山陽電気鉄道の歴史と明石市立天文科学館

人丸前駅(2017年8月)


人丸前駅

近畿の駅百選」とは、2000年(平成12年)から2003年(平成15年)にかけて、国土交通省が近畿地方(京都府・大阪府・滋賀県・兵庫県・奈良県・和歌山県)における特徴ある100駅を選定したものです。山陽電気鉄道人丸前(ひとまるまえ)も第3回認定駅に選定された駅の一つです。

人丸前駅(2017年8月)

人丸前駅は1917年(大正6年)に兵庫電気軌道の駅として設置されました。人丸前駅には日本標準時子午線(東経135度線)が走ります。

【兵庫電気軌道】

兵庫電気軌道はもともと1907年(明治40年)に設立された鉄道会社であり、現在の兵庫駅(JR西日本)付近にあった兵庫駅(後の電鉄兵庫駅/現在は廃駅)~須磨(現在の山陽須磨)~明石(現在の山陽明石)間を開通させました。

人丸前駅ホーム(2017年8月)

人丸前駅から徒歩2分ほどの場所には、1960年(昭和35年)に日本で最初に建設された科学館として知られる明石市立天文科学館があります。

明石市立天文科学館(2017年8月)

人丸前駅の改札口を出てすぐの高架下には両馬川旧跡があります。1184年(寿永3年)、一の谷の戦いに敗れた平家軍の通過地となります。また、平忠度が岡部六弥太に追いつかれ、2人の馬が川をはさんで戦ったので「両馬川」という名前がついたとついたと伝えられます。

両馬川旧跡(2017年8月)

ここから北へ歩いて行くと明石市立天文科学館へと到着しますが、その間、両馬川旧跡の他にもいくつかの歴史の痕跡が見られます。

馬塚(2017年8月)

馬塚は平経盛の子・経正(敦盛の兄)の馬を埋めた場所だといいます。さらには旧明石藩主松平廟所があり、明石市指定文化財となっています。

旧明石藩主松平家廟所(2017年8月)

第8代藩主となる松平直明から第15代斉宜までの藩主およびその家族の墓、59基があります。

松平丹波守康直墓(2017年8月)

明石市立天文科学館は1960年(昭和35年)の時の記念日(6月10日)に開館しました。

松尾芭蕉の句碑(2017年8月)

時の記念日は天智天皇が671年(天智天皇10年)、漏刻(ろうこく)台を完成させて人々に時を知らせたことに由来するといいます。漏刻とは水時計の一つであり、いくつかの水槽が細い管でつながっていて水が順に伝わることにより、水の流れを一定にする工夫が凝らされているものです。最も下の水槽の水面が上がる様子を目盛りで読み取って時刻をはかるものです。

明石市立天文科学館の日本標準時子午線(2017年8月)


山陽電気鉄道の歴史

宇治川電気は過去に存在した電力会社ですが、京都の宇治川で水力発電をしていました。その宇治川電気は1927年(昭和2年)、山陽電気鉄道の前身となる兵庫電気軌道神戸姫路電気鉄道を合併して鉄道の経営にあたることになりました。

【神戸姫路電気軌道】

神戸姫路電気軌道は1919年(大正8年)に設立された鉄道会社であり、明石(現在の山陽明石)~姫路(現在の山陽姫路)間を開通させています。

これらの路線を宇治川電気が引き継いだため、当時この路線は「宇治電」とよばれていました。その後、1933年(昭和8年)に宇治川電気の鉄道部門が独立して山陽電気鉄道となります。

山陽百貨店の入る山陽姫路駅ビル(2017年8月)

網干線は1941年(昭和16年)に全通となっています。

【網干線】

[飾磨]―[西飾磨]―[夢前川]―[広畑]―[山陽天満]―[平松]―[山陽網干]


直通特急と山陽電車の車両

山陽電気鉄道本線は西代~山陽姫路間、、網干線は飾磨~山陽網干間を結んでいますが、ほぼ全線が山陽本線(JR西日本)との競合関係にあります。

【本線】

[西代]―[板宿]―[東須磨]―[月見山]―[須磨寺]―[山陽須磨]―[須磨浦公園]―[山陽塩屋]―[滝の茶屋]―[東垂水]―[山陽垂水]―[霞ヶ丘]―[舞子公園]―[西舞子]―[大蔵谷]―[人丸前]―[山陽明石]―[西新町]―[林崎松江海岸]―[藤江]―[中八木]―[江井ヶ島]―[西江井ヶ島]―[山陽魚住]―[東二見]―[西二見]―[播磨町]―[別府]―[浜の宮]―[尾上の松]―[高砂]―[荒井]―[伊保]―[山陽曽根]―[大塩]―[的形]―[八家]―[白浜の宮]―[妻鹿]―[飾磨]―[亀山]―[手柄]―[山陽姫路]

本線では阪神電気鉄道との相互直通運転により直通特急を運行しています。直通特急が運行されるようになったのは1998年(平成10年)のことであり、阪神本線大阪梅田~元町)から神戸高速線(元町~西代)を経由して本線(西代~山陽姫路)へとつながる特急です。

山陽百貨店の入る山陽姫路駅ビル(2017年8月)

3000系は1964年(昭和39年)~1985年(昭和60年)に製造された車両であり、通勤型車両です。

山陽電気鉄道3000系(2017年8月)

5000系は1986年(昭和61年)~1995年(平成7年)に製造された車両であり、3扉セミクロスシート仕様となっており特急運用が主体となっています。

山陽電気鉄道5000系(2017年8月)