1.映画『嵐電』と撮影所前駅 2.京福電気鉄道の軌道路線とその歴史 3.帷子ノ辻駅で分岐する軌道路線 4.京都最古の寺「広隆寺」 5.福王子神社と宇多野駅 6.仁和寺と御室仁和寺駅 7.日本一長い駅名をもつ駅
嵐電天神川駅付近を走る嵐電(2019年7月)
映画『嵐電』と撮影所前駅
2019年(令和元年)、鈴木卓爾監督による映画『嵐電』が公開されました。嵐電は「らんでん」と読み、京都のまちを走る路面電車の愛称です。映画は井浦新さん、大西礼芳さんの主演で、嵐電の走るまちで織りなす3組の男女の運命を描いています。
蚕ノ社駅付近の嵐電の軌道(2019年7月)
嵐電には「撮影所前」という駅がありますが、近くには江戸時代の町を再現したオープンセットのある東映太秦(うずまさ)映画村があります。
撮影所前駅(2019年7月)
嵐電の沿線では、映画の創成期から数々の撮影所がつくられ、多くの映画関係者をこの辺りで見かけることができました。そして、撮影所は少なくなりましたが、現在でも映画の撮影は行われています。
撮影所前駅(2019年7月)
撮影所前駅は2016年(平成28年)に開業した新しい駅であり、北野線全線開通90周年を記念して設置されました。この駅の近くにはJR嵯峨野線の太秦(うずまさ)駅があり、乗換駅となっています。
嵐山駅に停車する映画村のヘッドマークを付けた車両(2017年7月)
撮影所前駅の構造としては、単線を挟んで2面相対式の地上駅となっています。
2面相対式の駅ホーム(2019年7月)
上の写真では、奥の方が帷子ノ辻(かたびらのつじ)・嵐山方面へと続く線路、手前の方が北野白梅町へと続く線路となります。
行先表示板(2019年7月)
京福電気鉄道の軌道路線とその歴史
京福電気鉄道の軌道路線は嵐山線(通称「嵐電」)と称していますが、嵐山~帷子ノ辻~四条大宮間が嵐山本線、帷子ノ辻~北野白梅町間が北野線となります。
帷子ノ辻駅に停車する「四条大宮行き」(2017年7月)
嵐山電車軌道は1910年(明治43年)、京都(現在の四条大宮)~嵐山間(現在の嵐山本線)を開通しました。1918年(大正7年)に京都電燈が嵐山電車軌道を合併し、嵐電は京都電燈のもとで列車を運行することになりました。1925年(大正14年)には現在の北野線の一部となっている北野(現在は廃止)~高雄口(現在の宇多野)間を開通し、翌年に高雄口(現在の宇多野)~帷子ノ辻間が開通して嵐山本線と接続します。
宇多野駅ホームのプランター(2019年7月)
北野駅については1958年(昭和33年)、京都市電今出川線の延長に際して北野~白梅町(現在の北野白梅町)間は譲渡することとなり、北野線の起点は白梅町(現在の北野白梅町)となり、駅名も変更して「北野白梅町」としました。
宇多野駅(2019年7月)
その後、戦時における配電統制令により京都電燈が解散されることになり、京都電燈の鉄道事業を継承するため、1942年(昭和17年)に京福電気鉄道が設立されました。太平洋戦争の直前の1941年(昭和16年)、電力事業を政府の管理下に置くため配電統制令が公布されました。すべての電力事業者は会社の解散を余儀なくされ、全国9地区に分け9つの配電会社が設立されて、これらにより配電事業が行われることとなりました。
嵐電天神川駅(2019年7月)
京福電気鉄道は嵐山線(嵐山本線および北野線)の他、鋼索線(通称「叡山ケーブル」)と叡山ロープウェイおよび現在は叡山電鉄となっている叡山本線と鞍馬線を京都電燈より継承しました。しかし、叡山本線と鞍馬線については経営が悪化したこともあり、1986年(昭和61年)に叡山電鉄に事業を譲渡しています。また当時は、福井県内においてもバスおよび鉄道事業を運営していましたが、2000年(平成12年)にバス事業を京福バスに、2003年(平成15年)に鉄道事業をえちぜん鉄道に譲渡しています。
帷子ノ辻駅で分岐する軌道路線
嵐電は北野白梅町、四条大宮、嵐山を「Y」の字を横にしたような形の軌道で結んでいます。3点を結んだ路線が集まる「Y」の字の真ん中が帷子ノ辻駅となります。
写真左手が北野線、右手が嵐山本線へと分岐する(2017年7月)
帷子ノ辻駅は1926年(大正15年)、北野線の高雄口(現在の宇多野)~帷子ノ辻間開通と同時に開業し、後に京福電気鉄道の駅となりました。
