1.江若鉄道 2.湖西線の歴史 3.湖西線を走る車両 Θ大津京駅Θ 4.おごと温泉駅 5.堅田駅と琵琶湖周辺の風景 6.中江藤樹と安曇川駅 7.雪景色の近江中庄駅
天候不良のため近江中庄駅に停車する新快速(2018年2月)
江若鉄道
北陸新幹線の大阪への延伸は2016年(平成28年)、与党検討員会で京都小浜ルートに決定しました。北陸新幹線が走ることになった小浜市は若狭湾に面したまちであり、古くから港町として栄えてきました。国宝や国指定の重要文化財などがある寺社が多く存在し「海のある奈良」などとよばれることもあります。奈良市とは1971(昭和46年)に姉妹都市を締結しています。
奈良駅西口(2017年6月)
たとえば、真言宗の寺院である明通寺(みょうつうじ)は、806年(大同元年)に坂上田村麻呂により創建されたと伝えられており、その本堂と三重塔は国宝に指定されています。
湖西線の車窓から見える風景(2018年2月)
江若(こうじゃく)鉄道は、その小浜市のある若狭地方と滋賀県の近江地方を結ぶことを目的として設立された鉄道会社です。1919年(大正8年)に鉄道免許を受けた江若鉄道は1921年(大正10年)、滋賀県内の三井寺(後の三井寺下)~叡山間を開業しました。
三井寺大門(2019年6月)
その後順次延伸し、1931年(昭和6年)には浜大津~近江今津間を開業しています。しかしながら、目標としていた近江今津から若狭へ至る線路については資金不足のため着工することができませんでした。
雪景色の安曇川駅(2018年1月)
湖西線の歴史
湖西線は1974年(昭和49年)に山科~近江塩津間が開業していますが、それに先立って1969年(昭和44年)にはこの江若鉄道の浜大津~近江今津間の敷設計画は廃止となっています。これより、江若鉄道は鉄道事業から撤退し「江若交通」と社名を変更しました。現在では琵琶湖西岸地域を中心として路線バスを運行しています。
湖西線の車両から見た雪景色(2018年2月)
その後、江若鉄道における輸送は湖西線に引き継がれることになりますが、若狭・近江間の鉄道接続は琵琶湖若狭湾快速鉄道(若狭リゾートライン)構想として残ってきたようです。しかしながら、先に述べた通り北陸新幹線の延伸が京都小浜ルートとなるとこの構想も廃止となります。福井県は京都小浜ルートの決定を受けて、新たな新幹線の要望を提案しています。その提案する北陸・中京新幹線は北陸新幹線の米原ルートを基本とし、東海道新幹線に乗り入れるというものです。
京都駅を出発して新大阪駅へと向かう東海道新幹線(2019年1月)
湖西線は山科~近江塩津間を結ぶ路線ですが、すべての列車が山科駅の隣りの京都駅まで乗り入れています。
敦賀駅に掲示される新快速・普通列車の近江塩津駅乗換表(2017年5月)
また、かつては湖西線を走る新快速は主として近江今津止でしたが、現在では新快速は敦賀駅までの延長運転となっています。
天候不良のため近江中庄駅に停車する新快速(2018年2月)
新快速が「敦賀行き」となったのは2006年(平成18年)のことです。これにより、実際の湖西線は近江塩津駅までですが、運行系統上は新快速が敦賀駅まで運行されるため、敦賀駅は事実上、北陸本線と湖西線の乗換駅としての役割を果たしています。
敦賀駅の湖西線ホーム(2016年8月)
湖西線を走る車両
湖西線沿線の美しい風景を背景にして、とても古そうな緑色の列車が走っています。この緑色に塗装された車両は113系です。113系は1963年(昭和38年)に国鉄が開発した直流近郊形電車です。
安曇川駅に到着する113系(2017年3月)
国鉄からJRへの民営化に際して113系はJR東日本、JR東海、JR西日本へと引き継がれ、東海道本線や山陽本線などの普通列車および快速列車として使用されてきました。しかし、老朽化が進み、JR東海では2007年(平成19年)、JR東日本では2011年(平成23年)にすべて後継車両へと置き換えが完了しました。
安曇川駅に到着する113系(2017年3月)
JR西日本ではなお現役であり、この湖西線でも雪の中を元気に走行しています。湖西線内は多雪地帯であるため、寒冷地向け仕様の車両が使用されています。
