浜寺公園の歴史と浜寺駅前停車場・浜寺公園駅

投稿者: | 2019-01-27

1.浜寺公園の歴史 2.浜寺駅前停留場 3.浜寺公園駅

 

浜寺公園駅旧駅舎(2018年12月)


浜寺公園の歴史

浜寺公園は2018年(平成30年)の台風21号により甚大な被害を受け、公園内の松の木や桜の木が相当数折れてしまっています。もともとはそうした多くの松の木が美しい松林をつくり、大阪府内では唯一「名松百選」にも選ばれる公園です。名松百選は1983年(昭和58年)に「日本の松の緑を守る会」が発表したものです。大阪府内では唯一「浜寺公園の松」が選ばれています。その他には、三保の松原(静岡県)、松島の松(宮城県)、天橋立の松(京都府)、彦根城のいろは松(滋賀県)、法隆寺境内の松(奈良県)、須磨浦公園の松(兵庫県)、皇居外苑の松(東京都)、日光の姫小松(栃木県)、筑波山の松(茨城県)、兼六園の松(石川県)、気比の松原(福井県)などがピックアップされています。

 

浜寺公園中央入口の横にある小さな派出所(2018年12月)

 

白砂青松(はくしゃせいしょう/はくさせいしょう)とは、白い砂浜と青々とした松林をもつ美しい海岸線の景色を言い表すときの形容として用いられる言葉ですが、この辺りの松林が連なる広い地域は、万葉の時代よりまさに「白砂青松の地」として詠まれてきました。この美しい松林の原型となるのは、宝永年間に辺りの住民らが防潮のために植林したことにはじまります。1868年(明治元年)になると新田開発のために松林が伐採されますが、1873年(明治6年)にこの地を訪れた大久保利通は伐採され減少した松林を見て、伐採停止の指示をしたといいます。大久保利通が松林伐採を惜しんで詠んだ歌「音に聞く 高師の浜の はま松も 世のあだ波は のがれざりけり」が、園内に「惜松碑」として建てられています。

 

阪堺電車の浜寺駅前停留場に停車する路面電車(2018年12月)

 

そして1873年(明治6年)、浜寺公園日本最古の公立公園として開園し、今では大阪で最も古い公園の一つとされています。その後、海浜リゾート地として賑わうようになり、園内では数軒の料亭が営まれるようになりました。その料亭の一つ「寿命館」においては1900年(明治33年)、与謝野晶子が与謝野鉄幹と親しくなった歌会が催されています。その歌集『みだれ髪』(1901年/明治34年)で知られる与謝野晶子は1878年(明治11年)、現在の大阪府堺市に生まれました。1900年(明治33年)に浜寺公園で出会った与謝野鉄幹と、1901年(明治34年)に結婚しています。浜寺公園内には与謝野晶子の歌碑が設置されています。


浜寺駅前停留場

浜寺公園中央入口前を走る紀州街道(府道204号線)をはさんで東側には、阪堺電気軌道浜寺駅前停留場が見えます。ここは阪堺線の終点となっていますが、その歴史は古く、停留場が開業したのは1912年(明治45年)のことです。

 

公園側から見た阪堺電車の停留場(2018年12月)

 

停留場は開業からすでに100年以上の時が流れており、大阪の繁華街「ミナミ」の中心地からわずか30分ほどの場所にかつての面影を見ることができます。

 

停留場の駅舎(2018年12月)

 

駅舎に掲出されている「阪堺電気軌道 浜寺駅前 HAMADERAEKIMAE」の文字にも時代を感じさせられるものがあります。

 

停留場の駅舎(2018年12月)


浜寺公園駅

浜寺駅前停留場から少し東へ行くと、赤い屋根の古い建築物が見えてきます。南海電気鉄道南海本線浜寺公園駅であり、赤い屋根の建築物はこの駅の旧駅舎です。

 

浜寺公園駅旧駅舎(2018年12月)

 

