日本鉄道路線図(イメージ)
1877年(明治10年)、現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛をリーダーとする西南の役(西南戦争)が起こり、これに対する明治新政府の戦費は莫大なものとなっていました。政府が財政難に陥る一方で、私設鉄道会社(民鉄)設立の機運が高まっていました。
仙川駅を出発する京王線の車両(2020年6月)
1881年(明治14年)、日本で初めての民鉄(私鉄)となる日本鉄道が設立されました。現在、鉄道博物館に保存・展示される蒸気機関車「善光号」は日本鉄道の第1号機関車であり、まさに「日本初の私鉄蒸気機関車第1号」となりました。この機関車はイギリスのマニング・ウォードル社製でしたが、輸入された当時、船で隅田川を遡り、善光寺(埼玉県川口市)付近から陸揚げされ組み立てられたことから、「善光号」と命名されたといいます。
隅田川沿いの花壇(2022年3月)
日本鉄道の設立を皮切りとして、1880年代には相次いで民鉄(私鉄)が設立されています。その営業距離は官設鉄道(国鉄)を上回ったといいます。民鉄(私鉄)各社は全国各地で競合するところとなり、新しいサービスの導入に力を注ぐようになっていきました。
拝島駅に停車する西武拝島線の車両(2020年6月)
1872年(明治5年)に新橋~横浜間開業後、関西においても1874年(明治7年)に梅田停車場(現在の大阪駅)が開業し、大阪~神戸間にも官設鉄道(国鉄)が走るようになります。
京橋駅に到着する京阪電車の車両(2019年1月)
関西は現在でも「私鉄王国」とよばれますが、1885年(明治18年)には阪堺鉄道(現在の南海電気鉄道)、1895年(明治28年)には大阪鉄道城東線(現在の大阪環状線の一部)、浪速鉄道(現在の片町線/学研都市線の一部)、1905年(明治38年)には阪神電気鉄道、1910年(明治43年)には京阪電気鉄道、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)、1914年(大正3年)には大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)が次々と鉄道を敷設しています。
京都~奈良間を結ぶ近鉄特急(2018年10月)
日本鉄道は1881年(明治14年)、岩倉具視をその発起人として設立され、現在の東北本線をはじめとして、常磐線、高崎線、八戸線の一部、山手線、赤羽線を敷設した他、両毛線や水戸線を買収し、その傘下に収めています。
東北本線を走るE721系(2016年12月)
日本鉄道は1883年(明治16年)に上野~熊谷間を開通させていますが、現在の高崎線は大宮~熊谷~高崎間なので、この路線のうち大宮~熊谷間が後の高崎線の一部ということになります。残りの上野~大宮間は東北本線ですが、開通時に設置されたのは上野駅、王子駅、浦和駅、上尾駅、鴻巣駅、熊谷駅なので、当時大宮駅はなかったことになります。
上野駅開業100周年記念切符
東北本線の敷設は当初、新宿から高崎・熊谷へ北上するルートや、新橋から東京市街地を通過するルートが検討されましたが、廃案となり、上野に仮の「北の玄関口」を設置することとなりました。当時、東京馬車鉄道による新橋~上野間がすでに開業していましたので、上野駅はこれへの乗換駅となっています。
上野駅開業100周年切符
将来的には、ここから東京市街地を通過して、新橋からの官設鉄道に連絡することを目指しましたが、結果的には市街地通過を実現することはできませんでした。官設鉄道への連絡としては、品川~新宿~赤羽間の品川線、池袋~田端間の豊島線を開通させています。
上野駅開業100周年記念切符
上野駅は1883年(明治16年)、日本初の民鉄である日本鉄道が上野~熊谷間を開業した際に誕生した歴史ある駅です。1885年(明治18年)になると、レンガ造2階建の待望の本駅舎が完成します。1890年(明治23年)には上野~秋葉原間を貨物線として開業し、当初の上野駅での貨物取り扱いを秋葉原駅に変更して貨客分離を実現しています。1906年(明治39年)に日本鉄道の上野駅は鉄道国有法により国有化され、その後さまざまな路線が乗り入れるようになりました。
上野駅開業100周年切符
