国宝「姫路城」・日本庭園「好古園」

1.黒田官兵衛と姫路城 2.国宝「姫路城」 3.姫路駅から姫路城へのアクセス 4.姫路城ループバス 5.日本庭園「好古園」


黒田官兵衛と姫路城

黒田官兵衛は戦国時代の武将であり、軍事的な才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕え、さまざまな場面で活躍をしました。その黒田官兵衛が生まれ育ったのは播磨国です。黒田氏は黒田官兵衛の祖父の時代に播磨に移り住んできました。

 

姫路城(2017年8月)

 

そのころ、播磨国は赤松氏が衰退し、有力武将同士が争う様子となっていました。そうした中、黒田官兵衛の祖父・重隆と、黒田官兵衛の父・職隆(もとたか)はその才を認められ、姫路城を任されるようになります。そして、その姫路城で1546年(天文15年)に誕生したのが黒田官兵衛です。黒田官兵衛は通称であり、黒田孝高(よしたか)、黒田如水(じょすい)としても知られています。

 

姫路城に隣接する好古園内の様子(2017年8月)

 

織田信長が畿内をおさえた頃、播磨国では、中国地方を支配していた毛利氏か、勢いづく織田氏のいずれに与するかで揺れることになりますが、黒田官兵衛は重臣たちが毛利氏につくことを主張する中、織田氏につくことを決定させます。

 

姫路城に隣接する好古園内の様子(2017年8月)

 

黒田氏は毛利氏と対立するところとなり、黒田官兵衛は毛利氏の大軍に少数の兵で当たることになりますが、これを退けることに成功しています。

 

姫路城に隣接する好古園内の様子(2017年8月)

 

その後も戦功をあげた他、播磨・但馬の攻略をしていた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に姫路城を譲り、ここを拠点として中国攻めをするように提案しています。

 

姫路城(2017年8月)


国宝「姫路城」

姫路城の歴史は1333年(元弘3年)、鎌倉幕府滅亡の年に、姫山の地に砦が築かれたことにはじまります。青空を背景としたその白い姿が、水面から飛び立つ白鷺に見えることから「白鷺城」ともよばれてきました。

 

別名「白鷺城」こと姫路城(2017年8月)

 

姫路城は1993年(平成5年)、わが国で初めて世界文化遺産に登録されています。

 

世界文化遺産・国宝「姫路城」(2017年8月)

 

消火栓は消火活動のために必要な水を供給する設備です。赤色やアイボリー色の消火栓はよく見かけることがありますが、姫路城内の消火栓は少し渋めの感じです。

 

姫路城の消火栓(2017年8月)


姫路駅から姫路城へのアクセス

姫路駅北口を出て左手に山陽百貨店の入る山陽姫路駅ビルを見ながら、大手前通りを北へ進みます。しばらくすると、左手に1949年(昭和24年)に誕生した「えきそば」のお店が見え、東西を走る西国街道にぶつかります。

 

「えきそば」の案内チラシ(2017年8月)

 

大手前通りの西国街道は江戸時代には大名行列などが行き交うメインストリートでした。またこの場所には大名などが宿泊する国府寺家の本陣がありました。

 

旧山陽道「西国街道」(2017年8月)

 

3代将軍徳川家光公の時代、姫路城主だった本多忠政が中堀を浚渫(しゅんせつ)した泥土を、ここから西の坂元町に敷いたため旅人が難渋し、それから人々はここ先で左に折れ、俵町(現在は西二階町)から備前門に向かったといいます。さらに進むと姫路城の中堀跡があります。この土塁は姫路城の中堀で、その南にある国道2号線は中堀を埋め立てて敷設されたものです。この堀より南の小区画(外曲輪)には主に町屋が配され、ここより内側の小区画(内曲輪)には侍屋敷が配されていました。

 

姫路城の中堀跡(2017年8月)

 

さらに北へ進むと、いよいよ姫路城が大きく見えてきます。その目の前には飲食店や土産物店が立ち並んでいて、その建物は江戸時代を思わせるような佇まいとなっています。

 

