関東鉄道の設立
関東鉄道は「関鉄」とよばれ、鉄道の他にも茨城県内などで数多くのバス路線を運行しており、現在では茨城県民の足となっています。
常総線の北水海道駅(2021年3月)
関東鉄道の設立は意外と新しく1965年(昭和40年)のことです。そのルーツは常総鉄道と筑波鉄道が合併して常総筑波鉄道が設立されたことと、鹿島参宮鉄道が設立されたことに由来します。
関東鉄道守谷駅ホーム(2020年12月)
常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併し、関東鉄道が設立されました。この時点では、関東鉄道は常総線,竜ヶ崎線,筑波線、鉾田線の4鉄道路線を保有することになります。
筑波線廃線跡(2017年8月)
1979年(昭和54年)になると、鉾田線を鹿島鉄道、筑波線を筑波鉄道に分離しています。その後、鉾田線(後の鹿島鉄道鹿島線)は2007年(平成19年)に廃止となり、筑波線(後の筑波鉄道筑波線)も1987年(昭和62年)に廃止となりました。
鹿島鉄道廃線跡/新高浜駅付近(2022年2月)
常総線
常総線は取手~下館間(取手—西取手—寺原—新取手—ゆめみ野—稲戸井—戸頭—南守谷—守谷—新守谷—小絹—水海道—北水海道—中妻—三妻—南石下—石下—玉村—宗道—下妻—大宝—騰波ノ江—黒子—大田郷—下館)を結ぶ関東鉄道の路線であり、1913年(大正2年)に開業しています。
母子島遊水地から見た筑波山(2022年1月)
取手駅
取手駅は1896年(明治29年)に日本鉄道の駅として開業し、1913年(大正2年)に常総鉄道(現在の常総線)が開業し、乗換駅となりました。
取手駅(2021年5月)
守谷駅
守谷市の中心駅は守谷駅であり、守谷駅はつくばエクスプレスと常総線の乗換駅となっています。
関東鉄道守谷駅ホーム(2020年12月)
守谷市は現在では約7万人の人口を抱えており、地理的には利根川,鬼怒川,小貝川にはさまれていて、かつては水上交通により物資を運搬する舟が行き交いました。守谷市内には現在、その水上交通に取って代わって鉄道が走ります。
TX&関鉄自由帳(非売品)
守谷市の歴史を見ると、平安時代の中頃には平将門が館を築き、鎌倉時代になると千葉氏が守谷城を築城してこの地の中心としました。その後、古河公方や小田原北条氏の支配下に置かれています。
つくばエクスプレス守谷駅駅名標(2020年7月)
守谷駅は、常総鉄道(現在の関東鉄道)が1913年(大正2年)に取手~下館間を開通した際に開業したものです。
関東鉄道守谷駅(2020年12月)
2005年(平成17年)には、つくばエクスプレスが開業し、守谷駅は乗換駅となりました。守谷駅の1階は関東鉄道ホーム、2階が関東鉄道とつくばエクスプレスの改札口、3階がつくばエクスプレスホームとなっています。
つくばエクスプレス改札口(2020年12月)
守谷駅3階のつくばエクスプレスホームからエスカレーターを下りると、2階改札口となります。つくばエクスプレスの改札口を出ると、関東鉄道の改札口へとつながる広場となっています。
つくばエクスプレス改札口から関東鉄道改札口へ(2021年7月)
関東鉄道改札口の両脇には店舗があり、左側にドラッグストア、右側に関鉄ミニショップがあります。
関東鉄道改札口(2020年12月)
関鉄ミニショップでは地元名産品などを販売しています。
関東鉄道守谷駅ホーム(2020年12月)
新守谷駅
新守谷駅は関東の駅百選に選定された駅です。常総鉄道(現在の関東鉄道)がこの路線を開業したときには存在しなかった駅であり、1982年(昭和57年)の常総ニュータウンの街びらきとともに開業しています。
取手~水海道間複線完成記念乗車券
新守谷駅はたびたびドラマなどの撮影でも利用されています。2005年(平成17年)のドラマ「白夜行」、2016年(平成28年)の映画「恋妻家宮本」などの撮影実績があります。
取手~水海道間複線完成記念乗車券
水海道駅
