北陸新幹線[JR東日本・JR西日本]/信越本線[JR東日本]

投稿者: | 2019-02-10

消えた長野(行)新幹線

1998年(平成10年)に長野オリンピックが開催されました。スキー・ジャンプでは船木和喜選手,スキー・フリースタイルでは里谷多英選手,スケート・スピードスケートでは清水宏保選手,スケート・ショートトラックでは西谷岳文選手が金メダルを獲得しました。オリンピックの開催にともない、1997年(平成9年)に北陸新幹線の一部区間である東京~高崎~長野間が開通しました。当時、線路は北陸地方までつながっていなかったため、この新幹線は「長野(行)新幹線」と呼称されていました。この長野(行)新幹線時代の代表的車両が「あさま」として用いられてきたE2系車両です。この車両は2015年(平成27年)にすでに定期列車の運用を終了していましたが、2017年(平成29年)3月31日をもって臨時列車での運用も終了し、完全引退となりました。

東京駅に停車するE7系(2018年9月)


北陸新幹線

その後、2015年(平成27年)にこの新幹線は金沢駅まで開通し、案内上の呼称は北陸新幹線と統一されるようになりました。北陸新幹線(高崎~金沢)は東京~大宮間は東北新幹線および上越新幹線と線路を共用し、大宮~高崎間は上越新幹線と線路を共用しています。さらに、2024年(令和6年)には金沢~敦賀間が開業しています。

敦賀駅で進められる工事(2019年6月)

北陸新幹線には「かがやき」「はくたか」「つるぎ」「あさま」がありますが、「かがやき」は東京~敦賀間を結ぶ速達タイプの列車となります。

金沢駅に停車するE7系(2016年8月)

北陸新幹線が敦賀駅まで延伸され、大阪駅から金沢駅へ向かう特急「サンダーバード」や名古屋駅から金沢駅へ向かう特急「しらさぎ」は敦賀止となり、北陸新幹線と在来線特急については敦賀駅での乗り換えが必要となります。

敦賀駅で進められる工事(2019年6月)


新幹線開業と信越本線

北陸新幹線の高崎~長野間が開業した1997年(平成9年)、途中駅であった横川駅は信越本線の終着駅となりました。

横川駅に掲示されるJR線の運賃表(2019年12月)

それまではここから碓氷峠を越えて軽井沢駅へと線路がつながっていました。

軽井沢駅(2019年12月)

碓氷峠には66.7パーミルとなる国鉄では最も急な勾配があり、横川駅ではこの急勾配を上り下りするために、すべての列車に電気機関車EF63形の連結・切り離しを行っていました。

終着駅となる横川駅(2019年12月)

したがって、横川駅ではすべての列車が長時間停車することになり、その時間を利用して多くの乗客が「峠の釜めし」を購入していました。

「峠の釜めし」を製造販売する駅前の荻野屋(2019年12月)

横川駅は、相対式ホーム2面2線と中線1線をもつ構造となっています。

横川駅ホーム(2019年12月)

以前は単式ホームと島式ホームがあり、側線も多数ある広大な駅であったが、現在ではほとんどが撤去されています。

現在も残る廃止となった線路(2019年12月)

構内には横川運転区もありましたが、現在はこれも廃止されて碓氷峠鉄道文化むらとなっています。

現在も残る廃止となった線路(2019年12月)

横川駅は1885年(明治18年)に官設鉄道の高崎~横川間が開通すると同時に開業しました。

高崎駅(2019年12月)


アプト式鉄道

通常の鉄道であれば急勾配があると車輪が滑ってしまうので電車が坂を登りきれません。車輪とレールの粘着度が高ければ、すなわち摩擦力が大きければ、より急勾配であっても電車は進むことができます。こうした急勾配において、摩擦力をいくら大きくしても坂を登ることができないという場合に、ラック式鉄道が採用されることがあります。

横川駅(2019年12月)

ラック式鉄道とは2本のレールの中央に、3本目の歯形のついたレール(ラックレール)を設置して、車両の底に取り付けられた歯車とラックレールを噛み合わせることにより、急勾配を上ったり下ったりする鉄道であり、山岳鉄道などによく見られます。ラック式鉄道はその歯の形状や向きなどにより、アプト式,リッケンバッハ式,シュトルプ式,ロッヒャー式,フォンロール式の5種類に分類できます。

信越本線を走る列車(2019年12月)

アプト式鉄道はラック式鉄道の種類の一つであり、カール・ローマン・アプトがその発明者であるためアプト式と名付けられました。現在、日本でアプト式が採用されているのは大井川鐡道井川線(愛称「南アルプスあぷとライン」)のみです。この井川線には90パーミルという日本で最も急な勾配があります。ちなみに、通常の鉄道で最も急な勾配を登るのは箱根登山鉄道です。

信越本線を走る211系(2019年12月)

1888年(明治21年)になると、ここから軽井沢駅まで碓氷馬車鉄道が開通し、19.1キロを約2時間半で結んだといいます。1893年(明治26年)にアプト式を採用した官設鉄道が横川~軽井沢間を開業すると、碓氷馬車鉄道は廃止となりました。1912年(明治45年)にこの区間は電化され、1963年(昭和38年)にはアプト式は廃止され、粘着式による通常の鉄道となりました。なお、横川駅は1997年(平成9年)に関東の駅百選に選定されています。


金沢駅

金沢駅は1898年(明治31年)、官鉄の北陸線(小松~金沢)の終着駅として開業しました。その後、北陸線(後の北陸本線)が延伸され途中駅となりますが、1913年(大正2年)に北陸本線が全通してからもすべての列車が停車するターミナルであり続けてきました。

輪島朝市弁当(2016年9月)

金沢駅には北陸新幹線,北陸本線,IRいしかわ鉄道などが乗り入れています。近くには、北陸鉄道の北鉄金沢駅もあります。金沢駅は伝統と近代建築が融合した駅舎であり、アメリカの旅行雑誌において「世界でもっとも美しい駅14選」の一つに選ばれています。東口の正面に見られる鼓門と駅舎の間にはもてなしドームがあり、金沢を訪れる人たちに差し出す雨傘をイメージし、その下では雨に濡れないスペースとなっています。鼓門は巨大な建造物であり、13.7mの高さを誇る2本の柱によって支えられています。これは金沢の伝統芸能である能楽の鼓がモチーフだといいます。また、ガラスのもてなしドームは「おもてなしの心」を表していて、さまざまなイベントが開催されています。

兼六園(2016年9月)
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加賀藩を築いた前田利家は織田信長、豊臣秀吉に仕え、その信頼を得て1583年(天正11年)、金沢城に入りました。45歳にして一国一城の主となり、加賀藩繁栄を基礎を築いています。日本三名園とは、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と金沢の兼六園をさします。その兼六園は、加賀藩の5代藩主・綱紀のころ築庭が行われるようになり、長い歳月をかけて歴代藩主により形作られてきた大名庭園です。

兼六園(2016年9月)
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九谷焼は1655年(明暦元年)、有田焼を学んだ後藤才治郎が九谷村(石川県加賀市)で開いたのがそのはじまりです。その後、100年ほどで廃窯となりますが、1823年(文政6年)に再興され、明治時代に入ってからは九谷庄三(くたにしょうざ)が知られるようになりました。

九谷焼湯呑み(2018年11月)