正面玄関口のクラシックな駅舎は2代目の駅舎であり、1932年(昭和7年)に駅舎が建て替えられたものです。「北の玄関口」とよばれた上野駅は寝台特急「北斗星」や寝台特急「カシオペア」などの列車が発着した他、1985年(昭和60年)には東北新幹線が発着するようになりました。しかし、寝台特急「北斗星」は2015年(平成27年)、寝台特急「カシオペア」は2016年(平成28年)に運行を終了し、上野駅発着の寝台特急はすべて姿を消してしまいました。
上野駅開業100周年切符
また、2015年(平成27年)には上野東京ラインが完成し、宇都宮線・高崎線・常磐線快速が東海道本線への乗り入れを開始するようになり、上野駅発着となっていた常磐線特急「ひたち」も品川発着へと変わりました。こうして時代の流れとともに、上野駅の「北の玄関口」としての役割は薄れるようになってきました。
西武鉄道池袋駅(2020年9月)
このうち、品川線は日本鉄道が官設鉄道への連絡線として、1885年(明治16年)に品川~新宿~赤羽間に開通させたものです。品川線は赤羽線の起源となる路線ですが、現在でいうところの赤羽線(埼京線)と山手線の一部が一体となって構成されています。「赤羽線」の名は現在でも、山手線の池袋駅と東北本線の赤羽駅を結ぶ路線の正式名称ですが、現在の案内などにおいては使用されていません。「赤羽線」の名は1985年(昭和60年)以降使用されなくなり、その後はこの線路を通る列車はすべて「埼京線」として案内されるようになりました。
新宿駅の埼京線ホーム(2020年7月)
日本鉄道は実質的には半官半民の鉄道会社であって、線路自体の建設については明治政府が担当しました。たとえば、1882年(明治15年)に社長となった吉井友実は元薩摩藩士であり、元老院議官などを経て日本鉄道に入社しますが、高崎までの線路敷設が完了すると、1884年(明治17年)には明治政府へと戻っています。吉井友実の後を受けて社長となる奈良原繁は、青森まで全通させた他、水戸鉄道、甲武鉄道、両毛鉄道の社長も務めています。その後、元老院議官、衆議院議員、沖縄県知事などを歴任しました。
京都鉄道博物館に保存される蒸気機関車(2019年1月)
当時、明治政府は「鉄道網は国がつくるべきものである」という考え方でしたが、西南戦争により軍事費が増大した他、鉄道敷設計画を外国人に任せたことにより出費が拡大したということもあり、明治政府の財政は悪化していました。そうした中、官設鉄道による東京~高崎間が着工延期となり、華族・士族や商人らの出資により民間の鉄道会社が正式に設立されることとなったものです。「日本鉄道」という社名の通り、まさに日本全国に鉄道を敷設することを目的とした鉄道会社の誕生となりました。
隅田川沿いの桜(2022年3月)
明治政府はこうした官設鉄道の代行としての民間資本の導入を大いに認め、日本鉄道に対しても官有地の無償払下げや民有地における明治政府買上げによる払下げ、免税や利益保証といった手厚い保護を与えることとしました。そして、日本鉄道は順調に利益を上げていきました。その営業区間内における東京~群馬間においては、養蚕が盛んであった群馬の生糸や絹織物を輸出品として港へと運ぶ役割を担いました。また、1892年(明治25年)からは日本初の遊覧回遊列車の運転も行っています。しかしその後、1906年(明治39年)に鉄道国有法が制定されると民鉄(私鉄)は国有化され、この時点において日本の鉄道の9割以上が国鉄となりました。
小田急線の車内(2020年12月)
また、1914年(大正3年)になると、民鉄事業の改良進歩及び共同の利益増進を目的として軽便鉄道協会が創立されました。その後、私設鉄道協会、鉄道同志会、鉄道軌道統制会、日本鉄道会、私鉄経営者連盟、日本鉄道会議所、私鉄経営者協会などを経て、2012年(平成24年)に一般社団法人日本民営鉄道協会となっています。
「民鉄」は現代語における「私鉄」の別称であり、私鉄はその規模により大手私鉄、準大手私鉄、中小私鉄に分類されます。大手私鉄について見ると、日本民営鉄道協会のホームページにおいては、東武鉄道、西武鉄道、京成電鉄、京王電鉄、小田急電鉄、東京急行電鉄、京浜急行電鉄、東京地下鉄、相模鉄道、名古屋鉄道、近畿日本鉄道、南海電気鉄道、京阪電気鉄道、阪急電鉄、阪神電気鉄道、西日本鉄道を大手16社と記しています。