水海道(みつかいどう)市は2006年(平成18年)、石下(いしげ)町を編入して常総市となりました。水海道は江戸時代、鬼怒川の水運により栄えた町であり、商業を中心に発達しました。
水海道の町並み(2020年12月)
鬼怒川を下る舟は守谷まで行くと、鬼怒川と合流する利根川を関宿まで遡り、そこで分岐する江戸川を下るという航路をとっていました。昭和時代になると、その舟が運行する姿も見られなくなってしまいました。
水海道駅駅舎(2020年12月)
旧水海道市を含む常総市の中心駅となる水海道駅は、1913年(大正2年)に常総線の開通と同時に開業しています。
水海道駅改札(2020年12月)
取手~水海道間は1984年(昭和59年)に複線化が完了していますが、水海道駅~下館駅間は現在も単線のままです。
取手~水海道間複線完成記念乗車券
この複線区間(取手~水海道間)と単線区間(水海道~下館間)を直通して「(取手発)下館行き」や「(下館発)取手行き」という列車ももちろんありますが、「水海道乗換下館行き」や「水海道乗換取手行き」に遭遇することがあります。
水海道駅改札(2020年12月)
「水海道乗換…」の列車に乗車した場合には、水海道駅に着くと一度ホームに降りて、目の前に停車する「下館行き」あるいは「取手行き」の列車に乗り換えなければなりません。
水海道駅ホーム(2020年12月)
たとえば、取手駅15時台(平日下り)の時刻表を見ると、以下のようになっています。15時09分発「下館行き」は直通運転ですが、15時47分発「下館行き」は「水海道乗換下館行き」となっています。
取手駅時刻表(抜粋)
水海道には古い建造物が数多く残っています。
水海道の町並み(2020年12月)
旧報徳銀行水海道支店は水海道駅から北へ徒歩6分ほどの場所にあります。
水海道駅(2020年12月)
当時の報徳銀行は東京に本店を構え、全国に22の支店をもつ全国規模の大銀行でした。大正時代の水海道には報徳銀行と水海道銀行(現在の常陽銀行)の2行がありました。
旧報徳銀行水海道支店(2020年6月)
報徳銀行水海道支店は1912年(大正元年)に現在の水海道諏訪町に建てられ、1923年(大正12年)頃に現在地(水海道宝町)に新築されたものです。
旧報徳銀行水海道支店(2020年6月)
報徳銀行は昭和時代の金融恐慌で破綻しましたが、この建物はその後、いくつかの銀行の建物として2004年(平成16年)まで使用されていました。
水海道駅駅名標(2020年12月)
徳川綱吉の時代に藤屋伊右衛門が江戸屋薬舗を開業し、安政前期頃まで現在の水海道元町や水海道宝町で薬種や染料を商いました。明治時代の初期になると、藤屋伊右衛門を五木田伊右衛門に改名し、屋号「江戸屋薬舗」を継承しました。
表札「五木田伊右衛門」(2020年6月)
時代を先取りした大形立体文字の看板は掲げ、水海道・守谷・石下などの医者・薬屋へ漢方薬などを調合して卸売りしました。
看板「江戸屋薬舗」(2020年6月)
現在に残る建造物は1859年(安政6年)に第14代が建てたものであり、水海道商家の代表的建築となっています。
江戸屋薬舗(2020年6月)
北水海道駅
北水海道駅は水海道駅の1つ北にある駅です。
北水海道駅(2021年3月)
北水海道駅は、当時の水海道市が1974年(昭和49年)に造成した住宅地にあります。住宅地ができる少し前1972年(昭和47年)に開業しています。北水海道駅は単式ホーム1面1線を有する無人駅となっています。
北水海道駅待合室(2021年3月)
お隣りの水海道駅へは徒歩で20分ほどで行けるため、水海道駅よりも列車本数が少ないこの駅の利用者は少なくなっています。待合室にはレトロ感が漂います。
北水海道駅待合室(2021年3月)
大宝駅
大宝(だいほう)駅は、関東最古の八幡さま「大宝八幡宮」の最寄り駅です。常総鉄道は1913年(大正2年)に現在の常総線(取手~下館間)を開通させ、1917年(大正6年)に下妻駅~大宝駅間に大宝八幡駅(臨時駅)を開業しました。
