1.阪神タイガースの誕生 2.摂津電気鉄道から阪神電気鉄道へ Θ国道線Θ 3.ターミナルの建設 4.阪急阪神1dayパス 5.阪神5500系
尼崎駅に停車する普通梅田行き(2016年10月)
阪神タイガースの誕生
「阪神電車」の正式名称は阪神電気鉄道であり、現在では阪急阪神ホールディングスの子会社となっています。そして、プロ野球の阪神タイガースの親会社でもあり、1935年(昭和10年)に大阪野球倶楽部(大阪タイガース)を設立し、1961年(昭和36年)に阪神タイガースとしています。その本拠地はもちろん甲子園球場であり、これまでプロ野球の試合の他、高校野球でも数々の名勝負を生んできた球場です。
甲子園球場へは阪神電気鉄道で容易にアクセスすることができます。阪神電気鉄道の起点となる大阪梅田駅から、直通特急(山陽電気鉄道への直通運転)または特急に乗車すると、尼崎駅の次が甲子園駅となりますので、甲子園駅で下車します。乗車時間は15分ほどです。甲子園駅の西改札口を出ると、目の前に野球場が見えてきます。徒歩3分ほどで甲子園球場の入口に到着します。
大阪梅田駅に停車する直通特急(2016年10月)
JR神戸線(東海道本線)には甲子園口駅というのがありますが、こちらは甲子園球場への最寄り駅とはなりません。甲子園口駅から甲子園球場まで歩くとすると、30分以上かかってしまいます。
摂津電気鉄道から阪神電気鉄道へ
阪神電気鉄道はもともと、神阪電気鉄道の名で1893年(明治26年)に設立を発起し、翌年にはこれを摂津電気鉄道と改称しています。これを受けて1899年(明治32年)に摂津電気鉄道を設立し、すぐに阪神電気鉄道と社名変更しています。その社名の由来はというと、大阪の「阪」と神戸の「神」を一字ずつ取って「阪神」としたものであり、大阪~神戸間を結ぶ鉄道ということになります。
三崎省三(みさきしょうぞう)は兵庫県生まれであり、1899年(明治32年)に技師として阪神電気鉄道に入社しました。その後、アメリカに渡り、鉄道の技術や経営を学んで阪神電気鉄道の礎を築いています。1939年(昭和14年)~1945年(昭和20年)にかけての第二次世界大戦の前後には、それまで存在していた鉄道会社の多くが強制的に統合させられるなどして、会社名の変更を余儀なくされたり、姿を消したりする鉄道会社が数多くありました。近畿圏においても、大手私鉄である近鉄・南海・阪急・京阪が社名変更や会社統合を経験しています。そうした中、阪神電気鉄道は三崎省三が入社した年である1899年(明治32年)以来ずっと「阪神電気鉄道」の名を守り続けています。
香櫨園駅の下り線ホームを通過する直通特急(2019年2月)
阪神電気鉄道は1905年(明治38年)、神戸(現在の神戸三宮)~出入橋(1948年/昭和23年廃止)間(後の阪神本線)を開業させ、その区間を約1時間30分の所要時間で結んでいます。この路線の一部は路面電車のように道路上に敷かれていましたが、その軌間を標準軌1,435mmとし、それ以外の区間はすべて専用軌道として、都市間を高速で運転する鉄道の建設を実現しています。これが関西の私鉄初の(路面電車ではない)電車を走らせた瞬間となるとともに、まさにインターアーバン(都市間電気鉄道)の先駆けともいえる路線となりました。
19世紀後半にアメリカ中西部において都市と都市を結ぶ電気鉄道が急速に発達したといわれています。こうした鉄道を「インターアーバン(都市間電気鉄道)」とよんでいます。日本にも早い段階でインターアーバン(都市間電気鉄道)に関する情報は輸入されることになりますが、当時の日本における交通事情や規制などがその建設の課題となっていました。そうした中、インターアーバン(都市間電気鉄道)建設の先駆けとなったのが阪神電気鉄道でした。
日本の鉄道は開業当初、当時鉄道視察のためにヨーロッパへ渡った大隈重信がイギリスの技術を採用することに決定し、軌間については1,067ミリとすることになりました。1,067ミリというのは、帝国主義の時代にイギリスが植民地用規格として作り出したものであり、日本の他、南部アフリカやスーダン、ナイジェリア、ガーナ、インドネシア、フィリピン、ニュージーランドなどで取り入れられているものです。
