西日本随一の巨大ターミナル「大阪駅」「梅田駅」

投稿者: | 2018-08-10

大阪駅ホーム(2017年3月)


現在の大阪駅ホーム

大阪駅は西日本随一の巨大ターミナルであり、もともと1874年(明治7年)に大阪~神戸間が開通した際に同時に開業しています。大阪環状線東海道本線福知山線などが発着する他、Osaka Metro御堂筋線梅田駅、Osaka Metro谷町線東梅田駅、Osaka Metro四つ橋線西梅田駅、阪神梅田駅、阪急梅田駅、JR東西線北新地駅と隣接しており、巨大な乗換駅となっています。

大阪駅ホーム(2017年3月)
大阪駅から尼崎方面

【東梅田駅】

東梅田駅Osaka Metro谷町線の駅です。同じくOsaka Metro御堂筋線Osaka Metro四つ橋線に乗り換えができますが、乗り換えるには東梅田駅の改札を一度出場しなければなりません。Osaka Metro御堂筋線梅田駅までは徒歩3分程度、Osaka Metro四つ橋線西梅田駅までは徒歩5~6分程度となります。

東梅田駅駅名標(2016年10月)
東梅田駅名表示板

現在の大阪駅のホームを見ると、1番のりば大阪環状線(内回り/西九条・弁天町方面行き)・大和路線(王寺・奈良方面行き)・JRゆめ咲線ユニバーサルシティ方面行き)・関西空港線(鳳・関西空港方面行き)・阪和線(鳳・和歌山方面行き)、2番のりば大阪環状線(外回り/京橋・鶴橋方面行き)、3番のりばJR宝塚線福知山線(篠山口・福知山方面行き)・JR神戸線(三ノ宮・姫路方面行き)・特急「こうのとり」福知山・城崎温泉方面行き)・特急「スーパーはくと」(鳥取方面行き)、4番のりばJR神戸線(三ノ宮・姫路方面行き)、特急「こうのとり」福知山・城崎温泉方面行き)・特急「はまかぜ」(城崎温泉・香住方面行き)、5番のりばJR神戸線(三ノ宮・姫路方面行き)、6番のりばはJR宝塚線(宝塚・三田方面行き)・JR神戸線(三ノ宮・姫路方面行き)、7番のりばJR京都線新大阪・高槻・京都方面行き)、8番のりばJR京都線新大阪・高槻・京都方面行き)、9番のりばJR京都線新大阪・高槻・京都方面行き)、10番のりばJR京都線新大阪・高槻・京都方面行き)、11番のりば東海道本線北陸・東海方面行き特急)・寝台特急(東京方面行き)のようになっています。

大阪駅ホーム足元案内表示(2017年10月)


5代目大阪駅駅舎

現在の大阪駅の駅舎は5代目となるものです。2011年(平成23年)に完成した新しい大阪駅「大阪ステーションシティ」と称されるようになり、大阪駅構内を含めて延床面積53万平米となる巨大複合施設となりました。

5代目大阪駅(2016年10月)
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2016年(平成28年)には、大阪駅の南玄関・サウスゲートビルディングへとつながるスカイウォーク(新歩道橋)と新しいバスターミナルが完成しました。スカイウォークとかつての古い歩道橋が結ばれ、サウスゲートビルディングや阪急百貨店、阪神百貨店とのアクセスが容易になっています。

5代目大阪駅(2016年10月)
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大阪の駅と市街地「堂島」

「大阪市北区梅田」という住所がありますが、この住所表示に限らず、大阪駅周辺一帯を「梅田」とよんでいます。「大阪」と名乗る駅名は現在ではJRだけであり、それ以外の路線は「梅田」という名称を用いています。

平成22年2月22日発行大阪駅入場券(2010年2月)

大阪環状線の駅としては、1895年(明治28年)に大阪鉄道が天王寺~玉造~梅田間を開業した際に、その終着駅として梅田駅を開業しています。この梅田駅は1900年(明治33年)に大阪鉄道関西鉄道が合併した際に、現在の大阪駅に統合されています。

一方、環状線の西側については1898年(明治31年)には西成鉄道が大阪~安治川口間を開業させた際に大阪駅への乗り入れを開始しています。その後、大阪駅は1906年(明治39年)に西成鉄道、1907年(明治40年)に関西鉄道がそれぞれ国有化され、大阪駅は官鉄の単独駅となっています。官鉄敷設の際、大阪の駅をどの場所に建設するかについて論議されることになりますが、当時大阪の中心地であった堂島に設けようとする動きもありました。

5代目大阪駅(2016年10月)
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しかし、蒸気機関車はいわゆる「火を噴く車」であったため、火事などを恐れる民衆の理解が得られないとして、堂島のような市街地は避けるべきである考えが多数を占めるようになりました。そこで当時、田畑であった現在の大阪駅付近に大阪の駅が設けられることになりました。

593年(推古天皇元年)、推古天皇の時代の資料には「東は玉造に四天王寺をつくり、西の方洲の中に御堂を建立」の記録があるといいます。また、1675年(延宝3年)に書かれた資料「芦分船(あしわけぶね)」によると、「聖徳太子四天王寺創建時に、建築用材の運搬船が暴風雨で難破、洲の中に流れつき、お堂を建てた」との記述があります。これが薬師堂建立の起源といわれています。

