地下鉄谷町線と戦国武将「真田幸村」

1.地下鉄谷町線 2.中崎町駅 3.「幸村が駆け抜けた大坂」 4.四天王寺前夕陽ヶ丘駅と安居神社 5.平野駅と全興寺 6.長原駅と志紀長吉神社

 

地下鉄谷町線の「真田丸」ラッピング列車(2016年8月)img_0359


地下鉄谷町線

1967年(昭和42年)に東梅田~谷町四丁目間の地下鉄が開業し、翌1968年(昭和43年)には谷町四丁目~天王寺間が開業します。この路線の愛称が「谷町線」となるのは1969年(昭和44年)のことです。

 

谷町線路線図(2016年10月)
谷町線路線図

 

さらに、1974年(昭和49年)になると東梅田~都島間が開業します。開通記念切符によると、東梅田~都島間の運賃は60円だったようです。2017年(平成29年)現在の東梅田~都島間の運賃は230円となっていて、約4倍となっています。

 

地下鉄谷町線開通記念切符
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その後、1977年(昭和52年)には都島~守口間、1980年(昭和55年)には天王寺~八尾南間、さらに1983年(昭和58年)には守口~大日間が開業しています。現在、谷町線の輸送人員は御堂筋線に次いで2番目となり、まさに大阪の大動脈へと成長しています。

 

地下鉄谷町線守口~大日開通記念切符
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30000系車両は2009年(平成21年)、当時大阪市営地下鉄を運営していた大阪市交通局が谷町線に投入した通勤形車両です。2011年(平成23年)からは御堂筋線にも投入しています。

 

中崎町駅に到着する30000系電車(2019年1月)


中崎町駅

中崎町駅は1974年(昭和49年)に東梅田~都島間の延伸開業と同時に設置されました。

 

中崎町駅駅名標(2018年2月)

 

中崎町駅は平成時代の初めの頃には駅の乗降客数が減少した時期もありました。

 

中崎町駅の壁(2018年2月)

 

しかし、今では昭和時代の建築物をリニューアルしたレトロ風の飲食店や雑貨屋などが増えたことも手伝ってか、最近では乗降客数が増えつつあります。

 

中崎町駅2番線ホーム(2019年1月)


「幸村が駆け抜けた大坂」

2016年(平成28年)、当時大阪市営地下鉄を運営していた大阪市交通局では「幸村が駆け抜けた大坂」というスタンプラリーを実施していました。

 

「幸村が駆け抜けた大坂」スタンプラリー案内(2016年10月)img_1811

 

このイベントは真田幸村が駆け抜けた施設6ヶ所とその最寄駅のスタンプ12個を集めるというものです。各所でスタンプを集めると、制覇賞としてオリジナルハンドタオルがもらえます。

 

オリジナルハンドタオル(2016年10月)

 

1614年(慶長19年)、徳川家康は大坂城にある豊臣秀頼追討の命を出します。九度山真田信繁(真田幸村のもとには大坂城より使者がやってきて大坂城の危急を告げました。

 

ラッピング列車に見える真田家の家紋「六文銭」(2016年8月)IMG_05372

 

真田信繁は「幸村」と改名し、嫡男の大助らとともに大坂城に入城します。真田幸村大坂城近くに真田丸を築き、徳川家康との最期の戦いを繰り広げます。

 

地下鉄谷町線の「真田丸」ラッピング列車(2016年8月)IMG_1072

 

このイベントでは地下鉄のいくつかの駅でスタンプも集めなければならないので、市営交通1日乗車券「エンジョイエコカード」を購入してスタートしました。

 

エンジョイエコカード(平日用)

 

平日用は800円ですが、土日祝用は600円となります。

 

エンジョイエコカード(土日祝用)

 

目指す地は志紀長吉神社、全興寺茶臼山、安居神社、三光神社、大阪歴史博物館となります。

 

三光神社の眞田幸村公之像(2016年10月)
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谷町線の一部の車両には大河ドラマ「真田丸」のラッピングがほどこされていました。

 

地下鉄谷町線の「真田丸」ラッピング列車(2016年8月)IMG_1071

 

車内には花火の模様を見ることができます。

 

地下鉄谷町線の「真田丸」ラッピング列車(2016年8月)IMG_1073

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このイベントの終点となる地は谷町四丁目駅の最寄りとなる大阪歴史博物館です。

 

大阪歴史博物館(2016年10月)
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6階へ上がり、大河ドラマ特別展「真田丸」を見学しました。貴重な資料が数多くあり、とても多くの人で賑わっていました。谷町四丁目駅にもどり、駅のスタンプを押印して、スタンプラリーの完成です。駅長室で制覇賞のハンドタオルをもらいました。

