常磐線[JR東日本]/地下鉄千代田線[東京メトロ]

投稿者: | 2019-02-11

常磐線

常磐線は、日暮里~岩沼間343.7キロ(日暮里—三河島—南千住—北千住—綾瀬—亀有—金町—松戸—北松戸—馬橋—新松戸—北小金—南柏—柏—北柏—我孫子—天王台—取手—藤代—龍ケ崎市—牛久—ひたち野うしく—荒川沖—土浦—神立—高浜—石岡—羽鳥—岩間—友部—内原—赤塚—偕楽園—水戸—勝田—佐和—東海—大甕—常陸多賀—日立—小木津—十王—高萩—南中郷—磯原—大津港—勿来—植田—泉—湯本—内郷—いわき—草野—四ツ倉—久ノ浜—末続—広野—Jヴィレッジ—木戸—竜田—富岡—夜ノ森—大野—双葉—浪江—桃内—小高—磐城太田—原ノ町—鹿島—日立木—相馬—駒ヶ嶺—新地—坂元—山下—浜吉田—亘理—逢隈—岩沼)を結ぶJR東日本の路線です。

金町駅付近を走行する常磐線特急(2023年7月)

常磐線は列車運行上、東北本線に所属する上野~日暮里間と岩沼~仙台間を含めた上野~仙台間363.5キロを走ります。また、2015年(平成27年)に開業した上野~東京間と上野~品川間(上野東京ラインとして運行される区間)を含めて「常磐線」と呼ぶ場合もあります。

常磐線直通列車「上野東京ライン」(2019年1月)

上野東京ラインの開業により、宇都宮線,高崎線,常磐線が上野東京ラインを経由して東海道本線へと相互直通運転をしています。また、常磐線特急は上野東京ラインの開業により品川発着による運行となりました。

秋葉原駅付近を走行する東海道本線へ向かう列車(2020年7月)


常磐線の歴史

水戸鉄道は1889年(明治22年)、水戸~小山間を開業しました。このとき、現在の常磐線内の駅となる水戸駅,内原駅が開業しています。その後、水戸~小山間は1892年(明治25年)に水戸鉄道から日本鉄道へと譲渡され、この区間は日本鉄道の支線(現在の水戸線)となりました。

岩瀬駅を出発する水戸線「小山行き」(2020年2月)

日本鉄道は1895年(明治28年)に水戸線の友部駅を開業後、土浦~友部間を開通させ、土浦駅,神立駅,高浜駅,石岡駅,岩間駅を開業しています。

常磐線特急「ときわ」特急券(2019年12月)

 1896年(明治29年)には土浦~田端間を開通させ、南千住駅,北千住駅,松戸駅,柏駅,我孫子駅,取手駅,藤代駅,牛久駅,荒川沖駅を開業しています。

取手駅始発「上野行き」(2021年5月)

その後、水戸駅から北の区間も徐々に延伸し、1898年(明治31年)には中村(現在の相馬)~岩沼間を開業し、常磐線は全通となります。1905年(明治38年)になると日暮里~三河島間が開業して、現在の常磐線と同じルートになっています。

上野東京ライン(東京駅)の足元案内表示(2017年8月)


常磐線の復活

常磐線は、2011年(平成23年)の東日本大震災により大きな被害を受け、一部区間で不通が続いていましたが、2020年(令和2年)に約9年ぶりに運行を再開しました。

品川駅に停車する常磐線特急「ときわ」(2019年1月)

不通区間の中でも、富岡~浪江間は福島第一原子力発電所の事故によって多大なる影響を受け、最後まで不通となっていました。不通となっていた期間は、富岡~浪江・原ノ町間においては列車代行バスが運行されていました。

竜田駅に停車する列車代行バス(2017年1月)

このとき久しぶりの運転再開にあたり、普通列車11往復に加えて、特急「ひたち」が品川・上野~仙台間を3往復することになりました。

「仙台行き」の表示が見える東京駅の表示板(2020年3月)


常磐線特急「ひたち」「ときわ」

常磐線特急は、これまで速達型が「スーパーひたち」、停車型が「フレッシュひたち」として運転されてきましたが、上野東京ライン開業後、速達型が「ひたち」、停車型が「ときわ」として運行されるようになりました。

品川駅に停車する「ときわ64号」(2019年1月)

列車名としての「ときわ」は久しぶりの復活ということになりました。「ときわ」の名は1955年(昭和30年)に上野~水戸間を運行する快速列車に遡ります。

品川駅の常磐線ホーム階段(2019年1月)

