大阪臨港線廃線跡とダブルワーレントラス橋

1.浪速貨物線から大阪臨港線へ 2.木津川橋梁と岩崎運河橋梁

 

大阪臨港線路線図


浪速貨物線から大阪臨港線へ

大阪環状線は1961年(昭和36年)に成立しましたが、この大阪環状線が成立する以前に今宮~大正~境川信号場に線路は敷かれていたといいます。この線路は1928年(昭和3年)に敷設されたものであり、当時は関西本線貨物支線とされました。関西本線貨物支線は別名「浪速貨物線」ともよばれ、現在の大阪環状線今宮駅より関西本線と分岐した後、現在の大阪環状線芦原橋駅、大正駅を通り、境川信号場から南西方向へ進路を取り浪速駅(現在は廃止)へと向かいます。

 

大阪臨港線(大阪環状線貨物支線)廃線跡(2019年8月)

 

浪速駅(現在は廃止)はかつて大阪市港区にあった関西本線貨物支線上の貨物駅であり「浪速貨物駅」ともよばれていました。浪速駅(現在は廃止)より先、この線路は分岐して大阪港駅へ向かう本線と、大阪東港駅へ向かう支線となっていました。

 

大阪臨港線(大阪環状線貨物支線)廃線跡(2019年8月)

 

こうした中1961年(昭和36年)、今宮駅から関西本線貨物支線(通称「浪速貨物線」)を経由して境川信号場へ至り、ここから新たに分岐線を敷設して西九条駅へつなぐ区間が完成し、既存の西成線大阪~西九条~桜島間)の一部および城東線大阪~京橋~天王寺間)と合わせて大阪環状線となりました。

 

大阪臨港線(大阪環状線貨物支線)廃線跡(2019年8月)

 

これにより関西本線貨物支線(通称「浪速貨物線」)大阪環状線貨物支線(通称「大阪臨港線」)となりました。

 

大阪臨港線(大阪環状線貨物支線)廃線跡(2019年8月)

 

この貨物線を敷設した1928年(昭和3年)当時は単線でしたが、大阪環状線は複線となりました。現在の大正駅の東側に架かる木津川橋梁や西側に架かる岩崎運河橋梁は当時、将来を見越して複線になることを想定して設計されていたといいます。

 

岩崎運河橋梁(2019年8月)

 

その後、「大阪臨港線」はその役割を終えて2006年(平成18年)に廃止となっています。

 

大阪臨港線(大阪環状線貨物支線)廃線跡(2019年8月)


木津川橋梁と岩崎運河橋梁

大正駅をはさんで東西にそれぞれ架けられる木津川橋梁と岩崎運河橋梁は形も大きさも同じように見えます。

 

木津川橋梁(2019年8月)

 

2つの橋梁は両端に角度がなく、それぞれの橋長は木津川橋梁が106メートル、岩崎運河橋梁が91メートルとなっています。

 

岩崎運河橋梁(2017年7月)

 

また、いずれの橋梁も高さが非常に高くなっています。たとえば、次の写真を見ると、特急「くろしお」の車高に比べると鉄橋の背丈が高いのが際立ちます。

 

木津川橋梁を渡る特急「くろしお」(2019年8月)

 

木津川橋梁へは大正駅の改札口を出て180度反転し、新今宮天王寺方向へ線路沿いに歩いて行くと5分とかからず、白っぽいダブルワーレントラス橋に出会います。

 

すぐ近くに見える木津川橋梁(2019年8月)

 

岩崎運河橋梁へは木津川橋梁とは反対方向、弁天町・西九条方向への線路沿いに歩いて行くとすぐに、緑色のダブルワーレントラス橋が目に入ります。

 

岩崎運河橋梁(2019年8月)

 

トラス橋とよばれる橋梁の一種ですが、トラス橋とは細長い材料を三角形に組み、これを繰り返し用いて橋をつくったものです。さまざまなタイプのトラス橋がありますが、木津川橋梁と岩崎運河橋梁はいずれもダブルワーレントラス橋に分類される橋梁です。

 

木津川橋梁の奥に大浪橋(道路橋)が見える(2019年8月)

 

ワーレントラスは斜材をアルファベットの「W」の形に組み、縦材を用いないで橋を作るため、材料を節約することができます。ダブルワーレントラスは斜材をアルファベットの「X」の形に組むため、ワーレントラスを重ねたような構造となり、ダブルワーレントラスとよばれるようになりました。

 

ワーレントラスのイメージ図

 

ダブルワーレントラスはワーレントラスに比べると、材料がより多く使用されるため橋の重量自体が単純に重くなってしまう他、車窓の風景にしても見えにくくなるというようなデメリットがあります。ダブルワーレントラス橋は関西ではあまり見られない橋梁であり、関西地方における貴重な鉄道遺産ということになります。

 

岩崎運河橋梁(2017年7月)

 

トラス橋の歴史を紐解いてみると、その成立は比較的新しく、18世紀半ば頃にヨーロッパで誕生したと考えられています。鉄鋼の材料が大量に生産されるようになると、トラス橋は長い距離を渡すのに便利であり、特に鉄道橋によく用いられるようになったといいます。日本における最初の鉄道橋としてのダブルワーレントラスは、すでに東海道本線の敷設工事の時点で登場しています。富士川、大井川、天竜川、木曾川、長良川、揖斐川を渡すのにダブルワーレントラスが用いられました。現代においては新しい技術が開発されるようになり、より長い距離を渡すには別の方法が採用されることが多くなりましたが、トラス橋のシンプルな構造は今日の橋梁にも多く用いられています。