土浦駅[常磐線]

投稿者: | 2023-02-11

史跡「土浦城址及び櫓門」の碑(2021年4月)

土浦駅は1895年(明治28年)、日本鉄道土浦線の駅として開業しました。その後、日本鉄道が国有化されて官設鉄道の駅となりました。1918年(大正7年)、筑波線(土浦~筑波間)が開業して乗換駅となりました。筑波線は1987年(昭和62年)に廃止となり、現在は常磐線の駅となりました。

江戸時代の土浦城(2021年4月)

この土浦駅から徒歩15分の場所にはかつて土浦城がありました。土浦城は江戸時代に築かれましたが、堀に映る本丸の姿が亀の姿に似ていたことから「亀城(きじょう)」ともよばれています。

本丸跡(2021年4月)

土浦城は平城(ひらじろ)であり、幾重にもめぐらされた堀を固めとする水城(みずじろ)でした。本丸、二の丸を中心とし、三の丸、外丸、武家屋敷、町屋がありました。北門、南門、西門をつなげる堀で囲む総構えとなっていました。

二の丸跡の碑(2021年4月)

現在では、本丸と二の丸の一部を公園として整備し、現在では「亀城公園」となっています。

土浦城址「亀城公園」(2021年4月)

土浦城の城主となったのは、戦国時代は若泉氏、信太氏、菅谷氏、織豊時代は結城氏、江戸時代前期は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木氏、江戸時代中期以降は土屋氏でした。明治時代以降、その本丸は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所などとして使われてきました。

土浦城址「亀城公園」(2021年4月)

亀城公園内にある現存する櫓門(やぐらもん)は1952年(昭和27年)に茨城県指定史跡第1号なりました。櫓門は1656年(明暦2年)に改築されたものであり、本丸にある江戸時代の櫓門としては関東地方唯一の遺構となっています。

櫓門(2021年4月)

その他に江戸時代の建築物としては、裏門の霞門、二の丸と外丸の間に移設された旧前川門(高麗門)があります。

霞門(2021年4月)

東櫓と西櫓は復元された建築物であり、これらは西尾氏の時代に本丸土塁の上に建築されたものとされます。

東櫓(2021年4月)

明治時代以降、多くの建築物が火災、移築、取り壊しなどにより消失し、本丸には櫓門、霞門、西櫓を残すのみとなってしまいました。このうち、西櫓も老朽化および台風の影響により取り壊しを余儀なくされました。現存する西櫓は1991年(平成3年)に復元されたものです。

西櫓(2021年4月)