帷子ノ辻駅(2017年7月)
京都最古の寺「広隆寺」
京都最古の寺となる広隆寺(こうりゅうじ)は、太秦広隆寺駅が最寄りとなります。
太秦広隆寺駅(2017年7月)
広隆寺は603年(推古天皇11年)、秦河勝(はたのかわかつ)が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した寺院です。その本尊は国宝の指定第1号となった弥勒菩薩像です。
広隆寺(2017年7月)
福王子神社と宇多野駅
宇多野(うたの)駅は1925年(大正14年)に「高雄口駅」として開業し、2007年(平成19年)に「宇多野駅」と改称しています。
宇多野駅駅名標(2019年7月)
駅の構造としては、上下線のホーム位置が少しずれている形となる2面1線をもつ千鳥式ホームとなっています。
帷子ノ辻方面行きホームから北野白梅町方面行きホームが見える(2019年7月)
福王子(ふくおうじ)神社は宇多野駅から徒歩3分ほど福王子交差点前にあります。
福王子交差点にあるレトロな福王子交番(2019年7月)
福王子神社の前身は「深川神社」だったとされますが応仁の乱により焼失し、1644年(寛永21年)に徳川家光らが社殿を造営して「福王子神社」になったとされます。
福王子神社(2019年7月)
寛永年間に再興された社殿は国の重要文化財に指定されています。
本殿(2019年7月)
拝殿(2019年7月)
仁和寺と御室仁和寺駅
仁和寺(にんなじ)は886年(仁和2年)に光孝天皇の命によりその造営を開始し、888年(仁和4年)の宇多天皇時代に創建された寺院であり、当時の元号より「仁和寺」と命名されました。現在では真言宗御室派の総本山となり、1994年(平成6年)には世界遺産に登録されています。その見どころとしては国宝の金堂の他、重要文化財である朱塗りの中門、五重塔などがあります。
仁和寺(2017年7月)
宇多天皇は897年(寛平9年)に皇太子(後の醍醐天皇)に譲位した後、自らは出家し「法皇」と称して仁和寺に入ります。904年(延喜4年)には、仁和寺に生活空間としての僧房(室)を営んだことから、この辺りの地名が「御室(おむろ)」とよばれるようになったといいます。宇多天皇が仁和寺第1世宇多(寛平)法皇となって以降は、仁和寺代々の住職には皇室出身者が迎えられるようになり門跡寺院としての最高の格式を保つようになりました。鎌倉時代中期には全盛期を迎えることとなりますが、室町時代に起こった応仁の乱によりその寺院の大きな部分を焼失してしまいます。江戸幕府第3代将軍・徳川家光時代になると、第21世覚深法親王によりようやく再興されますが、1867年(慶応3年)には第30世純仁法親王が還俗したことにより断絶し、門跡寺院としての歴史を終えることになりました。
御室仁和寺駅駅舎(2017年10月)
仁和寺街道は一条通と合流して仁和寺の前に出ますが、この道はさらに御室から高雄(高尾)、周山を通って小浜へと至ります。周山街道とよばれるこの道はかつて、日本海の海産物や北山杉などの木材を京の都へ運ぶ重要な街道となっていました。
仁和寺から見た御室仁和寺駅(2017年7月)
仁和寺へは御室仁和寺駅からのアクセスが便利です。御室仁和寺駅は1925年(大正14年)に「御室駅」として開業して以来、2007年(平成19年)までは「御室駅」とよばれていました。
御室仁和寺駅駅舎(2017年7月)
駅舎正面の表示は今でも旧駅名の「御室驛」となっています。駅舎があるのは北野白梅町方面行きのホームのみであり、嵐山・四条大宮方面行きホームへは駅舎の外側にある踏切を渡らなければなりません。
日本一長い駅名をもつ駅
嵐電は2020年(令和2年)、「等持院駅」の駅名を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」に改称しました。これは京福電気鉄道が立命館との連携・協力協定を締結したことによるものです。駅名改称により「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅」は日本一長い駅名となりました。
宇多野駅に停車する嵐電の車両(2019年7月)