大宝駅駅舎内(2022年10月)
1935年(昭和10年)に大宝八幡駅(臨時駅)を廃止し、現在の地に大宝駅を移転しています。
大宝駅駅舎内から下りホームの待合室を見る(2022年10月)
大宝駅は現在、大宝八幡宮の近くにひっそりと佇む無人駅となっています。
大宝駅駅舎(2022年10月)
下り(下館方面行き)ホームには待合室となる木造の駅舎がぽつんと残っています。下りホームへは、下の写真左側からホームを下りて、踏切を渡って行くようになっています。
下りホームの待合室(2022年10月)
騰波ノ江駅
騰波ノ江駅(とばのええき)は1926年(大正15年)に常総鉄道(現在の関東鉄道)の駅として開業しました。
騰波ノ江駅(2022年10月)
その後、常総筑波鉄道の駅を経て、関東鉄道の駅となっています。
騰波ノ江駅(2022年10月)
2000年(平成12年)には関東の駅百選に選定されています。
騰波ノ江駅ホーム(2022年10月)
以前の騰波ノ江駅駅舎は、大正時代開業当時の木造駅舎でしたが、2008年(平成20年)に改築工事が行われています。
騰波ノ江駅駅名標(2022年10月)
かつての駅舎のデザインを模し、その一部はかつての資材を使用しているといいます。
騰波ノ江駅(2022年10月)
下館駅
平安時代、藤原秀郷は平将門による反乱鎮圧のために上館,中館,下館の三館を築きましたが、これが「下館」の名のはじまりとされます。
下館駅(2024年5月)
室町時代には、水谷勝氏が結城氏から下館領を与えられて下館城を築城し、その城郭は1869年(明治2年)に廃城となるまで残りました。
下館駅付近に停車する車両(2020年3月)
江戸時代には下館藩の城下町として栄え、水谷氏に代わった徳川光圀の兄・松平頼重が水戸城下にならった町割りを行いました。その後、結城紬(ゆうきつむぎ)をはじめとする商業のまちとして発展して「関東の大阪」ともよばれるようになります。
下館駅に停車する関東鉄道の車両(2020年1月)
1889年(明治22年)には下館町が成立し、その後順次、水戸鉄道(現在の水戸線)、真岡軽便線(現在の真岡鐡道)、常総鉄道(現在の常総線)の駅が開業しました。
水戸線のホームから見た常総線のホーム(2023年8月)
1954年(昭和29年)には周辺の自治体を編入して下館市となりますが、2005年(平成17年)のいわゆる「平成の大合併」により下館市は関城町,明野町,協和町と合併して筑西市となりました。
下館駅南口改札(2020年1月)
これにより、平安時代より1000年の歴史をもつ「下館」の名は姿を消すことになりました。新たに誕生した筑西市の代表駅となる下館駅には水戸線,真岡鐡道,常総線が乗り入れます。
関東鉄道下館駅の運賃表(2020年1月)
水戸線の前身となる水戸鉄道が小山~水戸間開通の際、1889年(明治22年)に下館駅を開業し、下館駅の歴史ははじまります。
下館駅南口駅舎(2020年1月)
その後、水戸線は1892年(明治25年)に日本鉄道に譲渡されて下館駅は日本鉄道の駅となりますが、1906年(明治39年)には鉄道国有法により水戸線も国有化され、国鉄の駅となりました。
下館シネマズシアター(2023年8月)
1912年(明治45年)には、真岡鐡道の前身となる真岡軽便線(下館~真岡間)が開通し、下館駅に乗り入れます。さらに、1913年(大正2年)には常総鉄道(現在の常総線)が取手~下館間を開通し、3路線が乗り入れることになりました。
下館駅北口広場(2023年8月)
1937年(昭和12年)に現在の北口駅舎が開業し、1976年(昭和51年)には南口を開設します。2006年(平成18年)になると、南口の改札業務はJRより関東鉄道に変更されています。
下館駅南口改札口(2020年1月)
現在の下館駅は3面6線をもつ地上駅であり、一部は橋上駅となっています。
下館駅南口駅舎(2023年8月)
