北陸本線の歴史と敦賀港駅・敦賀港線

1.北陸本線の歴史 2.新線開通 3.路線名「北陸本線」 4.敦賀港駅と敦賀港線 Θ敦賀ムゼウムΘ 5.敦賀港の風景 6.北陸本線とその支線 ΘIRいしかわ鉄道Θ

 

敦賀駅に停車する福井方面行きの列車(2018年7月)


北陸本線の歴史

北陸本線の歴史は1882年(明治15年)、長浜~柳ヶ瀬間、洞道口(後の洞道西口)~敦賀間および敦賀金ヶ崎(現在の敦賀港)間が開業したことにはじまります。この頃は柳ヶ瀬と洞道口(後の洞道西口)の間は線路がつながっていなかったので、乗客はその間の山道を歩いたといいます。

 

雪の残る敦賀駅(2018年2月)

 

その後、1884年(明治17年)に難工事の末にとうとう柳ヶ瀬トンネルが完成し、長浜金ヶ崎(現在の敦賀港)間が開通しました。敦賀港へ到着した物資は金ヶ崎(現在の敦賀港)から長浜へと運ばれ、長浜港と大津港を結ぶ連絡船を経由して京都大阪へと到着しました。しかし当時は、柳ヶ瀬トンネルは急勾配が続くので、馬力のない機関車は立ち往生することがありました。

 

長浜城から見える琵琶湖の風景(2017年8月)

 

敦賀より先、敦賀~福井間は1896年(明治29年)、福井~小松間は1997年(明治30年)、小松~金沢~高岡間は1998年(明治31年)、高岡~富山間は1999年(明治32年)に延伸開業しています。

 

敦賀駅に停車する福井方面行きの列車(2018年7月)

 

さらに富山線として、富山~魚津間は1908年(明治41年)、魚津~泊(とまり)間は1910年(明治43年)、泊~青海(おうみ)間は1912年(大正元年)、信越線として直江津~名立(なだち)間は1911年(明治44年)、名立~糸魚川間は1912年(大正元年)に開通しています。そして、1913年(大正2年)に青海~糸魚川間が開通して米原~直江津間が全通しました。

 


新線開通

1957年(昭和32年)になると、現在の新疋田~近江塩津間に深坂トンネルが開通し、北陸本線新線敦賀~新疋田~近江塩津~余呉~木ノ本)となります。これにより旧線敦賀~疋田~刀根~洞道西口~雁ヶ谷~柳ヶ瀬~中之郷~木ノ本)は柳ヶ瀬線(1964年/昭和39年全線廃止)と改称されました。

 

敦賀駅に停車する北陸本線の車両(2017年5月)

 

さらに、1963年(昭和38年)には敦賀~新疋田間においてループ線が完成したため、柳ヶ瀬線は疋田~木ノ本間と変更されました。

 

敦賀~新疋田間のループ線

新たなループ線京都方面へ向かう上り線とされ、敦賀駅を出ると下り線と交差し大きく右へとループを描いていきます。単線だった頃のこの区間は25パーミルという急勾配であったため、ループを描く上り線は勾配を10パーミルにおさえることとしました。ループ線は衣掛山を右へ巻きながら最初のトンネルへと入り、トンネルを抜けると敦賀の街並みが見えてきます。さらにループを巻いて、次のトンネルへ入り、そのトンネルを抜けると先ほど上ってきた上り線が見え、下り線と並行して、新疋田駅へと向かいます。

 

敦賀駅からループ線へと向かう新快速の車両(2018年4月)

 

また、敦賀より先は現在は北陸トンネルを抜けて、南今庄、今庄へと続きますが、旧線敦賀を出ると海岸線へ出て、新保、杉津(すいづ)、大桐、今庄へと続いていました。旧線敦賀を出発すると急勾配となり、小さなトンネルがいくつか続いていたといいます。杉津に停車したときの景色はとてもすばらしかったそうです。


路線名「北陸本線」

1896年(明治29年)に敦賀~福井間(北陸線)が開業し、その翌年に敦賀金ヶ崎(現在の敦賀港)間の旅客営業が廃止されると、1902年(明治35年)に米原~敦賀金ヶ崎間(東海道線)は北陸線に編入されることになります。

