福知山線[JR西日本]/宮福線・宮津線[京都丹後鉄道]

投稿者: | 2018-08-20

福知山線は尼崎~福知山間を結ぶ約106キロの路線であり、1891年(明治24年)に尼ケ崎(後の尼崎港)~伊丹間が開通したことにはじまります。尼ケ崎駅(後の尼崎港駅)は当時、この路線を開業した川辺馬車鉄道の起点駅として開業しましたが、1984年(昭和59年)に廃駅となっています。川辺馬車鉄道関西初の馬車鉄道ですが、開業2年後には摂津鉄道と改称して、池田(現在の川西池田)まで延伸を果たしています。

夜の福知山駅(2018年5月)

その後、大都市である大阪と、主要軍港であった舞鶴を結ぶ路線の計画が持ち上がり、計画の達成を目的とした阪鶴鉄道が1896年(明治29年)に設立されました。阪鶴鉄道摂津鉄道を吸収合併して、1898年(明治31年)に神崎(現在の尼崎)~塚口間を開通させ、官鉄(現在の東海道本線)への乗り入れを実現し、大阪までの直通運転を実現しています。

大阪方面行きの車窓から見た京都方面へと分岐する山陰本線(2018年4月)

阪鶴鉄道は1899年(明治32年)に福知山までの延伸を達成し、福知山線全通となりました。また、1904年(明治37年)になると、官鉄が新舞鶴~福知山間を開通させたため、これに乗り入れを開始して、大阪~舞鶴間の直通運転を実現しています。しかしながら、阪鶴鉄道は1907年(明治40年)に国有化されてしまい、福知山線は国鉄へと引き継がれることになります。


現在の福知山線

その後国鉄はJRとなり、1997年(平成9年)にJR東西線が開通すると、福知山線は尼崎駅を経由して学研都市線(片町線)との相互乗り入れも開始しました。また、新大阪大阪福知山・豊岡・城崎温泉方面を結ぶ特急「こうのとり」や、大阪~篠山口・福知山方面を結ぶ丹波路快速などが運行されています。

福知山駅北口広場(2017年5月)

丹波路快速および快速)は、大阪~篠山口・福知山間を結び、尼崎・伊丹・川西池田・中山寺・宝塚・西宮名塩(にしのみやなじお)と三田(さんだ)以降の各駅に停車する大阪駅発着の快速列車であり、223系や225系が使用されます。丹波路快速と(普通の)快速の2種類が設定されていますが、停車駅はいずれも同じです。その運行時間帯などにより名称が変わります。

大阪駅に到着する「丹波路快速」225系(2017年3月)


福知山駅と福知山城

交通の要衝とは交通において重要な場所という意味です。福知山は古くから交通の要衝でした。京都大阪神戸、山陰地方を結ぶまちとして、盆地という閉鎖的な地形ではありながら古くから栄えてきました。

福知山駅ホーム(2018年4月)

現在においても、福知山駅福知山線をはじめとして、山陰本線京都丹後鉄道のターミナルとなっています。

福知山線から京都丹後鉄道への乗換口(2017年5月)

福知山駅南口公園には、往年のC11形機関車が展示されています。まさに、鉄道のまちのシンボルとして輝いています。

南口公園に展示されるC11形(2016年3月)

この福知山駅から歩いて15分ほどの場所に福知山城があります。福知山駅を出発する列車の車窓からもその姿を小さく垣間見ることができます。

車窓から見える福知山城(2018年4月)

明智光秀は織田信長の命を受けて丹波国征討戦にあたっていましたが、これを平定すると、明智光秀は丹波地方の拠点として福智山城を築きました。その城代には藤木権兵衛と明智秀満を置きましたが、本能寺の変後、福智山城は秀吉軍の襲撃を受け、留守を預かっていた明智秀満の父は処刑されました。

夜の福知山駅(2018年5月)

その後、城主はたびたび代わりましたが、関ヶ原の戦い後、有馬豊氏が入城して現在あるような城郭および城下町を完成させています。さらに、城主はたびたび交代し、1873年(明治6年)の廃城令によって解体されてしまいました。その後、復原の計画が進められ、1986年(昭和61年)に大天守となる郷土資料館が完成しています。

