岸和田城の天守(2019年8月)
蛸地蔵駅
岸和田城は南北朝時代に築かれたといわれますが、その頃、タコの背に乗った地蔵さまが浜辺に現れたといいます。岸和田城主は城内に御堂を建ててその地蔵さまを安置したものの、度重なる戦乱で消失することを心配して地蔵さまを濠に沈めました。
岸和田城の天守(2019年8月)
天正年間になってから、岸和田城が一揆に急襲されてまさかの落城と思われた際、一人の大法師と数千のタコが現れてこれを蹴散らしました。その後、タコが濠に出没するのを耳にした岸和田城主が濠を調査すると、地蔵さまを発見したといいます。岸和田城主はかの法師は地蔵さまであったとし、地蔵さまは城内に祀られることになりました。
岸和田城の御濠(2019年8月)
しばらくして、近隣の天性寺(てんしょうじ)の和尚の申し出により、地蔵さまは天性寺に安置されることになりました。
蛸地蔵駅付近を通過する特急「ラピート」(2019年8月)
現在、蛸地蔵駅の西側500メートルほどの場所に天性寺がありますが、この寺は通称「蛸地蔵」とよばれています。
蛸地蔵駅駅名標(2019年8月)
蛸地蔵駅は1914年(大正3年)に南海鉄道の駅として開業していますが、その駅舎は今でも大正時代を想起させます。
東駅舎の外観(2019年8月)
西駅舎は南欧風の西洋館であり、西駅舎内のステンドグラスには先の「蛸地蔵物語」が描かれています。
西駅舎内の様子(2019年8月)
蛸地蔵駅は2面2線を有する相対式ホームの地上駅であり、それぞれのホーム同士の往来はできません。
蛸地蔵駅ホーム(2019年8月)
なんば方面行きのホームは西駅舎、和歌山方面行きのホームは東駅舎より入場することができます。
蛸地蔵駅付近を通過する空港特急「ラピート」(2019年8月)
岸和田城の歴史
岸和田城は蛸地蔵駅から徒歩7分ほどの場所にあります。
岸和田城の城門(2019年8月)
羽柴秀吉の叔父であった小出秀政の時代に天守が建てられたものの、江戸時代末期に落雷により焼失してしまいました。
岸和田城の城門(2019年8月)
現存する三層の天守は1954年(昭和29年)に再建されたものであり、郷土資料館となっています。
岸和田城の天守(2019年8月)
二の丸跡に建つ二の丸多聞櫓はトイレになっています。
二の丸多聞櫓(2019年8月)
本丸跡には白砂を敷きつめた「八陣の庭」という前庭があり、これは重森三玲(しげもりみれい)によって作られたものです。三国志に登場する蜀の丞相であった諸葛孔明の八陣法をもとに石組みを配置したといわれる斬新な庭となっています。
国指定名称岸和田城庭園「八陣の庭」(2019年8月)
岸和田城の濠端には五風荘が凛然と佇みますますが、その敷地は広大であり2,400坪にもおよびます。もともとは旧岸和田城主の岡部氏の新御茶屋跡でしたが、地元の財閥である寺田利吉が10年をかけて邸宅南木荘として作り上げました。「南木」というのは岸和田にゆかりのあった楠木氏の「楠」を由来としているといわれています。
五風荘(2019年9月)
建物の延床面積は300坪になりますが、木造2階建てとなる格調高い主屋の他に山亭・八窓席・残月席の三茶室があり、優美な庭園が見事な景観を創造しています。築90年となる主屋は1937年(昭和12年)より3年をかけて建築されました。
五風荘(2019年9月)
主屋は当時の日本建築技術の粋が集められた和風建築となっており、その木材は節のない最も上質な材料が使用される他、昭和前期ながら全室空調管理となっています。現在ここでは優雅な気分で本格的な和食を召し上がることができ、食後の庭園散策も格別な趣があります。
五風荘(2019年9月)