関宿城へのアクセス
関宿城は利根川と江戸川の分岐点となる千葉県の最北端にあり、水運の要衝として、重要な役割を果たしてきました。特に、関東地方では戦略的に重要な地であり、戦国時代、北条氏が「一国を獲得するのと同じ」と評するほど重要な場所でした。関宿城があった場所は、現在の千葉県野田市関宿三軒家ですが、河川の改修などによりその遺構の多くが失われてしまっています。
関宿城のデザインを模したマンホール(2024年5月)

かつて関宿城があった場所の近くに、関宿城博物館があります。関宿城博物館へのアクセスは、東武アーバンパークライン(野田線)の川間駅より、まめバス(野田市コミュニティバス)「新北ルート」に乗車し、「いちいのホール」バス停にて「関宿城ルート」に乗り換え、「関宿城博物館」バス停で下車します。ちなみに、「まめバス」の愛称は、小さなバスであること、野田市民の方にこまめに乗ってほしいということ、野田市が枝豆の名産地であることから名づけられたそうです。
関宿城博物館(2024年5月)

関宿城と関宿城博物館
1457年(長禄元年)、古河公方の足利成氏の有力家臣であった簗田(やなだ)成助が、水海城(現在の茨城県古河市)より関宿に移り、関宿城を築いたとされています。その後、簗田氏の居城となりますが、関東地方の重要な拠点であったことから、越後にあった上杉氏や、関東地方で台頭してきた後北条氏と激しく戦ったといいます。結局、1574年(天正2年)に簗田氏は後北条氏に屈服する形となり、簗田氏が退去し、関宿城は後北条氏が支城となって、後北条氏が北関東で勢力を伸ばす拠点となりました。
関宿城博物館(2024年5月)

関宿城博物館の建物の一部は、かつての関宿城の天守を模して再現されたものとなっています。1995年(平成7年)に開館した関宿城博物館は、その地理的条件を背景として、川と人々の関わりについての歴史,産業,文化,自然などに関する資料の収集と保管がなされています。
関宿城博物館内に展示される舟(2024年5月)

関宿城博物館には、江戸時代初期に行われた利根川の流れを大きく東へ変える河川改修工事(利根川東遷事業)の様子を表現した資料や、利根川水運が果たした経済における役割に関する資料などが展示されています。また、先に述べた簗田氏と後北条氏の激しい戦闘(関宿合戦)についての資料も展示されています。関宿城博物館の最上階は展望室になっていて、2006年(平成18年)に選定された「ちば眺望100景」の一つになっています。
道の駅さかい
関宿城博物館から約2キロほどのところに「道の駅さかい」があります。「道の駅さかい」は茨城県境町にありますが、車でならば5分ほどで到着します。先ほどのまめバスを利用する場合には、「関宿城ルート」に乗車し、「関宿中央バスターミナル」バス停で下車し、徒歩17分ほどで到着します。
道の駅さかい(2024年5月)

「道の駅さかい」では、地元の新鮮な野菜や特産品が豊富にそろっていますので、関宿城博物館を訪問した際に、足を延ばしてみるのもよいかもしれません。