福知山市民病院口駅(2018年4月)

宮舞線の車窓から見た美しい海岸沿いの風景(2016年3月)天橋立から西舞鶴へ

京都丹後鉄道の普通列車(2018年4月)

明治時代舞鶴への鉄道路線敷設計画が持ち上がった頃、福知山から宮津への鉄道を敷設しようという動きが起こり、1892年(明治25年)に宮津商港鉄道期成同盟会が結成された。

薄暮の福知山駅(2017年5月)

▼宮津には江戸時代、舞鶴と並ぶ港として栄えたという歴史がある。▼1894年(明治27年)に日清戦争が勃発し、舞鶴は軍港として注目されるようになった。▼その重要性が高まったことから、1899年(明治32年)に大阪~福知山間、1904年(明治37年)に福知山~新舞鶴(現在の東舞鶴)間の鉄道が開通した。

若狭湾の風景(2016年3月)
天橋立から西舞鶴へ

▼一方で、鉄道敷設の運動は高まるものの、福知山から宮津への鉄道敷設計画は取り残された。▼1919年(大正8年)にようやく福知山~河守(こうもり)~宮津間の鉄道敷設認可が下りる。

2017年5月

北丹鉄道2号機レプリカ(2018年4月)

▼そうした中、1923年(大正12年)に福知山~河守間の営業運転が開始され、1924年(大正13年)には舞鶴(現在の西舞鶴)~宮津間の鉄道(現在の宮津線)が開通した。

京都鉄道博物館「ハニ11形客車」(2019年1月)

▼福知山~河守間の路線を運営していたのは、かつて福知山市にあった北丹(ほくたん)鉄道。▼北丹鉄道は1920年(大正9年)に北丹軽便鉄道として設立され、路線開業の際に社名を「北丹鉄道」とした。

京都鉄道博物館「キハ102号気動車」(2019年1月)

▼1948年(昭和23年)には宮津鉄道建設促進期成同盟会が結成される。▼1959年(昭和34年)に宮津~河守間の建設が決定したことにより、この団体名は「宮守線建設促進期成同盟会」に改称された。▼1966年(昭和41年)に宮守線の起工式が行われたものの、その後の計画の変更により河守~宮津間の鉄道建設は頓挫する。▼また、鉱山が閉山したことなどにより貨物輸送も減少し、赤字が続くような状態となった。

宮福線・福知山市民病院口駅前に立つ宮福線建設の沿革(2018年4月)

▼1971年(昭和46年)に北丹鉄道は営業休止となり、1974年(昭和49年)には路線が廃線となった。▼北丹鉄道は解散する

西駅公園「北丹鉄道本社跡」石碑(2018年4月)

▼さて、現在の福知山駅の隣りにはかつて、福知山西駅という駅があった。▼福知山西駅には、その北丹鉄道の本社と車庫があった。

福知山西駅駅名標(2017年5月)

▼現在では、福知山西駅跡は西駅公園となっていて、ひっそりと石碑が立つ。

西駅公園に保存される2号機のレプリカ(2017年5月)

▼1977年(昭和52年)には宮守線建設促進期成同盟会は「宮福線建設促進期成同盟会」と改称し、1978年(昭和53年)に宮津~福知山間の工事基本計画が決定した。▼にもかかわらず、1980年(昭和55年)には国鉄再建特別措置法が施工されることになり、この工事は凍結されてしまった。

西駅公園に保存される2号機のレプリカ(2018年4月)

▼1982年(昭和57年)になると、第三セクターによる鉄道運営が決定され、宮福鉄道が設立する。▼1983年(昭和58年)には線路敷設工事が認可され、ルートを変更しながらも1988年(昭和63年)に北近畿タンゴ鉄道宮福線として福知山~宮津間が開通した。

「北丹鉄道本社跡」石碑の立つ西駅公園(2018年4月)


京都丹後鉄道

京都府宮津市に本社を置くウィラートレインズは2015年(平成27年)より、第三セクターである北近畿タンゴ鉄道の保有する宮福線宮津線(宮豊線・宮舞線)を京都丹後鉄道(略称「丹鉄」)として運行しています。ウィラートレインズの親会社であるウィラーは旅行業を中心とした複数の企業をその傘下にもつ会社です。その傘下には高速バスを運行するウィラーエクスプレスもあります。

