1.敦賀駅開業100周年記念碑 2.「鉄道のまち」と大谷吉継 3.敦賀駅の歴史 4.気比神宮 5.「銀河鉄道999」のブロンズ像 6.ぐるっと敦賀周遊バス 7.旧敦賀港ランプ小屋 8.金崎宮・金ヶ崎城跡
気比神宮の大鳥居(2019年7月)
敦賀駅開業100周年記念碑
敦賀駅の所在地は敦賀市鉄輪(かなわ)町一丁目です。
敦賀駅駅名標(2016年10月)
駅舎を出てすぐのところには敦賀駅開業100周年を記念して設置された動輪があります。
敦賀駅開業100周年記念の動輪(2017年3月)
その碑文には「この動輪は敦賀駅開業100周年を記念して設置したものであり、地元敦賀市と国鉄が両輪となって力強く200年を目指して驀進することを象徴しています」とあります。
動輪の碑文(2017年3月)
駅の住所といい、駅前に動輪が設置されていることといい、敦賀は「鉄道のまち」であることを実感することができます。
敦賀駅開業100周年記念の動輪(2017年3月)
「鉄道のまち」と大谷吉継
敦賀駅には駅員の手作りによる「SL吉継号」の顔出しパネルが設置されていました。
SL吉継号(2017年3月)
こうしたパネルの設置は2015年(平成27年)からはじまったそうです。「トワイライトエクスプレス」「北陸新幹線W7系」のテーマに続き、敦賀城主であった大谷吉継と鉄道をテーマとして作製されました。
敦賀駅前の風景(2016年10月)
敦賀港は古くから大陸への玄関口として重要な役割を担ってきました。大谷吉継は1589年(天正17年)に豊臣秀吉の命を受けて敦賀領主となり、敦賀港の町立てと共に敦賀城の城郭を完成させました。そのころ、京の寺社・町屋の復興や大坂城・伏見城などの建設を支える木材の移入港として、港の繁栄の基礎を築きました。
敦賀駅(2019年6月)
敦賀駅の歴史
日本鉄道史において、敦賀は日本海側の海運を太平洋側に輸送する大動脈として日本海側で初めての蒸気機関車が走った場所です。
敦賀駅前の風景(2016年10月)
その敦賀駅は1882年(明治15年)、洞道口(後の洞道西口)~敦賀間および敦賀~金ヶ崎(現在の敦賀港駅)間が開業した際に設置されました。
敦賀駅(2016年10月)
気比神宮
気比神宮は『古事記』や『日本書紀』にもその名が見られる北陸道総鎮守・越前国一之宮です。702年(大宝2年)に文武天皇が社殿を造営したものであり、悠久二千年の歴史を誇る元の官幣大社です。その境内にある角鹿(つぬが)神社は「敦賀」発祥の地と伝えられています。
氣比神宮(2016年10月)
1570年(元亀元年)には織田信長と朝倉氏の戦乱により焼失してしまいましたが、1614年(慶長19年)に福井藩初代藩主となった結城秀康がその社殿を造営しました。しかしながら、これも1945年(昭和20年)の戦災により焼失し、1985年(昭和60年)以降の大造営により本殿は改修され、幣殿や拝殿も造営されました。また、その大鳥居は重要文化財であり、奈良県の春日大社、広島県の厳島神社のそれと並んで、日本三大木造大鳥居とされています。
気比神宮の大鳥居(2016年10月)
大鳥居はもともと、嵯峨天皇の810年(弘仁元年)に通称「赤鳥居」として東参道口に創建されました。しかしながらその後、度重なる災害のために倒壊し、1645年(正保2年)に境域の西門に配してその礎石を移しました。これは寛永年間に、旧神領地佐渡国鳥居ヶ原から伐採奉納された榁樹1本により両柱を支えて再建されたものであり、現在の朱塗りの大鳥居となっています。
気比神宮の大鳥居(2019年7月)
古くから木造では「天下無双の大華表(おおとりい)」と称されてきたものであり、1901年(明治34年)に国宝に指定されています(現在は重要文化財)。
気比神宮の大鳥居(2019年7月)
それぞれの時代に権威ある伝統技術によって保存修理が続けられ、今日までその威容が伝えられています。正面の扁額は有栖川宮威仁親王の筆によるものです。
有栖川宮威仁親王による扁額(2016年10月)
当時の敦賀駅は気比神宮の大鳥居近くに置かれ、線路は町中を通り、港と鉄道の結節点となっていた金ヶ崎駅へと続いていました。
「銀河鉄道999」のブロンズ像
敦賀駅から気比神宮に続く商店街沿いには「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」などのブロンズ像が設置されています。
「銀河鉄道999」が描かれるバス停(2016年10月)
駅前を出てメインストリートを進んでいくと少年星野鉄郎のブロンズ像に出会います。
「少年星野鉄郎」(2016年10月)
そこには「未来の地球では機械人間が生身の人間を支配していた。宇宙にあこがれる少年星野鉄郎は、母を機械伯爵に殺された孤児である。彼は機械人間になり永遠の命を持つことを誓う」という説明があります。「メーテルとの出会い」のブロンズ像には、「999号は無料で機械の体をくれる星へ向かう銀河鉄道である。機械人間から999号のパスを盗み、追い詰められた鉄郎は死んだ母に生き写しのメーテルに助けられる。しかし、気を失いパスを落としてしまう」とあります。
