片町線の歴史とJR東西線の誕生

投稿者: | 2021-09-12

1.片町線(愛称「学研都市線」)とJR東西線 2.鴫野駅 3.京田辺駅とC11形タンク機関車 4.下狛駅

 

京田辺駅前のC11形タンク機関車動輪(2019年5月)


片町線(愛称「学研都市線」)とJR東西線

片町線は木津~京橋間を結ぶ路線であり、1988年(昭和63年)にはその愛称を「学研都市線と設定しています。1997年(平成9年)に尼崎~京橋間を結ぶJR東西線が開業し、片町線(愛称「学研都市線」)JR東西線福知山線JR神戸線東海道本線山陽本線)との直通運転を実施しています。正式名称である「片町線という名は廃止となっていませんが、現在では駅などにおいて「片町線と案内されることはほとんどありません。

新しい鴫野駅改札口(2019年2月)

JR東西線はその路線名に唯一「JR」を冠する路線です。法人登記においてはアルファベットを付することはできませんが、鉄道の線路名称についてはこのような決まりはありません。たとえば、「西日本ジェイアールバス」「ジェイアールバス関東」は法人登記の制約を受けており、カタカナによる社名となっています。

JR東西線はJR西日本が第二種鉄道事業者となってその運行をしています。第二種鉄道事業者とは自らが敷設した以外の鉄道施設を使用し、旅客または貨物運送を行う事業者のことです。すなわち、JR東西線の鉄道施設はJR西日本の所有物ではなく、第三セクターである関西高速鉄道ものということになります。たとえば、関西高速鉄道がビルのオーナーだとすると、JR西日本がそのテナントということになります。このような形式を上下分離方式といいます。この形式を採用するメリットとしては、本来ならば鉄道施設を建設するにあたっては莫大な資金が必要となりますが、公的資金を投入することができるようになるため借金をしなくてよいということがあげられます。

JR東西線を保有する関西高速鉄道は1988年(昭和63年)に設立された鉄道会社であり、大阪府​・​大阪市​・JR西日本・​兵庫県​など143社が出資する第三種​鉄道事業者​です。なお、関西高速鉄道なにわ筋線建設計画においても事業主体となることが予定されており、総事業費3,300億円(想定)のうち2割(660億円)がその出資金となります。このうち、地方出資分50%は大阪府(25%)・大阪市(25%)で負担し、民間出資分50%はJR西日本(22%)・南海電気鉄道(28%)で負担することになります。


鴫野駅

鴫野駅は1932年(昭和7年)、国鉄時代に片町線(愛称「学研都市線」)鴫野信号場として開設し、1933年(昭和8年)に鴫野駅となっています。

おおさか東線乗り入れ1か月前となり工事が進む鴫野駅(2019年2月)

1962年(昭和37年)に高架駅となりますが、片町線(愛称「学研都市線」)では初めて高架化された駅となりました。

おおさか東線乗り入れ1か月前となり工事が進む鴫野駅(2019年2月)

2006年(平成18年)には地下鉄今里筋線が開通して鴫野駅が設置され、乗換駅となりました。

鴫野駅周辺の様子(2019年2月)

2011年(平成23年)よりおおさか東線乗り入れのための工事が開始され、2019年(平成31年)におおさか東線乗り入れが開始されました。

鴫野駅周辺の様子(2019年2月)


京田辺駅とC11形タンク機関車

1894年(明治27年)に四条畷~木津間が城河鉄道として認可された後、浪速鉄道がこれを買収して片町~四条畷間を開通しました。さらに、1898年(明治31年)には関西鉄道が片町~新木津(現在は廃止)を開通しています。京田辺駅付近の当時の様子は野原でしたが、1898年(明治31年)に駅前に新しい道を設置して田辺駅(現在の京田辺駅)として開業し、鉄道開通大祝賀会が催されました。同年、関西鉄道は新木津(現在は廃止)~木津間を開通して片町線(愛称「学研都市線」)が全通となり、木津駅は関西鉄道と奈良鉄道の接続駅となりました。

 

京田辺駅ホーム(2019年4月)

 

その当時使用された機関車はイギリス製のタンク機関車でしたが、C11形タンク機関車は1932年(昭和7年)~1946年(昭和21年)にかけて381両も製造された国産の代表的タンク機関車です。これはC10形を改良したものであり、近郊線および支線、短距離列車の運行用機関車として重用されました。C11形タンク機関車は1943年(昭和18年)頃には11両が製造されていましたが、この11両は片町~木津間の貨物列車および四条畷~木津間の客車列車として活躍しました。

 

京田辺駅前のC11形タンク機関車動輪(2019年5月)

 

1951年(昭和26年)に客車列車はディーゼルカーに取って代わられることになりますが、C11形タンク機関車は1972年(昭和47年)まで貨物列車を牽いて活躍しました。田辺駅(現在の京田辺駅)は1997年(平成9年)に京田辺駅と改称されましたが、現在では前にこの機関車の動輪と番号札が保存展示されています。


下狛駅

近鉄京都線狛田駅の改札口は駅の西側にありますが、これを出て徒歩5分とかからずJRの下狛に到着します。

下狛駅入口(2018年10月)

下狛駅は1952年(昭和27年)に祝園(ほうその)駅~田辺駅(現在の京田辺駅)間に新設開業しています。

下狛駅ホーム(2017年4月)

下狛駅は無人駅となっています。

下狛駅ホーム(2017年4月)