浜寺公園駅は1907年(明治40年)、「近代建築の元勲」こと東京帝国大学工科大学学長の辰野金吾・片岡安博士設計により建てられた洋風木造建築物です。

 

旧駅舎の前に設置される駅の説明(2018年12月)

 

屋根の正面に見えるドーマ窓(屋根窓)や、柱の骨組みを壁に埋めず装飾模様として活かすハーフチンバー様式(木骨真壁作り)、また、鹿鳴館の2階ベランダ部分に用いられた柱と似た玄関柱が特徴となっています。

 

浜寺公園駅旧駅舎(2018年12月)

 

私鉄最古の歴史ある明治時代の駅として、地元をはじめ多くの人々から親しまれ日本建築学会など学術的にも高く評価されています。この駅舎は1998年(平成10年)に国の登録有形文化財に登録されている他、2000年(平成12年)には近畿の駅百選に選定されています。

 

浜寺公園駅旧駅舎(2018年12月)

 

辰野金吾による駅舎となる前、1897年(明治30年)にこの駅は南海鉄道の浜寺駅として開業しています。そして1907年(明治40年)にこの歴史的な駅舎に建て替えられ、「浜寺公園駅」と改称しています。

 

駅舎前の懐かしいポスト(2018年12月)

 

1944年(昭和19年)には戦時統合により近畿日本鉄道の所属となった後、1947年(昭和22年)に南海電気鉄道の所属となりました。2016年(平成28年)になると高架化工事にともなって旧駅舎の使用を停止し、仮駅舎による運用となりました。

 

旧駅舎の隣りに設置される仮駅舎(2018年12月)

 

2017年(平成29年)には、現在の旧駅舎がある広場へ、旧駅舎を曳家により移設し、現在ではギャラリーやカフェとして地域交流拠点として試験活用されています。

 

カフェとして活用される旧駅舎(2018年12月)

 

旧駅舎がある広場は線路の西側ということになりますが、線路の東側にも小さな駅舎があります。

 

浜寺公園駅東側出入口(2018年12月)

 

改札口横の時刻表の上にある「浜寺公園駅」の文字も、なんともかわいらしいです。

 

 

東口を出て少し南へ下ると、なんとも古ぼけた小さな屋根だけがぽつんと立っています。

 

線路の東側から撮影(2018年12月)

 

駅のホームに目を移してみると、1・2番線となる和歌山方面行きのホーム上には、風情があり、レトロな洋風の待合室がひっそりと建ちます。

 

ホーム上の待合室(2018年12月)

 

この写真(なんば方面へ向いて写したもの)では、右側が1番線、左側が2番線となりますが、左にある向かいのホームとの間に線路が3本あります。ところが、次の写真(和歌山方面へ向いて写したもの)では、ホームとホームの間に線路が2本しかありません。

 

2番線(和歌山方面行きホーム)より和歌山方面をのぞむ(2018年12月)

 

2番線(和歌山方面行き)のホームは左端の信号(赤)の辺りで終わっているのに、写真右側の向かいのホームは、和歌山方面へさらに長く続いています。この長くなっている部分が3番線(なんば方面行き)のホームであり、なんば方面へ向かう線路は写真右のシルバーの設備箱辺りから分岐しています。

 

分岐するなんば方面行きの線路(2018年12月)

 

そして、さらに分岐する線路の横には切り欠かれた別のホームが出現します。これを3番線(なんば方面行き)のホームから撮影すると、次のように見えます。

 

分岐する線路からなんば方面をのぞむ(2018年12月)

 

この切り欠かれたホームは4番線となっていて、なんば方面行きのもう一つのホームとなります。つまり、和歌山方面から到着した列車のうち、4番線ホームに停車する列車は、3番線を通過した上で分岐した線路に入り、4番線に停車しなければならないということになります。浜寺公園駅は2面4線をもちますが、このように少し複雑な構造となっています。

 

4番線から発車する列車の時刻表(2018年12月)