京阪バスの歴史と京阪バス発祥之地

1.京阪バス発祥之地 2.京阪バスの歴史

 

「京阪バス発祥之地」の碑(2017年12月)


京阪バス発祥之地

京阪バスは、大阪府の京阪電気鉄道沿線地域や京都府南部、滋賀県大津市などでバス路線を運行している京阪電気鉄道グループのバス会社です。その歴史がはじまったのは1922年(大正11年)のことであり、当時は桃山自動車として創立されました。当時の桃山自動車は、京阪電気鉄道伏見桃山駅から伏見桃山陵を訪れる参拝客の輸送を担ったということです。その2年後には、社名を京阪自動車と改称し、同じ区間において乗合バスの営業を開始しています。現在では、近鉄京都線桃山御陵前駅京阪本線伏見桃山駅の間にある京阪桃山ビルの前に京阪バス発祥之地の碑が建ちます。

 

その碑には「京阪バス株式会社の前身・桃山自動車株式会社は、大正11年7月20日、中野種一郎を発起委員長とする発起人13名により資本金5万円でこの地に創立され、自動車11両を以てハイヤー営業を開始した。大正13年10月28日、社名を京阪自動車株式会社に改め、同15年1月1日から京阪電車伏見桃山駅ー桃山御陵下間0.8粁の乗り合いバス営業を開始した。昭和2年10月30日、京阪電鉄は京阪自動車の全株式を取得、その後の京阪沿線のバス路線網拡充の基をなした。同47年4月1日、創立50周年を期して社名を京阪バス株式会社に改めた」とあります。


京阪バスの歴史

1972年(昭和47年)、京阪自動車は社名を京阪バスと称して現在の社名としています。その後、2001年(平成13年)には、京都市交通局横大路営業所の4路線について業務管理の受託を開始しています。2019年度(令和元年度)末をもって、京阪バス京都市より受託している京都市バスの運行事業から撤退することになりました。観光客の増加により市バスの利用者は増加しているものの、運転手の人手不足により運行事業は厳しい状況が続いています。現在では、京阪バスによる受託の割合は市バス全体の8%を占めており、6系統66台におよぶとしています。撤退の主な理由は運転手の人手不足ということですが、京都駅から四条河原町、平安神宮、南禅寺という観光地を結ぶ重要路線を担当しているため、その影響は大きくなりそうです。

 

京都京阪バスのバス停(2018年2月)

 

その後、京阪バスは2006年(平成18年)、同じ京阪グループの京阪宇治交通と京阪宇治交通田辺の2社と合併しています。京阪宇治交通の前身となるのは1922年(大正11年)に設立された宇治田原自動車商会ですが、1959年(昭和34年)に京阪グループの一員となり京阪宇治交通と社名変更しています。その後、1999年(平成11年)には宇治営業所の事業を京阪宇治交サービスへ、2002年(平成14年)には田辺営業所の一部路線を京阪宇治交通田辺へと分社化していました。

 

京都定期観光バス50周年記念乗車券

 

京都京阪バスは京阪グループのバス会社ですが、以前の社名は京阪宇治バスでした。2014年(平成26年)に京阪シティバスを合併して、このときに現社名へと改称しています。また、親会社について見ると、設立当初の2002年(平成14年)は京阪宇治交通でしたが、2006年(平成18年)になると京阪宇治交通が京阪バスに合併されたため、その親会社も京阪バスへと変更されました。

 

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