雪景色の安曇川駅を出発する113系(2018年1月)
113系の他に湖西線内では223系が走行しているのを見ることができます。223系は1993年(平成5年)~2008年(平成20年)に製造された車両であり、JR西日本が自社開発した近郊形電車です。
京都駅に到着する223系(2017年3月)
また、湖西線内には貨物駅はありませんが、旅客列車に混じってときどき貨物列車を見ることができます。
大津京駅に停車する貨物列車(2016年7月)
大津京駅
大津京駅は湖西線が全線開通した1974年(昭和49年)に西大津駅として開業し、2008年(平成20年)に大津京駅と改称しています。
大津京駅駅舎(2019年7月)
大津京駅のすぐ近くを京阪石山坂本線が走っており、京阪大津京駅は乗換駅となっています。
大津京駅ホーム(2019年5月)
貨物駅がないので荷物の積み下ろしをすることはありませんが、貨物列車が駅に停車していることもあります。
安曇川駅に停車する貨物列車(2017年3月)
敦賀駅に掲示される北陸線・湖西線の大阪・米原方面時刻表(2017年5月)
おごと温泉駅
おごと温泉駅は湖西線が全線開通した1974年(昭和49年)に雄琴駅として開業しました。
おごと温泉駅ホームから見える琵琶湖の風景(2019年4月)
その後、2008年(平成20年)におごと温泉駅と改称しています。
おごと温泉駅ホームから見える琵琶湖の風景(2019年4月)
堅田駅と琵琶湖周辺の風景
琵琶湖の最狭部に架かる琵琶湖大橋を境として、琵琶湖は北湖と南湖に分けられます。
最狭部に架かる琵琶湖大橋(2019年9月)
堅田(かたた)のまちはその最狭部の西岸に位置し、古くから湖上交通の要衝となっていました。
堅田駅駅名標(2019年9月)
そのため、古くからまちは栄え、また琵琶湖の漁業の拠点ともなっていました。現在でも、当時の面影がその町並みに少しばかり残っています。
古くからの町並みが残る(2019年9月)
現在、堅田のまちの玄関口となるのは湖西線の堅田駅です。
堅田駅ホーム(2019年9月)
堅田駅は1974年(昭和49年)、湖西線の山科~近江塩津間の開通と同時に開業しています。
京都駅に停車する湖西線の113系電車(2017年5月)
現在の堅田駅は1969年(昭和44年)に廃止となった堅田駅とは場所が異なります。
堅田駅ホームから見た風景(2019年9月)
かつて存在した堅田駅はすでに廃線となっている江若鉄道の駅であり、現在の江若交通バス本堅田停留所付近にありました。
堅田駅前バスターミナル(2017年3月)
旧堅田駅はもともと、1923年(大正12年)に江若鉄道の雄琴~堅田間が開通した際に開業したものです。
堅田駅前バスターミナル(2017年3月)
琵琶湖は言わずと知れた日本最大の面積をもつ湖であり、古くから京阪神の水源として利用されるとともに交通の要衝ともなっていました。わが国の鉄道黎明期には金ヶ崎(後の敦賀港駅)~長浜間が開業した際、日本初の鉄道連絡船が長浜~大津(現在のびわ湖浜大津)間に就航しました。その琵琶湖周辺には現在23個の内湖(ないこ)があり、堅田駅のある大津市内には2つの内湖(堅田内湖と近江舞子内湖)があります。
堅田内湖(2019年9月)
内湖とは、もともと琵琶湖の一部であった水面に、風や波の作用の他、川から運ばれた土砂が堆積することによりできた潟湖(せきこ/ラグーン)です。
堅田内湖(2019年9月)
このうち、堅田内湖に注ぐ河川は新川・浜川・堤川・新堀川の4川があり、内湖の水位が常に一定になるように、5つの水門が設置されています。堅田内湖は農業用水の水源と利用される他、淡水真珠の養殖にも利用されています。
堅田内湖近くにある月影広場(2019年9月)
内湖は水深が浅く、琵琶湖に比べると波が穏やかなので、多くの生物の生息地となっています。ゲンゴロウブナ、カイツブリ、イケチョウガイ、コイ、ギンブナなどが生息し、ヨシも生い茂ります。
堅田内湖周辺地図(2019年9月)
堅田内湖の月影広場から水門(地図③)を過ぎて北東方向へ歩いて行くと、別の水門(地図②)近くには泉福寺というお寺があります。
泉福寺(2019年9月)