 

宮城バスまつり(2019年9月)

 

宮福線は宮津~福知山間約30キロを結ぶ路線、宮豊線は宮津~豊岡間約59キロを結ぶ路線、宮舞線は宮津~西舞鶴間約25キロを結ぶ路線です。

 

福知山駅駅舎(2016年3月)
福知山駅


特急「丹後の海」

2017年(平成29年)、京都丹後鉄道では1996年(平成8年)より運行してきたタンゴディスカバリー(KTR8000形)の運行を終了しました。

福知山駅の京都丹後鉄道の乗り場へ(2017年5月)

タンゴディスカバリーの運行終了後は特急「丹後の海」のデザインに統一されることになりました。特急「丹後の海」2015年(平成27年)にデビューしています。特急「丹後の海」は、JR九州の「ななつ星in九州」などをデザインした工業デザイナーの水戸岡鋭治氏がその設計・デザインを担当した車両であり、京都と丹後を結ぶ特急列車です。「海の京都」をイメージしてタンゴディスカバリーの車両を改造しています。藍色メタリックの外観、車体各所に配置された金色のシンボルマーク、木目調の室内空間などどれをとっても素晴らしい車両となっています。


「丹後くろまつ号」

観光列車「丹後くろまつ号」丹後あかまつ号」「丹後あおまつ号」のデザインも特急「丹後の海」をデザインした水戸岡鋭治氏が担当しています。観光列車「丹後くろまつ号」では、電車内でランチをいただくコースがあります。私は2016年(平成28年)春に乗車しましたので、今とは少し企画が異なっているようです。あらかじめネット予約をし、天橋立駅で乗車券と引き換えをしました。

乗車券(2016年3月)
クロマツ号乗車券

「丹後くろまつ号」に乗車すると、アテンダントの方に座席に案内されました。車内は天然木を使用したデザインとなっていて、とても落ち着いた雰囲気です。

ランチのおしながき(2016年3月)
くろまつ号メニュー

机上においてあったはがき(2016年3月)
くろまつ号はがき

くろまつ号封筒

食事が運ばれるたびに、電車はしばらく停車し、ゆっくりと食事をすることができます。また、絶景ポイントでも電車は徐行したり、停車したりしてくれますので、ゆっくりと車窓の風景を楽しむことができました。

先頭車両の車窓から見た風景(2016年3月)
くろまつ号の車窓から

車内に掲示されるロゴ(2016年3月)
黒松車両内暖簾

「丹後くろまつ号」(2016年3月)
黒松車両斜め正面

黒松車両側面

黒松車両側面


「丹後あおまつ号」

観光列車「丹後あおまつ号」は全車自由席であり、予約は不要です。通常運賃のみで乗車できる観光列車です。この「丹後あおまつ号」をテーマとしてデザインされています。

「丹後あおまつ号」(2016年3月)
青松車両側面

青松車両側面


福知山市民病院口駅

福知山市民病院口駅宮福線が開業した1988年(昭和63年)、厚中問屋(あつなかとんや)として設置されました。その後、2015年(平成27年)にウィラートレインズへ運営が移管される際に福知山市民病院口駅と改称されています。

線路の東側にのみホームがあり、出入口は宮津方面側(北側)と福知山方面側(南側)の2か所設置されているが、改札や券売機は設置されていません。

宮津方面側(北側)出入口(2018年4月)

宮福線の線路と並行して、西側(写真左側)に山陰本線の線路が走っていますが、山陰本線にはこの駅のホームはありません。

右側/宮福線の線路 左側/山陰本線の線路(2018年4月)

福知山方面へ向かう山陰本線の列車(2018年4月)

福知山市民病院口駅に到着する宮福線の列車(2018年4月)


