21年)に徳川家光により建てられたものです。

東寺南大門(2016年10月)
img_1357

南大門は1601年(慶長6年)、三十三間堂の西門として建てられたものです。

東寺南大門(2016年10月)
img_1356

以前、ここにあった門が1868年(明治元年)に焼失したため、1895年(明治28年)に移築されました。

東寺南大門(2016年10月)
img_1359


向島駅

東寺駅を出発して桃山御陵前駅を過ぎると宇治川を渡りますが、これを渡ると向島(むかいじま)です。向島はもともと巨椋(おぐら)に浮かぶ砂洲でしたが、豊臣秀吉が伏見城を築く際に宇治川の改修工事に着手し、向島となりました。現在では巨椋池は干拓されて、広大な水田となっています。向島ニュータウンは巨椋池の一部であった二の丸池が干拓されてできた住宅地であり、その最寄り駅が向島駅となります。向島駅は1974年(昭和54年)に開業した比較的新しい駅であり、2面4線を有し、橋上駅舎を擁しています。


新田辺駅

新田辺駅は1928年(昭和3年)に奈良電気鉄道(奈良電)が開業した駅です。

新田辺駅バスターミナル(2016年10月)
img_1404

城陽市と京田辺市の境界となる木津川を渡ると新田辺駅へと到着します。新田辺駅から西へ5分ほど歩くと、片町線(愛称「学研都市線」)の京田辺駅があります。新田辺駅は2面4線を有する地上駅であり、1988年(昭和63年)に完成した橋上駅舎を擁しています。

新田辺駅バスターミナル(2016年10月)
img_1403

新田辺駅の北側には新田辺車庫があり、かつて夏季には臨時駅として木津川駅が開設されたこともあります。新田辺駅から東へ5分ほど歩いたところの馬坂川沿いに伽和羅(かわら)古戦場跡の碑がひっそりと立っています。

馬坂川の川沿いの景色(2019年4月)

【伽和羅】

現地の説明板には次のようにあります。

『日本書紀』の崇神天皇の条に武埴安彦(たけにはやすひこ)が天皇にそむいて、輪韓河(わからがわ/木津川)の戦いに敗れ、軍兵は甲を脱ぎすてて逃げたが、後にその甲を脱いだところを「伽和羅」と称したと記されている。また『古事記』応神段に大山守命が宇治の近くでの戦に敗れて、宇治川に流され、訶和羅之前(かわらのさき/伽和羅)に来て沈んだ。鈎(かぎ)で探したところ、甲がかかり「かわら」と鳴ったという。そこでその地を「かわらのさき」と呼んだという。『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』に甲作郷(かわらづくりごう)の名が見え、この付近のことと長く考えられていたが、昭和63年(1988年)から行われた八幡市の正法寺文書の調査により現在の八幡市八幡付近が、甲作郷であることが判明した。この付近は『和名類聚抄』にいう志磨郷(しまごう)の地とされる。

伽和羅古戦場跡の碑(2019年4月)

馬坂川の川沿いの景色(2019年4月)


狛田駅

京都線新田辺駅を通過してさらに南下すると、京都線と片町線(愛称「学研都市線」)のそれぞれの線路はまるで接するかのように寄り添います。煤谷川(すすたにがわ)を渡ると、すぐに狛田(こまだ)があります。

狛田駅(2016年9月)
img_1314

狛田は1928年(昭和3年)、奈良電気鉄道の桃山御陵前~西大寺(現在の大和西大寺)間が開通した際に開業しています。会社合併により1963年(昭和38年)には近畿日本鉄道の駅となっています。

狛田駅に停車する車両(2016年10月)
img_1401

狛田駅(2020年6月)