6線のうち、切り欠きホームをもつ1番線は真岡鉄道線、単式ホームの2番線と島式ホームの3番線・4番線は水戸線、島式ホームの5番線・6番線は常総線が使用しています。南口駅舎は常総線の5番線・6番線の上にあります。
取手~水海道間複線完成記念乗車券
まいりゅう号
「まいりゅう」は茨城県龍ケ崎市の公式マスコットキャラクターです。
関東鉄道竜ヶ崎線「まいりゅう号」(2024年5月)
龍ケ崎市の伝統行事である「撞舞(つくまい)」と市名を組合わせて「まいりゅう」と名付けられたものです。そのキャラクターを描いた竜ヶ崎線のラッピングトレインが「まいりゅう号」です。
関東鉄道竜ヶ崎線「まいりゅう号」(2024年5月)
3代目「まいりゅう号」は2023年(令和5年)1月より運行を開始しています。そのデザインは春夏秋冬4つの季節が描かれており、それぞれ季節ごとに龍ケ崎市内の4つの高校が分担して描いているそうです。
竜ヶ崎駅前の風景(2024年5月)
竜ヶ崎線の終点となる竜ヶ崎駅前には懐かしい昭和の風景が残ります。
竜ヶ崎駅構内(2024年5月)
広瀬アリスさんが主演するドラマで、2024年(令和6年)4月よりフジテレビで放映される『366日』は、HYの名曲『366日』に着想を得たラブストーリーです。ドラマのロケが龍ケ崎市で行われた他、劇中アイテムとして「まいりゅう」も登場しています。
竜ヶ崎駅に停車する車両(2024年5月)
竜ヶ崎線
竜ヶ崎線は、龍ケ崎市内にある佐貫駅,入地(いれじ)駅,竜ヶ崎駅の3駅を結ぶ関東鉄道の路線であり、路線総延長わずか4.5キロの短い路線です。
竜ヶ崎駅構内(2024年5月)
始点となる佐貫駅は常磐線の龍ケ崎市駅と連絡しており、乗換駅となっています。
関東鉄道佐貫駅とJR龍ケ崎市駅の乗換口(2023年12月)
常磐線の龍ケ崎市駅は、日本鉄道が1900年(明治33年)に開業して以来、「佐貫駅」という駅名でしたが、2020年(令和2年)に「龍ケ崎市駅」と改称しました。
龍ケ崎市駅に展示される駅名改称記念5000羽鶴文字(2024年5月)
関東鉄道の佐貫駅は同じく1900年(明治33年)に龍崎鉄道が開業して以来、現在も「佐貫駅」として周辺の地名を残した駅名となっています。
関東鉄道佐貫駅(2024年5月)
龍崎鉄道
佐貫駅を開業した龍崎鉄道は、1900年(明治33年)に「茨城県内最古の私鉄路線」として佐貫~竜ヶ崎間(現在の竜ヶ崎線)を開業した鉄道会社です。
現在の竜ヶ崎駅駅舎(2024年5月)
そのルーツは、1898年(明治31年)に龍崎馬車鉄道が設立されたことに遡りますが、当初は龍ケ崎と藤代駅の間を馬車鉄道が結ぶ予定でした。
龍ケ崎市駅駅名標(2023年12月)
この計画は後に変更され、常磐線との最短距離となる佐貫駅と結ぶことになり、また馬車鉄道から小型蒸気機関車による軽便鉄道へと変更されます。
竜ヶ崎線の車内(2024年5月)
このとき、社名を「龍崎馬車鉄道」から「龍崎鉄道」に変更しています。その後、いくつかの合併などを経て、関東鉄道の路線となっています。
関東鉄道設立までの鉄道各社の歴史
開業当時は、佐貫,南中島(みなみなかじま),門倉(かどくら),龍ケ崎の4駅としましたが、開業翌年に入地駅を新設して5駅としました。
入地駅駅名標(2024年5月)
現在の入地駅のホームには、「『入地』。『地』…地力をつけて。『入』…入学(入社)する。受験生にとって、とても縁起のよい駅名である。そんな入地駅で受験生が入地駅に設置された黒板に数字の『5』を書くと、『5を書く』→『ごをかく』→『ごうかく』→『合格』。『合格(5を書く)』するかしないかはあなた次第です。」のような立札があります。
入地駅の合格祈願(2024年5月)
その後、1957年(昭和32年)に南中島駅と門倉駅を廃止し、現存する3駅となりました。竜ヶ崎線はかつては、肥料,米,繭,石炭などの貨物も運搬し、市の産業発展に大きな役割を果たしました。
B級ご当地グルメ「龍ケ崎コロッケ」を模した車内の吊り革(2024年5月)