 

敦賀駅に停車する北陸本線の車両(2017年5月)

 

1909年(明治42年)になると、北陸線は北陸本線と改称され、富山線も北陸本線に統合されることになります。その後、1919年(大正8年)には敦賀敦賀港間(北陸本線)の旅客営業が再開されます。

 

敦賀駅に停車する福井方面行きの列車(2018年7月)

 

先に述べたように、1957年(昭和32年)には北陸本線新線が開通したため、旧線柳ヶ瀬線と名称変更されました。その後、柳ヶ瀬線は廃止され、敦賀敦賀港間も1987年(昭和62年)に旅客営業を廃止しています。


敦賀港駅と敦賀港線

敦賀港駅は1882年(明治15年)、金ヶ崎として開業しました。

 

敦賀港の景色(2016年10月)
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1897年(明治30年)には旅客営業が廃止となり金ヶ崎貨物取扱所となりますが、1908年(明治41年)には再度金ヶ崎駅となりました。その後、1919年(大正8年)に敦賀港駅と改称しています。

 

敦賀港の景色(2016年10月)
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敦賀港駅は1900年代のはじめには日本と大陸を結ぶ懸け橋として栄えました。欧亜国際連絡列車とよばれるその列車は新橋~金ヶ崎(後の敦賀港駅)間を東海道線(現在の東海道本線)と北陸線(現在の北陸本線)を経由して結び、敦賀港からウラジオストクまでを船で結び、さらにシベリア鉄道を経由してヨーロッパ諸都市を結ぶまさに「国際列車」が走っていました。

 

廃止となった敦賀港線(2019年7月)

 

金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)にはロシアやヨーロッパ各地へと向かう人々で賑わいました。

 

敦賀港の景色(2016年10月)
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敦賀ムゼウム

 

敦賀港駅近くの金ヶ崎緑地公園内には敦賀ムゼウムがあります。

 

遠くに見える敦賀ムゼウム(2016年10月)
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1920年(大正9年)、敦賀港にはポーランド孤児が上陸し、1940年(昭和15年)には「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸しました。敦賀ムゼウムではこれに関連する資料が展示されています。

 

敦賀ムゼウム(2019年7月)

 

北陸本線の貨物支線である通称「敦賀港線」は敦賀港駅と敦賀駅を結ぶ路線です。

 

廃止となった敦賀港線(2019年7月)

 

近年においては、化学工業品や食料工業品などの輸送に利用されてきましたが、その輸送量が減少したため、2009年(平成21年)をもって休止となっていました。JR貨物は2018年(平成30年)、敦賀港敦賀間の鉄道事業廃止届を提出し、この路線は2019年(平成31年)に廃止となりました。

 

廃止となった敦賀港線(2019年7月)

 

オフレールステーションとはJR貨物による貨物駅の一種であり、線路・貨物列車を使用せずにトラックによりコンテナ輸送を行うものです。敦賀港駅では2009年(平成21年)より敦賀港オフレールステーションに改めて運用してきました。現在は敦賀港新営業所と称していますが、今後のコンテナ貨物の取り扱いについても、トラックでの輸送を継続していく予定です。

 

廃止となった敦賀港線(2019年7月)


旧敦賀港駅舎

敦賀港駅近くの敦賀湾に面したところには金ヶ崎緑地が整備されており、市民の憩いの場となっています。

 

金ヶ崎緑地に設置されている案内板(2016年10月)
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金ヶ崎緑地のすぐそばには敦賀鉄道資料館があります。

 

敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)
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敦賀鉄道資料館には、敦賀の鉄道に関する歴史やその他の鉄道資料が展示されています。

 

敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)
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重要な資料がたくさんあるにもかかわらず、入館料は無料となっています。

 

敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2019年7月)

 

また、敦賀鉄道資料館の建物自体が、かつての敦賀港駅舎となっています。

 

敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)
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この駅舎は、1999年(平成11年)に開催された「つるが・きらめきみなと博21」の際に再現されたものです。

 

敦賀鉄道資料館/旧敦賀港驛舎(2016年10月)
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敦賀港の風景

夕暮れになると、ボードウォークからのぞむ風景はより一層美しくなります。

 