日本三景天橋立と宮豊線

日本三景とは松島(宮城県)、宮島(広島県)そして天橋立(京都府)ですが、天橋立駅は宮豊線内にあります。

天橋立駅(2016年3月)
天橋立駅プラットホーム

天橋立駅をのぞむ

天橋立駅前

天橋立砂嘴(さし)とよばれる地形であり、幅が狭いところで約20m、広いところで約170m、長さが約3.6kmに渡る砂浜です。

天国への架け橋」ともいわれるその細長い地形には松の木が約8,000本あり、長い年月をかけて自然がつくり出した珍しい地形を見るために、毎年多くの人々が訪れます。

天橋立(2016年3月)
天橋立海岸


宮舞線の美しい風景

宮舞線は若狭湾をのぞみながらゆっくりと走る路線ですが、こちらも海岸沿いの美しい風景を見ることができます。

車窓から見た海岸沿いの風景(2016年3月)
天橋立から西舞鶴へ


由良川橋梁

由良川橋梁は、宮舞線の丹後由良駅丹後神崎駅間の由良川河口にかかる橋梁です。レトロな橋梁は懐かしい郷愁を感じさせてくれます。

1924年(大正13年)に完成した橋であり、その長さは約550mあります。進行方向右側にだけ赤い柵が見られます。水面からわずか6mのところを京都丹後鉄道の列車が走ります。

由良川橋梁(2016年3月)
由良川橋梁

丹後由良駅は1924年(大正13年)、舞鶴(現在の西舞鶴)~宮津間の開通と同時に開業しています。また、丹後神崎駅は1957年(昭和32年)に地元からの要望により丹後由良~東雲間に新設開業しました。


東雲駅

「東雲」は「しののめ」と読みますが、東雲駅という名の駅は京都丹後鉄道の他、東京臨海高速鉄道りんかい線にもあります。また、「東雲」と書いて「とううん」と読む石北本線(JR北海道)の駅があります。

京都丹後鉄道の東雲駅は1924年(大正13年)、舞鶴(現在の西舞鶴)~宮津間の開通と同時に開業しました。2014年(平成26年)には「安寿の里駅」という愛称が設定されています。

東雲駅(2016年3月)
東雲駅


福知山駅に停車する特急「きのさき」(2018年5月)

1.北近畿ビッグX(エックス)ネットワーク
2.特急「こうのとり」
3.特急「きのさき」
4.特急「はしだて」
5.特急「まいづる」
6.特急「はまかぜ」


北近畿ビッグX(エックス)ネットワーク

北近畿ビッグX(エックス)ネットワーク」は、JR西日本と京都丹後鉄道による近畿地方北部の特急によるネットワークの愛称です。これは、近畿地方の主要駅である大阪駅新大阪駅京都駅を起点とし、北近畿地方の主要観光地である天橋立や城崎温泉との間を福知山線山陰本線京都丹後鉄道の路線で結ぶというものです。

北近畿ビッグXネットワーク概略図

上図のように、福知山駅を交点として「X」の文字が四方へ伸びるように結ばれているので「北近畿ビッグX(エックス)ネットワーク」と名付けられました。このネットワークの主役となるのが「こうのとり」「きのさき」「はしだて」「まいづる」などの特急列車です。


特急「こうのとり」

特急「こうのとりの前身は1986年(昭和61年)にエル特急として登場した「北近畿」に由来します。特急「こうのとりは現在、新大阪大阪福知山~城崎温泉を結んでいます。


特急「きのさき」

特急「きのさき山陰本線の園部~福知山間の電化にともない、1996年(平成8年)に登場しています。

京都駅に停車する特急「きのさき」(2018年4月)

京都~城崎温泉間を2時間30分ほどで結んでいます。

京都駅に停車する特急「きのさき」(2018年4月)

福知山駅に停車する特急「きのさき」(2017年5月)

吹田総合車両所に展示される「きのさき」183系(2016年10月)


特急「はしだて」

特急「はしだて山陰本線を経由して京都福知山天橋立を結んでいます。

吹田総合車両所に展示される「はしだて」183系(2016年10月)


特急「まいづる」

特急「まいづるは1999年(平成11年)に登場した特急であり、京都~綾部~東舞鶴を結んでいます。


特急「はまかぜ」

特急「はまかぜはJR神戸線、播但線、山陰本線を経由して大阪~鳥取間を結びます。

大阪駅に停車する特急「はまかぜ」(2018年5月)