1.特急「こうや」と特急「りんかん」 2.奥河内の玄関口「河内長野駅」 3.愛称「こうや花鉄道」 Θ紀和鉄道Θ
各駅停車「なんば行き」の車両(2016年10月)
特急「こうや」と特急「りんかん」
「こうや」は難波~極楽橋間で運行される特急であり、高野山へのアクセス列車として30000系および31000系が使用されています。30000系は1983年(昭和58年)に登場した車両であり、先代20000系の後継車両となりました。前面および側面の眺望がよく、先頭部がシャープな流線形となっているのが大きな特徴です。登場から30年以上経過しますが、引退の気配は今のところありません。
九度山駅に到着する各駅停車「橋本行き」(2016年10月)
4代目「こうや」となる31000系は1999年(平成11年)に登場しています。他の特急列車との併結のため、車両前面に貫通扉が設置されています。30000系、31000系ともに車長は17メートルと短く、橋本駅から高野山へと向かう山岳路線区間の急カーブに対応できるようになっています。
特急「こうや」31000系(2017年1月)
また、難波~橋本間で運行される特急列車は「りんかん」と名付けられています。
奥河内の玄関口「河内長野駅」
南海電気鉄道に乗ると、大阪市内から約30分ほどで河内長野市に入ります。河内長野市を中心とする大阪南東部は緑が豊かな地域となっていて「奥河内」ともよばれています。その玄関口となるのは河内長野駅であり、河内長野駅は1898年(明治31年)に開業しました。1902年(明治35年)になると、河南鉄道が開通して乗換駅となりました。
各駅停車「橋本行き」の車両(2016年10月)
現在では近鉄河内長野駅と隣接しており、近鉄長野線の終着駅となっています。また、河内長野駅には特急「こうや」の他、すべての列車が停車します。
河内長野駅に停車する車両(2016年10月)
愛称「こうや花鉄道」
河内長野駅からさらに南へ下ると、和歌山県に入り橋本駅に到着します。橋本駅は1898年(明治31年)当時、紀和鉄道の駅として開業していますが、このときはいわゆる「陸(おか)蒸気」が走り出した時代です。
紀和鉄道
紀和鉄道は1896年(明治29年)に設立された鉄道会社であり、現在のJR和歌山線のうち五条~和歌山間を運行していました。当時の和歌山駅は現在では紀和駅となっています。紀和鉄道は他社に買収された後、国有化されています。
陸蒸気とは蒸気機関車のことであり、明治時代にはそのようによばれました。当時蒸気船が「蒸気」とよばれたことに対する造語です。
入線を待つ急行「なんば行き」の車両(2016年10月)
1915年(大正4年)になると、高野登山鉄道が三日市~橋本間を開通させて橋本駅に乗り入れ、これが後に南海鉄道の駅となります。それ以来、橋本駅は国鉄と南海鉄道(現在の南海電気鉄道)の共同使用駅となりました。
橋本駅に停車する車両(2016年10月)
1922年(大正11年)に南海高野線となり、汐見橋~橋本間を「大運転」、汐見橋~三日市間を「中運転」、汐見橋~堺東間を「小運転」と称するようになりました。このころの「大運転」は1時間55分かかったといいます。
九度山駅に到着する「橋本行き」各停列車(2016年10月)
現在の橋本駅駅名標には「こうや花鉄道」とあります。これは高野線のうち橋本~高野山間の愛称となっており、橋本駅はまさに高野山への玄関口となっています。
橋本駅駅名標(2016年10月)
橋本駅の標高は92メートルであり、ここから極楽橋間は急カーブと最高で50パーミルとなる勾配区間が介在する山岳路線となります。極楽橋駅からはケーブルカーに接続しています。
保線作業車(2016年10月)