1.日本で初めての蒸気機関車登場 2.蒸気機関車の種類 3.国産蒸気機関車の誕生 4.日本初の電車
京都鉄道博物館「SLスチーム号」(2019年1月)
日本で初めての蒸気機関車登場
日本で初めて蒸気機関車が登場したのは、日本初の鉄道となる新橋~横浜間の走行用としてのものであり、当時10両の蒸気機関車が日本へ輸入されました。このとき、ストックトン=ダーリントン鉄道が開業してから、すでにおよそ50年になろうとしていました。
青梅鉄道公園「C11」タンク式蒸気機関車(2020年10月)
10両のうちたまたま「1号機関車」に設定された機関車は、バルカン・ファウンドリー社(イギリス)製のタンク機関車であり、1871年(明治4年)に製造されたものです。その動輪の直径は1,295ミリとなる小さな機関車です。
京都鉄道博物館:旧二条駅舎前の動輪(2019年1月)
この機関車は最初は「A1」とよばれ、後に「150形」と命名されています。その後、島原鉄道へ転じ、1936年(昭和11年)より東京(万世橋)にあった交通博物館において静態保存されていました。交通博物館が閉館となった後は鉄道博物館(さいたま市)に展示されています。この1号機関車は1958年(昭和33年)には鉄道記念物に指定され、1997年(平成9年)には国の重要文化財に指定されています。
青梅鉄道公園展示/上:150形、中:弁慶号、下:860形
「3号機関車」とよばれた後の「110形」はヨークシャー・エンジン社(イギリス)製の機関車であり、1号機関車よりやや小ぶりの機関車です。1961年(昭和36年)には鉄道記念物に指定され、青梅鉄道公園に保存展示されていましたが、現在ではその展示を終了しています。
蒸気機関車59609号
10両のうちの4両はシャープ・スチュアート社製の「A6」「A7」といわれた蒸気機関車であり、後に「160形」と称されました。その外観および性能は1号機関車とほとんど同じです。現在では、これらと同形式の蒸気機関車が明治村(愛知県)に保存されています。また、他の4両はロバート・スティーブンソン社製の「A4」とよばれ、後に「120形」となりました。
青梅鉄道公園「D51-452」後ろ姿(2020年10月)
蒸気機関車の種類
蒸気機関車にはタンク機関車とテンダー機関車(炭水車つき機関車)があります。タンク機関車は水および石炭を機関車本体に積載していますが、テンダー機関車は水および石炭を積載した燃料運搬車が接続された機関車となります。タンク機関車の型式番号は「C11」などのようにその数字が10~49、テンダー機関車は「C58」などのようにその数字が50~99となっています。また、アルファベットは動輪(動力を伝える車輪)の数を表し、たとえば「C」は動輪が3つ、「D」は動輪が4つとなります。
枝垂れ桜(2022年4月)
国産蒸気機関車の誕生
1877年(明治10年)になると、新橋~横浜間に次いで、京都~神戸間が開業しました。京都~神戸間は新橋~横浜間に比べると、その距離が長くなるため、テンダー機関車を使用することになりました。京都~神戸間に投入された機関車は当初「D1」とよばれ、後に「5000形」とよばれます。これはシャープ社(イギリス)製であり、その出力は新橋~横浜間を走る蒸気機関車より約30%大きいものであったといいます。
新橋駅前に保存されるタンク機関車C11形(2018年9月)
当初こうした蒸気機関車の機関士として活躍し、またその整備や保守を担当したのはイギリス人でした。日本人はその下働きとして鉄道に携わることになります。日本人として初めての機関士が登場したのは1879年(明治12年)のことであり、それから10年以内にはさまざまな職種が日本人だけで運営できるようになりました。
京都鉄道博物館「SLスチーム号」(2019年1月)
1889年(明治22年)に東海道本線が全通した後、高崎~直江津間、上野~青森間、神戸~下関間などが開通し、より多くの機関車が必要となります。機関車を製造する世界の国々からはさまざまな機関車の売り込みが増えるようになり、さまざまな国のさまざまな機関車が輸入されるようになりました。
京都鉄道博物館から京都駅方面をのぞむ(2019年1月)
その後、国内で蒸気機関車を製造しようとする動きが出てきたため、外国から鉄道技術者を多く招き入れ、日本人の鉄道技術者を育成することに注力することになります。そして、ついに1893年(明治26年)、日本初の国産蒸気機関車が誕生しました。この蒸気機関車は後に「860形」(タンク機関車)と名付けられています。
青梅鉄道公園「2120形式タンク式蒸気機関車」(2020年10月)
この日本初の国産蒸気機関車はイギリス人技師の指導の下、森彦三、服部勤らの手により神戸工場で製造されました。この国産1号機は京都~神戸間を走行した後、1918年(大正7年)に樺太鉄道に移籍し、1929年(昭和4年)に廃車となりました。
京都鉄道博物館:旧二条駅舎(2019年1月)
そして、国産2号機となったのは7150形(テンダー機関車)ですが、1895年(明治28年)に手宮工場(小樽市)にて日本人の手だけによって製造されたので、この蒸気機関車こそまさに「国産第1号」となります。その名は日清戦争に勝利した直後ということもあり「大勝(だいしょう)号」と名付けられました。
青梅鉄道公園:腕木式信号機と9600形式蒸気機関車(2020年10月)
1911年(明治44年)頃には日本の蒸気機関車は約3,000両近くにもなっていましたが、1906年(明治39年)には鉄道国有化法の施行によって、それぞれにばらばらに輸入されていた全国のさまざまな蒸気機関車をすべて国鉄にて保守・点検しなければならなくなっていました。それらに関連するコストを削減するため、すべての機関車を国産化するよう方針を転換し、1911年(明治44年)には蒸気機関車の輸入税率を引き上げることにより国産機関車の保護政策を実施します。
京都鉄道博物館:国産初量産型「230形233号機」(2019年1月)
1913年(大正2年)には9600形蒸気機関車、1914年(大正3年)には8620形蒸気機関車が製造され、前者は貨物用、後者は旅客用として大正時代の代表的蒸気機関車となりました。また、急行列車用としては1919年(大正8年)~1928年(昭和3年)にかけて18900形蒸気機関車(後のC51形蒸気機関車)が製造されています。
青梅鉄道公園「9600形式テンダー式蒸気機関車9608号」(2020年10月)
その後、昭和時代に入ってからもさまざまな蒸気機関車が製造されますが、やがて電車に取って代わられるようになっていきます。最終的に国鉄が蒸気機関車の営業を終了したのは1975年(昭和50年)のこととなります。しかしながら、蒸気機関車の人気は今でも衰えず、真岡鐵道のように復活して人気を博している蒸気機関車も数多くあります。
真岡鐡道C12-66号(2020年1月)
日本初の電車
一方、日本で初めての電車が走ったのは蒸気機関車が初めて走ったのと同じ明治時代であり、1890年(明治23年)の上野公園でした。当時、上野公園では第3回内国勧業博覧会が行われており、この会場でアメリカから輸入された2両の電車が、公園内に敷設された400メートルの線路上を走りました。短い距離でしたが、乗客を乗せて走行し、人々の人気を博しました。
京都市電2000形電車(2019年1月)
その後、営業用として初めて走行した電車は京都の路面電車であり、それは1895年(明治28年)のことでした。この路面電車は京都~伏見間の7キロほどの距離を時速10キロで走りました。さらにその後、路面電車ではない「電車」が走ったのは1904年(明治37年)、甲武鉄道が敷設した飯田町~中野間でした。