「メーテルとの出会い」(2016年10月)
車掌さんのブロンズ像「旅立ち」には「人はみな、星の海を見ながら思い描いた希望を追い求めて、果てしなく長い旅に出る。終わることのない永遠の流れの中で、果てしなく続くレールの上を、夢と希望と野心そして若さを乗せて列車は走る。いま、汽笛が新しい若者の旅立ちの訪れをつげる」とあります。
「旅立ち」(2016年10月)
ぐるっと敦賀周遊バス
敦賀駅から少し離れた場所、かつて貨物線として利用された通称「敦賀港線」の敦賀港駅(旧金ヶ崎駅)近くの山の上には金ヶ崎城跡があります。
金ヶ崎緑地に設置される近隣地図(2019年7月)
敦賀駅からバスに乗ると気比神宮を通り過ぎて、約10分足らずで金崎宮バス停に到着します。敦賀駅前の通りにも銀河鉄道999のモニュメントが並んでいましたが、金崎宮バス停にも松本零士氏の「銀河鉄道999」のキャラクターが描かれています。
金崎宮バス停(2019年7月)
ぐるっと敦賀周遊バスは敦賀観光バスが運行する敦賀の観光地をめぐる周遊バスです。1乗車につき200円ですが、1日フリー券は500円で販売されています。バスルートはショッピングルートと観光ルートのとなります。
雪の残る敦賀駅(2018年2月)
金崎宮バス停に停車するのは観光ルートのバスであり、敦賀駅→気比神宮→キッズパークつるが→博物館通り→金崎宮→金ヶ崎緑地→赤レンガ倉庫→松原海岸→松原神社→お魚通り→大鳥居→敦賀駅と巡ります。
ぐるっと敦賀周遊バス時刻表(2019年7月)
金崎宮バス停のすぐ近くには、高野山真言宗の金前寺(こんぜんじ)が見えます。金前寺は736年(天平8年)に聖武天皇の勅願によって泰澄(たいちょう)が、十一面観世音菩薩を本尊として現在の金崎宮の地に建立したものです。
金前寺(2019年7月)
811年(弘仁2年)には空海がこの地に滞在し、その時代には金崎宮一帯に伽藍十二坊を有すほど栄えていたといいます。金前寺の脇の道には「金崎宮・金ヶ崎城跡にお越しの方」への案内とともに、「官幣中社金﨑宮」の石碑が立っています。近代社格制度は明治時代以降に新たに神社を等級化した制度であり、社格を官社と諸社(民社)、無格社に分けたものです。官社は祈年祭・新嘗祭に国から奉幣を受ける神社であり、神祇官が祀る官幣社と国司が祀る国幣社に分けられています。さらに、それぞれには大・中・小の格があります。この制度は第二次世界大戦以後に廃止されました。
「官幣中社金﨑宮」の石碑(2019年7月)
旧敦賀港ランプ小屋
金崎宮・金ヶ崎城跡へ向かうためにこの道を進むと、古いレンガ造りの建物が見えてきます。この建物は旧敦賀港駅ランプ小屋(金ヶ崎停車場ランプ小舎)であり、敦賀~長浜間に鉄道が敷設された1882年(明治15年)に完成したものです。
旧敦賀港駅ランプ小屋(2019年7月)
旧長浜駅舎と並んでわが国における最古の鉄道建築物の一つとなっています。建物内の2つの部屋ではランプ小屋に関するパネル展示と鉄道開業当時のランプ小屋内部を復元した展示が行われています。
旧敦賀港駅ランプ小屋(2019年7月)
金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)では1882年(明治15年)、朝6時に発車する列車が運行されていました。鉄道にはその当時、まだ電灯が用いられておらず、薄暗い時間帯の駅から列車を運行するためには多くの石油ランプが必要でした。石油ランプの正しい管理は安全な列車運行になくてはならないものであり、その注油は必ずランプ小屋で行うものとされていました。
当時の石油缶(2019年7月)
当時の金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)のランプ小屋は横浜駅、京都駅に次いで3番目の大きさを誇っており、大阪駅のランプ小屋は金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)のランプ小屋より小さかったといいます。
通称「敦賀港線」の跡(2019年7月)
金崎宮・金ヶ崎城跡
かつての金ヶ崎駅(後の敦賀港駅)の横を過ぎて、金崎宮・金ヶ崎城跡へと近づいていきます。
金崎宮(2019年7月)
金ヶ崎城は敦賀湾に突き出た丘の上に築かれた中世の城であり、現在は周囲が埋め立てられてしまっていますが、当時は北・西・南の三方を海に囲まれていました。東へと続く天筒山城の尾根には城戸が設置され、難攻不落の城となっていました。これへと向かって階段を上ります。
長い階段を上っていく(2019年7月)
これを上りきると、金崎宮・金ヶ崎城跡に到着します。
金崎宮(2019年7月)