さらに、泉福寺から琵琶湖最狭部となる今堅田の岬へ歩いて行くと、その突端には高さ8メートルの木造の灯台が立ちます。この灯台は出島の灯台とよばれますが、末広町バス停(江若交通バス)からは徒歩10分ほどの場所となります。
出島の灯台(2019年9月)
出島の灯台は高床式となっており、四隅にある4本の柱と中心にある支柱の計5本の柱により支えられています。灯台の光源としては、1918年(大正7年)まではランプを使用し、その後は電灯を使用するようになりました。
出島の灯台(2019年9月)
琵琶湖岸では古くから船の座礁および難破事故が多く、1875年(明治8年)に灯台が建てられました。1961年(昭和36年)の第二室戸台風により、出島の灯台は倒壊寸前の状態となりましたが、1973年(昭和48年)に地元の熱心な保存運動により灯台の修復が行われました。現在では、大津市指定文化財・有形民俗文化財となっています。
出島の灯台周辺地図(2019年9月)
出島の灯台から湖岸線に沿って南西方向にもどると、天然図画亭(てんねんずえてい)が見えてきます。
書院「天然図画亭」は居初氏庭園(いそめしていえん)と一体化した国指定名勝であり、滋賀県指定文化財です。居初氏庭園は江戸時代前期に千利休の孫・千宗旦の弟子である茶人・藤村庸軒が造ったとされる庭です。
堅田の地は近江八景の一つとなる「堅田落雁」(通称「堅田の浮御堂」)で知られています。通称「堅田の浮御堂」は琵琶湖畔にある臨済宗大徳寺派の寺院「海門山満月寺」の湖上に突き出た仏堂のことをいいます。
名所「堅田落雁」(2019年9月)
近江八景とは滋賀県に見られる優れた風景8つをさします。「堅田落雁」の他、石山秋月(石山寺)、勢多夕照(瀬田の唐橋)、粟津晴嵐(粟津原)、矢橋帰帆(矢橋)、三井晩鐘(三井寺)、唐崎夜雨(唐崎神社)、比良暮雪(比良山)の8つとなります。この浮御堂は平安時代に、恵心僧都が湖上の安全と衆生済度を祈願して建立されたといいます。現在の建築物は1937年(昭和12年)に再建されたものであり、境内の観音堂には重要文化財となる聖観音座像が安置されています。浮御堂へは堅田駅より徒歩約20分ほどです。また、バスの場合には、堅田駅より堅田町内循環バス(江若交通バス)に乗車し、堅田出町停留所で下車して徒歩5分ほどです。休日には浮御堂前停留所に停車するバスもあります。
堅田出町停留所(2019年9月)
中江藤樹と安曇川駅
安曇川(あどがわ)駅は湖西線が全線開通した1974年(昭和49年)に開業しています。
安曇川駅西口(2017年3月)
安曇川駅駅前には「近江聖人」とよばれた中江藤樹像が立ちます。中江藤樹はそのふるさとである小川村(現在の滋賀県高島市)で私塾「藤樹書院」を開いています。
雪景色の安曇川駅(2018年1月)
藤樹書院は安曇川駅よりバスで約5分ほどのところにあります。
安曇川駅前中江藤樹像(2017年3月)
中江藤樹像の説明によると、中江藤樹は1608年(慶長13年)に当時のこの地「安曇川町上小川」で生まれました。
安曇川駅駅名標(2017年3月)
多くの門人たちを教えましたが、41歳の若さで亡くなりました。
安曇川駅前中江藤樹像(2017年3月)
中江藤樹の短い生涯における教えは孝を中心とした良知にしたがい、行ないを正しくするということにつとめました。
安曇川駅(2017年3月)
ただ学者というだけではなく、たいへん徳の高い人であり、「近江聖人」とたたえられました。
雪景色の安曇川駅(2018年1月)
藤樹書院には藤の木が今も良く茂り、今でも藤樹先生はみんなの人に敬われ親しまれています。
雪景色の安曇川駅(2018年1月)
雪景色の近江中庄駅
近江中庄(おうみなかしょう)駅は1974年(昭和49年)、湖西線の山科~近江塩津間開通と同時に開業しています。
雪景色の中の近江中庄駅(2018年2月)
現在では、堅田駅が管理する湖西線内唯一の完全無人駅となっています。
近江中庄駅周辺に広がる大自然(2018年2月)
また、駅には自動券売機が設置されておらず、切符を購入することができません。
近江中庄駅周辺に広がる大自然(2018年2月)
駅には車内で切符を買うようにとの注意書きが掲示されています。
近江中庄駅周辺に広がる大自然(2018年2月)