大阪環状線の歴史と日本経済の成長を支えた「103系」

投稿者: | 2018-07-18

1.環状線内に乗り入れるさまざまな列車 2.新型車両323系 3.103系車両引退と電車カラー 4.大阪環状線の歴史 5.大正区と大正駅

 

森ノ宮電車区の103系電車(2017年8月)


環状線内に乗り入れるさまざまな列車

大阪環状線は一周40分で大阪のまちを環状する鉄道であり、JR西日本鉄道網の中核となる最重要路線です。現在では、大阪環状線の営業距離は21.7キロ、その駅数は19駅となっています。いずれも環状していることから山手線と比較されることも多いですが、大阪環状線の実際の運行状況は山手線とは大きく異なります。山手線は環状運転を原則としていますが、大阪環状線には各方面からさまざまな列車が乗り入れています。

 

山手線の車両(2020年10月)

 

関西本線との直通運転をしているため加茂や奈良との間を往復する大和路快速、阪和線との直通運転をしているため関西空港や和歌山との間を往復する関空快速や紀州路快速が走ります。

 

和歌山駅に停車する紀州路快速(2019年7月)

 

また、桜島線(JRゆめ咲線)からの直通列車や特急「はるか」特急「くろしお」も大阪環状線内に乗り入れています。

 

特急「ハローキティはるか」(2019年6月)


新型車両323系

JR西日本では2016年(平成28年)、大阪環状線に新型車両323系を投入しました。

 

新型車両323系(2017年8月)

 

この新型車両の投入は、2013年(平成25年)からはじまる大阪環状線改造プロジェクトの一つとなります。大阪環状線改造プロジェクトは、大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、大阪の活性化を目指すものです。新型車両323系投入の他、駅美装改良、トイレ改良、環状線内全19駅での発車メロディの導入、高架下を利用した商業施設開発、アート計画などに取り組んでいます。

 

323系車両は、ステンレスの車体に大阪環状線のラインカラーであるオレンジが配されており、その下には茶色の帯が添えられています。4号車は女性専用車両に設定されており、4号車のドア横にはピンク色をあしらっています。3ドア・ロングシート仕様となっており、これまでの4ドアの車両から大きく変化しています。大阪環状線ではさまざまな車両が走っていますが、4ドア・ロングシート車両と3ドアクロスシート車両が混在しています。これが、ホームドア導入の妨げとなっている一つの原因であり、323系車両の登場は大阪環状線内にホームドア設置を実現するための一つの課題をクリアしたことになるのかもしれません。


103系車両引退と電車カラー

大阪環状線の代表的車両であるオレンジ色103系が引退しました。

 

吹田総合車両所内の103系車両(2016年10月)
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老朽化が激しく323系との置き換えが進み、103系は残すところ1編成のみとなっていました。オレンジ色の車体は「103系」というその名にちなんで、2017年(平成29年)10月3日に引退の日を迎えました。

 

吹田総合車両所内の103系車両(2016年10月)
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JR西日本におけるその他のカラーの車両、すなわちスカイブルー、ウグイスなどは運転を継続します。

 

吹田総合車両所内の103系車両(2016年10月)
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103系は国鉄が通勤用電車として開発し、1969年(昭和44年)から大阪環状線に投入されています。全国的にも103系のほとんどはすでに引退していますが、JR西日本では保守管理を行い、これまで現役として活躍してきました。

 

吹田総合車両所内の103系車両(2016年10月)
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電車カラーについて見ると、国鉄時代には通勤型車両の塗装については赤茶色とすると決まっていました。ところが、1950年代後半より色で乗車する車両を判断することができるようにと、電車カラーを塗り分けることにしたといいます。大阪環状線では開業時よりオレンジを採用し、阪和線や片町線(学研都市線)でもオレンジの車両が採用されていました。その後、阪和線では1968年(昭和43年)にスカイブルーの車両が採用されるようになりました。

 

吹田総合車両所内の103系車両(2016年10月)
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オレンジ色の201系についても、大阪環状線改造プロジェクトの一環として323系との置き換えが実施され、2019年(令和元年)6月7日をもって引退しました。201系は1979年(昭和54年)に登場していますが、当初は中央線総武線東海道本線山陽本線などに投入されました。しかし、現在では首都圏の車両としては使用されておらず、大阪環状線などに集約されて残っている形となっています。


大阪環状線の歴史

大阪環状線の成立について歴史的に見ると、大阪環状線の環状路線がすべて同時に成立したのではありません。すなわち、大阪駅および天王寺駅の東側と西側ではその成立過程が異なります。大阪環状線の東側を見てみると、天王寺~玉造~京橋~梅田(現在の大阪)間は1895年(明治28年)に大阪鉄道が完成させています。

 

大阪鉄道(初代)は1888年(明治21年)~1900年(明治33年)に存在した鉄道会社であり、関西本線(JR難波~奈良)、和歌山線(王寺~高田)、桜井線(高田~桜井)を運営していました。大阪鉄道(初代)はその後、1900年(明治33年)に関西鉄道に合併されてしまい、1907年(明治40年)には国有化されています。後に大阪環状線の一部となる梅田(現在の大阪)~京橋~玉造~天王寺間のこの路線は、1909年(明治42年)から1961年(昭和36年)まで「城東線」とよばれました。

 

大阪の電車・列車シリーズ記念入場券
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一方、大阪環状線の西側については、西成鉄道が1898年(明治31年)に大阪~安治川口間を完成させています。このとき福島駅、野田駅が開業していますが、大阪~福島間は貨物営業のみの取り扱い(1899年/明治32年から旅客営業開始)でした。西成鉄道は1896年(明治29年)に設立された鉄道会社であり、その全線が1906年(明治39年)に国有化されています。その後、安治川口から天保山(後に桜島に移転)まで延長され、「西成線」とされました。

 

1943年(昭和18年)になると、城東線と西成線の直通運転が行われるようになります。さらに、1961年(昭和36年)には西九条~大正~天王寺間が開業し、城東線と西成線の大阪西九条間を合わせて「大阪環状線」となりました。その際、西成線西九条桜島間は「桜島線」と改称されています。この時点では環状運転は行われていませんでしたが、1964年(昭和39年)に西九条駅の高架工事が完成し、環状運転が開始され、ループが完成しています。


大正区と大正駅

大正区は大阪市24区のうちの一つであり、大阪市の西端に位置しています。大正区は北から西を尻無川(岩崎運河)、大阪湾に囲まれており、東から南を木津川に囲まれていて、区全体がまるで島のように見えます。

 

ドーム前千代崎駅付近から大正区方向をのぞむ(2017年7月)

 

大正区」の名は、大正区の北端にあり木津川に架かる大正橋をその由来としています。大正橋は1915年(大正4年)に初めて架けられ、1974年(昭和49年)に現在の橋に架け替えられています。

 

ドーム前千代崎駅付近から北方向をのぞむ(2017年7月)

 

大正橋の近くにある大正駅は大阪環状線が成立した1961年(昭和36年)に境川信号場(大正区)~天王寺駅間に新設開業しました。また、1997年(平成9年)には地下鉄長堀鶴見緑地線大正駅が開業し、大阪環状線との接続駅となりました。そして、現在においても、大正駅大正区にある唯一の鉄道駅となっています。

 

大阪環状線大正駅(2017年7月)