姫路城前の店舗(2017年8月)

 

江戸時代、このあたりは家老クラスの居宅が並ぶ武家町で大名町と呼ばれた。その名の由来は、ここから東にある播磨国総社が総社大明神ともよばれたからとも、戦国時代の字名によるものともいわれています。

 

姫路城前の店舗(2017年8月)

 

明治時代になると、姫路城の中曲輪にある侍屋敷は取り払われて陸軍の軍用地となり、このあたりは城南練兵場となりました。その後、中曲輪の軍用地は本町に転入され、そのすべてが六十八番地となります。この番地は今でも皇居についで2番目に広い番地となっています。

 

姫路城前の店舗(2017年8月)


姫路城ループバス

姫路駅からこの辺りまで町並みを楽しみながら歩いてきてもよいですが、バスを利用することもできます。

 

レトロ調の姫路城ループバス(2018年4月)

 

姫路城ループバスは姫路城周辺の観光スポットをめぐるバスであり、その外観はレトロな雰囲気を醸しだしています。

 

姫路ループバスパンフレット(2017年8月)

 

姫路城ループバスの運行ルートは「姫路駅前(姫路駅北口バスターミナル6番のりば)→姫路城大手門前→姫路郵便局前→美術館前→博物館前→清水橋(文学館前)→好古園前→大手町通り→姫路駅前(姫路OSビル前)」となっています。

 

姫路ループバスパンフレット(2017年8月)

 

バス運賃は1回乗車は大人100円(小人50円)となりますが、1日乗車券は大人300円(小人150円)となります。

 

姫路城前を走るループバス(2017年8月)

 

1日乗車券は1日乗り放題となる他、姫路城や好古園、市立美術館(常設展)、姫路文学館(常設展)などの施設利用料が2割引となる特典が付いています。姫路城ループバスの側面には「神姫バス」の文字が見えます。

 

車体側面の文字(2017年8月)

 

神姫バスは兵庫県を中心とするバス路線を運営するバス会社です。もともと、宇治川電気(現在の関西電力の前身会社)の資本を背景とした会社であり、1927年(昭和2年)に神姫自動車として設立され、加古川~尾上間にて運行を開始しました。その後、次々といくつかの会社を合併して、1943年(昭和18年)に神姫合同自動車と称しました。同年、神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄)からバス事業を受け継いだ後もいくつかの買収・合併を実現し、1956年(昭和31年)には再び神姫自動車と商号を変更しています。そして、1972年(昭和47年)には神姫バスとなりました。

 

好古園と姫路城の共通入場券(2017年11月)


日本庭園「好古園」

姫路公園内の姫路城西隣には西御屋敷跡の遺構を生かした日本庭園「好古園」があります。

 

好古園の入口前付近の様子(2017年8月)

 

その正式名称は「姫路城西御屋敷跡庭園好古園」といいますが、好古園の名称は現在の庭園付近に存在した藩校である「好古堂」に由来します。

 

好古堂跡の碑(2017年8月)

 

好古園は1992年(平成4年)、市制百周年を記念して建造された日本庭園であり、約1万坪の敷地面積を誇ります。

 

好古園看板(2017年8月)

 

好古園の整備計画に先立つ発掘調査では、1618年(元和4年)に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷などの遺構が発見されています。

 

好古園の入口前付近の様子(2017年8月)

 

これは酒井家時代の「姫路侍屋敷図」に記されたものとほぼ一致しているといいます。

 

好古園の塀(2017年8月)

 

庭園内には築地塀・屋敷門・長屋門や渡り廊下で結んだ「活水軒」「潮音斎」の他、数寄屋建築の茶室「双樹庵」が配されています。

 

庭園内の様子(2017年8月)

 

庭園は、池や水の流れで結ばれた池泉回遊式庭園となっています。

 

庭園内の様子(2017年8月)

 

また、この庭園の最大の特徴は姫路城を借景としていることです。

 

庭園内の様子(2017年8月)