1.雨引駅 2.雨引観音へのアクセス方法 3.雨引山楽法寺(雨引観音)
雨引山に放し飼いにされるクジャク(2020年2月)
雨引駅
雨引(あまびき)駅は1918年(大正7年)、筑波線の真壁~岩瀬間が延伸開業した際に設置されました。駅は2面2線をもつ相対式ホームとなっていて、上り(真壁・土浦方面行き)ホーム上に駅本屋がありました。1987年(昭和62年)の筑波線廃止と同時に廃駅となっています。
雨引駅廃線図
雨引観音へのアクセス方法
雨引山楽法寺(あまびきさんらくほうじ)は「雨引観音(あまびきかんのん)」とよばれ、安産・子育て・厄除け祈願でよく知られています。坂東二十四番札所であり、春は桜、初夏は紫陽花(あじさい)、秋は紅葉を楽しむことができます。
雨引観音の本堂/観音堂(2020年2月)
雨引観音は旧雨引駅からは車で5分ほどの場所にありますが、現在は桜川市バス「ヤマザクラGO」でのアクセスとなります。「ヤマザクラGO」は筑波山口~旧酒寄駅跡~桜川市役所真壁庁舎~真壁城跡~雨引観音~桜川市役所大和庁舎~大和駅入口~岩瀬駅~桜川市役所岩瀬庁舎を結ぶルートを走りますが、雨引観音へは休日のみの運行となります。
雨引山楽法寺(雨引観音)
雨引観音は雨引山の中腹にありますが、梁(中国)の人である法輪独守居士が587年(用明天皇2年)、そこに延命観世音菩薩を祀って開山しました。推古天皇が病に伏したときには、はるか遠く雨引観音の観世音菩薩に病気平癒を祈らせて回復したと伝えられます。延命観世音菩薩立像は国指定重要文化財となっています。
境内の様子(2020年2月)
聖武天皇の730年(天平2年)には、光明皇后が自らの安産を祈願したところ母子ともに無事であったことから、雨引山は安産・子育ての霊場と定められました。このとき三重塔が建てられ、現在ではここに光明皇后の紺紙金泥の法華経が大切に保存されています。1683年(天和3年)、この三重塔を再建するべく第二重目まで建設したが果たせず、後にこれを完成させ、1853年(寛永6年)には三重塔を改めて多宝塔として現在に至ります。
多宝塔(2020年2月)
「雨引山」の名の由来は嵯峨天皇の821年(弘仁12年)の夏のことに遡ります。日照り続きにより大飢饉に見舞われた際、嵯峨天皇は写経してこれを雨引観音に納めて本尊に降雨祈願をしたといいます。その後、ほどなく雨が降り出して七日七夜降り続いたことから、「天彦山」と称されていたのを勅命により「雨引山」としました。
仁王門(2020年2月)
駐車場から境内へと続く145段の石段(磴道)は1821年(文政4年)より1年2か月の歳月を費やして完成されたものです。
駐車場から磴道へ(2020年2月)
この大石段は「厄除けの石段」ともよばれ、一段一段「南無観世音菩薩」と唱えて登れば厄が落ちるといわれています。
駐車場から磴道へ(2020年2月)
石段の途中にある仁王門は1254年(建長6年)に宗尊親王が建立した門であり、鎌倉時代の仏師である康慶の彫刻した仁王尊を祠っています。
145段の大石段(2020年2月)
仁王尊は二躯であり、一つは「阿」の字、もう一つは「吽」の字を表すといいます。門の周囲の彫刻は1704年(宝永元年)に無関堂円哲が彫刻したものです。現在の建造物は1628年(天和2年)に再建されたものであり、茨城県指定文化財となっています。
仁王門(2020年2月)
石段を登りきると本堂(観音堂)があります。創建当初の本堂は1254年(建長6年)、宗尊親王が本堂が朽壊しているのを嘆き、当時の執権・北条時頼を諭してこれを再建したといわれています。現在の本堂は1474年(文明6年)に当時の真壁城主がこれを完成させ、その後1526年(大永6年)にはこれが改築されました。さらに、1682年(天和2年)には大本堂が建立されています。
本堂/観音堂(2020年2月)
大正時代に建立された阿弥陀堂では、シロアリ被害などによる老朽化にともない再建工事が行われています。合わせてバリアフリー化の工事も行われています。
バリアフリー化の工事について(2020年2月)
茨城県指定文化財となる東照山王権現社殿は、高さ5.53メートルある入母屋造りの建物です。その社殿からは徳川家康神像(本像)と徳川将軍歴代の位牌や東照大権現宮と山王大権現宮の棟札が発見されました。東照大権現と山王大権現は別々に祀られていましたが、1727年(享保12年)に合祀再建されました。
東照山王権現社殿(2020年2月)
雨引山では1996年(平成8年)頃より数羽のクジャクを放し飼いにするようになりましたが、今では多くのクジャクを境内で見ることができるようになり、観光客を喜ばせています。
雨引山に放し飼いにされるクジャク(2020年2月)