急行「はまなす」の廃止

▼森繁久彌作詞「知床旅情」は、「知床の岬に はまなすの咲くころ 思い出しておくれ 俺たちのことを 飲んで騒いで 丘にのぼれば 遥か国後に 白夜は明ける」とある。▼ハマナスの花はバラ科の落葉低木。▼北海道の浜辺などに多く咲き、主に海岸の砂地に咲く花。▼北海道には群生地も多くあり、北海道の花にも指定されている。▼北海道でも最もポピュラーな花といえる。▼その花にちなんだ「はまなす」という列車名が初めて使用されたのは、1955年(昭和30年)に運行が開始された準急列車。▼準急「はまなす」は函館本線・石北本線を経由して函館~網走間を結んでいた。▼「準急」という列車種別は、現在では全国の私鉄などで多く利用されている。▼国鉄でも、準急列車を運行していた時代がある。▼そのはじまりは1926年(大正15年)に遡る。▼東海道本線東京~名古屋間、名古屋~神戸間に設定されたのが最初だった。

東京駅(2019年3月)

▼国鉄の準急列車は、戦前と戦後においてはその性格に違いがある。▼戦前の準急列車は運賃だけで乗ることができたが、戦後の準急列車は別途準急料金が必要となった。▼つまり、戦前の準急列車は、現在でいうところの快速電車といえる。▼しかし、準急列車は日本が戦争へと進んでいく中、1937年(昭和12年)に廃止された。

京都駅を出発する快速電車(2019年1月)

▼終戦後、1946年(昭和21年)に準急列車は再登場。▼このときから準急料金が必要となる。▼その設備や車両などにおいて急行列車に劣るということから、「急行列車」ではなく「準急列車」として優等列車の一つとなった。▼1947年(昭和22年)に廃止された一時期があったが、準急列車は比較的近距離における区間の輸送において、急行列車を補う形でその役割を果たすようになった。▼1966年(昭和41年)になると、準急料金と急行料金は同じ距離の場合は同額となり、営業キロ数が100キロを超える場合はすべて急行列車へと格上げされるようになった。

▼昭和40年代になると、急行列車は準急列車を統合して、全国的に多くの急行列車が走るようになる。▼国鉄時代、急行列車は特急列車に比べると安価で利用できたことから、多くの人にとって身近な存在だった。▼急行「はまなす」が誕生したのは、1988年(昭和63年)3月13日のダイヤ改正においてのこと。▼その日は青函トンネルが誕生した日でもあり、また寝台特急「北斗星」が誕生した日であった。

急行「はまなす」青森行き(2016年12月)

▼JR旅客営業規則によると、「急行列車とは特別急行列車及び普通急行列車をいう」とある。▼特別急行列車がいわゆる「特急」であり、普通急行列車が「急行」ということ。▼それ以外の列車は普通列車ということになる。▼急行列車に急行料金が必要だが、特急料金よりも安く設定されている。一方で、特急に比べると、速達性という点においては停車駅が多いため、特急より劣り、その設備や車両および車内サービスにおいても特急ほどではない。

南海電車特急「りんかん」(2019年12月)

▼準急「はまなす」は1961年(昭和36年)に急行に格上げされ、その運行区間も札幌・旭川~網走となった。▼しかし、1968年(昭和43年)には石北本線の急行はすべて「大雪」に統合され、「はまなす」の列車名は姿を消した。▼月日が流れて、青函トンネル開業に向けて準備が進む中、津軽海峡線を運行する列車の愛称が公募された。▼その結果、寝台特急「北斗星」、急行「はまなす」、快速「海峡」の名が採用された。▼急行「はまなす」は青森~札幌間を結ぶ急行列車として、新たにその歴史を刻むことになる。

急行「はまなす」のトレインマーク(2016年12月)

▼「はまなす」のトレインマークは北海道の代表的な花であるハマナスが3つ描かれている。▼これにちなんで「はまなす」の魅力を3つ考えてみる。▼一つめの魅力は、車両編成がユニークであること。▼2段式のB寝台(1991年以降)、ドリームカー(1993年以降)、のびのびカーペットカー(1997年以降)などが連結される。▼「はまなす」は約480キロ(営業キロ)を約7時間40分(廃止時)の長い時間をかけて走行するので、ゆったりと休息できる車両の人気が高い。B寝台のカーテンで仕切られた空間は2段式の寝台となっていて、現在の寝台特急の個室寝台に比べるとプライベート空間を完全に確保できるものではないが、「昭和」を感じるための演出としては十分だといえる。ドリームカーのシートは、前後のシートとの間隔が少し広くなっているため、長い時間の乗車にもリラックスして過ごすことができる。リクライニングの角度についても、シートを大きく倒すことができるので、横になるような感覚で座ることができる。のびのびカーペットカーは上下2段式になっていて、上段は窓側に沿ってベッドが平行に設置されていて、個室のようなスペースが生み出されている。下段は窓に対して垂直に寝るような形となり、隣の人との境には簡易的な仕切りとしてカーテンが設置されている。一人ひとりに枕と毛布が用意される。

急行「はまなす」牽引車(2016年12月)

二つめの魅力は、一世を風靡したブルートレインなどによる往年の旅の郷愁を感じることができるということ。▼「ブルートレイン」とは青色がその車体の特徴である客車を使用した寝台列車の愛称である。はまなす」も機関車の牽引により客車列車として運行されている。また、B寝台を連結する列車としては「最後の列車」となった。

三つめの魅力は、「青函トンネルの父」である青函連絡船の名残をとどめる列車であるということ。かつて青函連絡船には、夜遅くに青森を出航し、早朝函館に到着する便があったが、これは上野から特急を乗り継いで来た人々が北海道へ渡るためのものでだった。▼「はまなす」は、これを補う形で生まれた夜行列車であるともいえる。また、のびのびカーペットカーの下段スペースは、なんとなく青函連絡船の室内を思わせる雰囲気がある。

深夜に出発する「はまなす」は津軽線・海峡線・江差線・函館本線・室蘭本線・千歳線を経由して運行される。ただし、函館本線の七飯~森間は上下線でルートが異なり、上り列車は砂原線~渡島砂原経由となり、下り列車は藤城線~駒ケ岳経由となる。主な途中駅は函館、長万部、東室蘭、苫小牧、南千歳。

札幌駅の発着案内表示(2016年12月)

▼こうして歴史を刻んできた「はまなす」だが、北海道新幹線が開通した2016年(平成28年)3月26日に先立ち、3月21日の下り列車をもって28年の歴史に幕を閉じた。