敦賀港の景色(2016年10月)
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ボードウォークは緑地公園の海沿いに設置された散歩道です。

 

ボードウォーク(2016年10月)
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この散歩道から敦賀港を一望することができます。

 

敦賀港の景色(2016年10月)
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敦賀湾の反対側、道をはさんだ向こう側には赤レンガ倉庫が2棟あります。

 

敦賀赤レンガ(2016年10月)

 

これは1905年(明治38年)に、アメリカの石油会社が建設した石油貯蔵用の倉庫です。

 

敦賀赤レンガ(2016年10月)

 

その後もさまざまな倉庫として使用されてきましたが、2009年(平成21年)に登録有形文化財とされました。

 

敦賀赤レンガ(2016年10月)
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これらは福井県内でも有数のレンガ建築物であり、敦賀港を象徴する建物ですが、2015年(平成27年)に修復工事が完了しました。北棟がジオラマ館、南棟がレストラン館としてオープンしています。

 

入口横の案内板(2016年10月)
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赤レンガ倉庫の隣りには2018年(平成30年)よりキハ28形気動車が展示されています。この気動車は1968年(昭和43年)に「キハ28-1019」として富士重工で製造された急行形であり、かつて小浜線で急行「わかさ」として活躍しました。

 

赤レンガ倉庫の横に展示されるキハ28形(2019年7月)

 

急行「わかさ」はもともと1961年(昭和36年)、西舞鶴~金沢間を走る準急列車としてデビューしたものでした。小浜線において初めての優等列車となった準急「わかさ」は1966年(昭和41年)に急行列車へと格上げされました。1972年(昭和47年)になると山陰本線・舞鶴線への乗り入れを果たしますが、1996年(平成8年)には小浜線内の東舞鶴~敦賀間のみを走る急行となりました。1999年(平成11年)には京都~東舞鶴間において、特急「まいづる」が運行されるようになったため、急行「わかさ」は廃止となりました。

 

キハ28形(2019年7月)

 

キハ28形は全国的によく知られる車両の一つですが、保存されている車両はそう多くはありません。ここに展示されるキハ28-1019は、前面窓が側面まで回り込んでいるパノラミックウインドウ、運転台下部に拝障器(スカート)ありという特徴をもつ車両です。これら2つの特徴をもつキハ28形は製造された111両のうち、国内で完全な形で現存しているのはここに展示される車両のみであり、極めて稀有な存在となっています。

 

パノラミックウインドウをもつキハ28形(2019年7月)

 

1976年(昭和51年)にこの車両は冷房用発電装置を搭載し「キハ28-3019」と改番され、引き続き北近畿地区を中心として活躍していましたが、2000年(平成12年)に廃車となりました。その後、白浜、大阪と渡り歩いて保存されてきましたが、2017年(平成29年)の「つるが鉄道フェスティバル」で展示されたのを契機として敦賀市が取得することになったものです。

 

キハ28形(2019年7月)


北陸本線とその支線

現在では米原~金沢間を結ぶ176.6キロを北陸本線とよび、合わせて敦賀敦賀港間(通称「敦賀港線」)を結ぶ貨物支線をもちます。

 

敦賀駅に入る貨物列車(2018年4月)

 

起点の米原駅では東海道本線と接続し、終点の金沢駅ではIRいしかわ鉄道と接続しています。JR西日本では、東海道本線京都~米原間および北陸本線の米原~長浜間において「琵琶湖線」という愛称を付けており、東海道本線北陸本線の相互乗り入れ電車も設定されています。

 

敦賀駅 福井・金沢方面時刻表(2017年5月)

 

IRいしかわ鉄道

IRいしかわ鉄道は第三セクターの鉄道会社であり、金沢~俱利伽羅(くりから)間17.8キロを運行しています。IRいしかわ鉄道の路線はもともと北陸本線の一部でしたが、北陸新幹線が延伸開業したため金沢~直江津間が並行在来線となり、JR西日本から経営が分離されました。

 

敦賀駅の階段に描かれた北陸新幹線(2018年6月)

 

このうち、金沢~俱利伽羅間はIRいしかわ鉄道、俱利伽羅~市振(いちぶり)間はあいの風とやま鉄道、市振~直江津間はえちごトキめき鉄道へと移管されることとなりました。