阪神電気鉄道は鉄道敷設にあたりアメリカ視察を経験し、1,435ミリの標準軌を採用して高速で走行する現実を見て、1,067ミリではなく1,435ミリの軌間で大阪~神戸間の鉄道敷設を実現したいと考えました。しかし、軌道(主に路面電車)を除く民営の鉄道の敷設および運行に関する規則を定めた私設鉄道法(1900年/明治33年公布)によると、軌間は1,067ミリとしなければなりませんでした。また、私設鉄道法を管轄する逓信省は官鉄の大阪~神戸間と並行する路線の建設に反対していたため、阪神電気鉄道は私設鉄道法より規制の緩い軌道条例(1887年/明治20年公布)によるインターアーバン(都市間電気鉄道)の建設を目指して、内務省の許可(後に逓信省の許可)を得ることにより課題をクリアしました。
こうした中、阪神本線では利用者が急増しますが、車両の増強が追いつかず、ダイヤ編成に苦慮することになります。そこで、阪神電気鉄道では1919年(大正8年)、「千鳥式運転」なる奇策を生み出します。これは、全線を4区間に分けて、列車Aは第一区間のみに停車、列車Bは第二区間のみに停車、列車Cは第三区間のみに停車、列車Dは第四区間のみに停車というような特殊パターンの急行運転を実施しました。車両の増強が完了した1921年(大正10年)にはこれを終了し、通常の急行運転を開始しています。
国道線
阪神電気鉄道では、1975年(昭和50年)まで路面電車を走らせていましたが、そのときまで路面電車として残っていた路線は、「北大阪線」とよばれた野田~天神橋筋六丁目間、「甲子園線」とよばれた上甲子園~浜甲子園間、「国道線」とよばれた野田~東神戸間でした。北大阪線はもともと阪神電気鉄道が出資する北大阪電気軌道が軌道敷設の認可を受け、工事着手前に阪神電気鉄道がこれを合併して1914年(大正3年)に完成させたものです。甲子園線は当時、阪神が開発した住宅地へのアクセス鉄道として1926年(大正15年)に甲子園~浜甲子園間が先行開業しました。その後、順次延伸して上甲子園~中津浜間が1930年(昭和5年)に全線開業しています。
阪神本線を走る直通特急(2019年2月)
すでに阪神本線を開業させていた1925年(大正14年)に阪神電気鉄道は、その子会社として阪神国道電軌を設立しました。当時、阪神国道(現在の国道2号線)建設の計画が進められており、ここに他社の手により路面電車が走ることを危惧した阪神電気鉄道は阪神国道電軌の手によって1927(昭和2年)に野田~東神戸間を開業しました。これが完成してすぐ1928年(昭和3年)には阪神電気鉄道は阪神国道電軌を合併して、野田~東神戸間を「国道線」と称するようになりました。その後、この路線だけではなく北大阪線や甲子園線も合わせて「国道線」とよばれることもありました。
ターミナルの建設
神戸(現在の神戸三宮)~出入橋(1948年/昭和23年廃止)間(後の阪神本線)を開業させた翌1906年(明治39年)には、当時の国鉄大阪駅の場所に阪神電車ターミナルをより近づけるために出入橋~梅田間仮線を単線にて開業しました。
ホームに到着する車両(2017年8月)
1914年(大正3年)になると、大阪中央郵便局の南側に本格的な梅田ターミナル駅を完成させ、仮線の複線化も完成させています。さらに、1939年(昭和14年)には梅田駅は地下化され、5つのホームと4線が設置され、現在でもほぼ変更されることなく使用されています。もう一方の終点である三宮についても、国鉄三ノ宮駅と少し距離があったため移設し、1912年(大正元年)に開業しています。こちらも1933年(昭和8年)には地下化され、都市間高速鉄道の理想へ近づくべく大きく前進をしました。
大阪神ビルディング/阪神百貨店(2018年7月)
阪急阪神1dayパス
阪神電気鉄道を堪能するには阪急阪神1dayパスが便利でお得です。
阪急阪神1dayパス(2019年2月)
阪急阪神1dayパスは阪神沿線(神戸高速鉄道を含む)および阪急沿線にある施設や観光地へのお出かけに便利な1日乗り放題切符です。大人1,200円(小児600円)で、阪急電車全線、阪神電車全線、神戸高速鉄道全線が乗り放題となります。2007年(平成19年)から発売されています。
山陽電鉄舞子公園駅を出発する直通特急(2017年8月)
阪神5500系
5500系は阪神電気鉄道が1995年(平成7年)より投入した通勤形車両であり、現在普通列車の車両として活躍しています。車体色は「アレグロブルー」とよばれる青色と「シルキーグレー」とよばれる白色のツートンカラーとなっています。
阪神5500系(2016年10月)