堂島薬師堂(2019年1月)

当時、海上に浮かぶ船から薬師堂がよく見えたことから、薬師堂のある島が堂島となり、その地名の由来となったといいます。

堂島薬師堂(2019年1月)

現在の大阪駅のある場所から四ツ橋筋を下り、桜橋の交差点を越えると左手に堂島アバンザが見えます。

堂島アバンザ(2019年1月)

その北西の角に「堂島薬師堂」の案内表示が立っています。

堂島薬師堂の案内表示(2019年1月)

案内表示にしたがい左(東)へ道を入ってしばらく進むと、堂島アバンザの北東の角に、1999年(平成11年)に再建された斬新なデザインの堂島薬師堂が見えます。

堂島薬師堂(2019年1月)


北梅田駅の新設

大阪駅の北側にはかつて貨物ターミナル駅がありました。正式名称は梅田駅でしたが、Osaka Metro御堂筋線梅田駅阪急梅田駅阪神梅田駅と区別するため「梅田貨物駅」などとよばれていました。大阪駅周辺が再開発により変貌して5代目の大阪駅駅舎が完成すると、2013年(平成25年)に梅田貨物駅は廃止され、その機能は吹田貨物ターミナル百済貨物ターミナルへと移転されていきました。

百済貨物ターミナル駅駅舎(2019年8月)

梅田信号場となった貨物ターミナル跡地は、大阪駅周辺の再開発から取り残されたような様子がありましたが、この辺りの工事が加速しています。信号場とは、ポイントや信号設備が設置されており運転扱いは行われるものの、旅客営業や貨物扱いを行わない鉄道路線の停車場のことです。2016年(平成28年)、JR西日本はここを通る梅田貨物線東海道本線支線)を地下化し、大阪駅に隣接した新駅(仮称「北梅田駅」)を設置する工事に着手しています。

「梅田貨物駅」付近の工事の様子(2018年3月)

【梅北地下道】

北梅田駅周辺の再開発工事「うめきた2期地区」の地下部分を梅北地下道(佐藤町地下道)とよばれる歩行者専用道路(幅約4m)があります。この地下道は、大阪駅と直結するグランフロント大阪とスカイビルのある新梅田シティを最短距離で結びます。

梅北地下道はしばらく忘れ去られたような存在となっていましたが、新梅田シティの開業にあたり外国人観光客や通勤者らが多く利用するようになり、1日に3~4万人程度の利用者がいるとされています。かつてこの付近には梅北道路というのがありましたが、国鉄が1928年(昭和3年)に梅田貨物駅を整備するときに撤去されてしまったといいます。そのため、この辺りで生活する住民らの生活に支障が出て、それに代わる地下道ができました。当時「北野佐藤町」という地名だったことから佐藤町地下道とよばれました。

2017年(平成29年)、この地下道の全長205メートルのうちの約3分の2ほどの部分が閉鎖となり、地下道の大部分が新しい地上歩道(仮設)に切り替わりました。なぜなら、梅田貨物線を地下化する梅北地下道と地下で交差してしまうためです。また、今回閉鎖されなかった残り約3分の1の部分も、2024年ごろには閉鎖される予定であり、その100年の歴史に幕を閉じます。

梅田貨物線は「吹田~梅田信号場~福島~西九条」というルートであり、もともと東海道本線安治川口の貨物駅を結ぶため設置された路線でした。現在では、特急「はるか」特急「くろしお」などが新大阪駅からこの貨物線を経由して大阪環状線に入り、西九条方面へ向かう形となっています。

京都関西空港間を結ぶ特急「はるか」梅田貨物線を経由する場合には、特急「はるか」大阪駅に停車せずに運行されていることになります。梅田貨物線が地下化され、北梅田駅が設置されると、特急「はるか」北梅田駅に停車することができるようになるので、大阪駅から関西空港へのアクセスが向上します。加えておおさか東線についても、北梅田駅に乗り入れる構想があります。

【安治川口駅】

安治川口駅桜島線(愛称「JRゆめ咲線」)のユニバーサルシティ駅の隣りに位置するJR西日本の駅であり、JR貨物の貨物取扱駅です。

安治川口駅(2016年10月)
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1898年(明治31年)に西成鉄道が大阪~安治川口間を開業した際に旅客および貨物の取り扱いを開始しています。かつては近隣の川崎重工業や住友金属工業(現在の新日鐵住金)への貨物専用線が敷設されていたこともあります。

安治川口駅(2016年10月)
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1872年(明治5年)に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通し、1874年(明治7年)に神戸~大阪間に2番目の鉄道が開通しました。さらに、1876年(明治9年)には大阪~京都間が開通していますが、これは日本で4番目の鉄道となります。実は日本で3番目に開通した鉄道は1875年(明治8年)に開通した安治川支線です。安治川支線は大阪駅から福島・野田を通過して、川口波止場・川口居留地付近の安治川北岸に達する路線です。安治川桟橋に到着する船荷を大阪駅まで輸送するために機関車が走りました。しかしながら、安治川に大型船が入らなくなってしまったなどという理由により、1877年(明治10年)にわずか2年半という短年での廃線となってしまいました。