 

スタンプラリーの完成(2016年10月)
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四天王寺前夕陽ヶ丘駅と安居神社

四天王寺前夕陽ヶ丘駅は1968年(昭和43年)、地下鉄2号線(後の谷町線)の谷町四丁目~天王寺間が延伸される際に四天王寺前駅(夕陽ヶ丘)として開業しました。この近くには四天王寺がありますが、四天王寺日本仏法最初の官寺とされています。

 

四天王寺(2017年10月)

 

四天王寺は今から1400年以上前となる593年(推古天皇元年)に建立されました。『日本書紀』によると、物部氏と蘇我氏の戦いにおいて、蘇我氏側についた聖徳太子が自ら四天王像を彫って形成の不利を打開しようとしました。そして、この戦いの勝利後、この四天王を安置する四天王寺を建立したとされます。

 

四天王寺前夕陽ヶ丘駅構内ポスター(2016年10月)
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四天王寺前駅(夕陽ヶ丘)は1997年(平成9年)に四天王寺前夕陽ヶ丘駅と改称し、2018年(平成30年)には大阪市営地下鉄が民営化されたことにより、大阪メトロの駅となりました。四天王寺前夕陽ヶ丘駅の最寄りには安居神社があります

 

安居神社(2016年10月)
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安居神社大坂夏の陣最後の決戦で敗れた真田幸村が討ち死にした場所と伝わります。鳥居をくぐり抜けると緩やかな石段を上ると、境内には「眞田幸村陣歿の旧跡」があります。

 

真田幸村戦死跡之碑(2016年10月)
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「元和元年大阪夏の陣に徳川家康は秀忠と共に大軍を率いて大阪城を攻めた。ここに於て大阪の兵は城の既に恃むべからざるを知って出でて戦い、五月六日幸村は後藤基次、薄田兼相等と大和口を防がんとして河内の片山道明寺に赴き、基次等が敗死したので殿軍となって伊達政宗の兵と戦い、翌七日は天王寺附近に松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内一本松の下で戦死した。時に年齢四十九歳であった。当時の松は既に枯死したが、社殿復興を機に昭和26年四月二十四日これを記念して植樹された。例年五月に幸村祭が盛大に行われる。」

 

眞田幸村公之像(2016年10月)
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平野駅と全興寺

平野駅は1980年(昭和55年)、谷町線天王寺~八尾南間を延伸した際に開業しています。

 

平野駅に掲示されていたイベントのポスター(2016年10月)
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JR線の平野駅とは約1.3キロほど離れており、乗換駅にはなりません。2018年(平成30年)には大阪市営地下鉄が民営化されたことにより、大阪メトロの駅となりました。

 

平野駅構内の「真田幸村」コーナー(2016年10月)
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谷町線平野駅から徒歩10分の場所には全興寺があります。

 

全興寺(2016年10月)
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大坂夏の陣の際、徳川家康が立ち寄ると考えられていた陣地があり、その陣地横の地蔵堂に真田幸村が爆発物を仕掛けたそうです。結果的に家康は無事だったのですが、その地蔵の首がこの全興寺まで飛んできたと伝わっています。全興寺は商店街の中にあります。

 

全興寺(2016年10月)
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全興寺の境内には「小さな駄菓子屋さん博物館」があります。

 

小さな駄菓子屋さん博物館(2016年10月)
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博物館には、昭和20年代~30年代にかけてこうした駄菓子屋さんに並んでいた小さな玩具が展示されています。

 

博物館に展示される小さな玩具(2016年10月)
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懐かしい看板も展示されています。

 

カバヤキャラメルの看板(2016年10月)
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長原駅と志紀長吉神社

長原駅は1980年(昭和55年)、谷町線天王寺~八尾南間を延伸した際に開業しています。2018年(平成30年)には大阪市営地下鉄が民営化されたことにより、大阪メトロの駅となりました。

 

長原駅駅構内ポスター(2016年10月)
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長原駅の最寄りには志紀長吉神社があります。長原駅の駅長室の横にはスタンプ台が設置してありました。この長原駅の建設工事の際に、周辺に古墳群が埋没しているのが明らかになりました。長原古墳群と名付けられたこの古墳群からは200以上の古墳や古墳の痕跡と、多数の埴輪が出土しています。

 

長原駅スタンプ(2016年10月)
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志紀長吉神社には、大坂夏の陣の「道明寺・誉田の戦い」に参戦した真田幸村大坂城に戻る際に立ち寄り、戦勝を祈願したといわれています。そのときに軍旗と刀剣を奉納しています。

 

志紀長吉神社(2016年10月)
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