「ときわ」は、1958年(昭和33年)には準急列車に昇格し、運転区間を上野~平(現在のいわき)間に延長し、1966年(昭和41年)には急行列車への昇格を果たします。

品川駅に停車する特急「ときわ」(2016年12月)

ところが、1969年(昭和44年)より上野~平(現在のいわき)間を運行するようになった特急「ひたち」(季節列車)がその後、徐々に運行本数を増やして成長し、1985年(昭和60年)に急行「ときわ」は特急「ひたち」に吸収される形で、定期列車としての運行を終了し、消滅しました。

特急ひたち「仙台行き」(2020年3月)


常磐線の車両

特急「ひたち」および特急「ときわ」はE657系にて運行されています。E657系はJR東日本の交直流特急型車両であり、2012年(平成24年)に営業運転を開始しています。常磐線特急651系およびE653系の置換用として投入されています。

常磐線特急として運行されるE657系(2019年1月)

常磐線を走るE531系はJR東日本の交直流一般形電車であり、403系および415系の老朽化にともない、その置換用として投入されたものです。常磐線と競合するつくばエクスプレスへの対策として運転速度性能を向上しています。

竜田駅に停車するE531系(2017年1月)

701系はJR東日本の交流用電車であり、1992年(平成4年)に登場しています。常磐線の他、東北本線,奥羽本線,羽越本線,津軽線,田沢湖線,仙山線,IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道でも見ることができます。仙台周辺および福島県におけるラインカラーは赤と緑が配されています。

常磐線「浪江行き」(2017年8月)


 


北千住駅

東京都足立区にある北千住駅は、今では常磐線,地下鉄千代田線・日比谷線伊勢崎線(東武スカイツリーライン),つくばエクスプレス線が乗り入れるターミナルとなっています。

つくばエクスプレス線北千住駅(2022年6月)

このうち、千代田線は常磐線(各駅停車)と小田急線との直通運転、伊勢崎線日比谷線に加えて半蔵門線東急田園都市線との直通運転を実施しています。さまざまな路線が交差する北千住駅の毎日の乗降客数はきわめて多くなっており、世界有数のターミナル駅といえます。

JR北千住駅行先表示板(2017年8月)

さて、千住宿(せんじゅしゅく)はかつて奥州街道および日光街道の最初の宿駅でしたが、東照宮の社殿が建立されて以来、人馬の中継駅として、また大名たちによる日光参詣への道の宿場町として繁栄してきました。日光といえば、2代将軍・徳川秀忠により久能山(静岡県)に神葬されていた徳川家康は1617年(元和3年)、日光に移され祀られました。その後、3代将軍・徳川家光により現在のおもな社殿が建て替えられ、1645年(正保2年)に宮号を賜って「東照宮」と称されるようになりました。

千代田線・常磐線(各駅停車)北千住駅駅名標(2022年6月)

その江戸時代、1689年(元禄2年)に松尾芭蕉はこの地から「奥の細道」へと旅立っていきました。松尾芭蕉の『奥の細道』の序文は「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」の冒頭文ではじまりますが、次の旅立ちの場面には「千じゅといふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思い胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ」とあり、「千じゅ」(千住)の文字が見えます。

東武線ホーム2階にある「松尾芭蕉旅立ちの地」の看板(2022年1月)

明治時代になると、千住は隅田川に架かる千住大橋を境として、北と南に分かれるようになりました。千住大橋の北側に北千住駅ができたのは1896年(明治29年)のことでした。それは現在の常磐線(快速線)の前身となる日本鉄道土浦線の駅として誕生したものです。

常磐線(快速線)北千住駅(2022年5月)

その3年後の1899年(明治32年)には、伊勢崎線の北千住~久喜間が開通し、北千住駅は乗換駅となりました。1906年(明治39年)になると日本鉄道土浦線は国有化され、1909年(明治42年)に「常磐線」となりました。その後、1962年(昭和37年)には日比谷線の駅、1969年(昭和44年)には千代田線の駅が開業します。

北千住駅を出発する東武鉄道「特急リバティ」(2022年6月)

2019年(平成31年)に公開された映画『クレヨンしんちゃん新婚旅行ハリケーン~失われたひろし~」の主題歌となる「ハルノヒ」(あいみょん)では「北千住駅のプラットホーム 銀色の改札」とうたわれます。北千住駅は、後にしんちゃんの父となる「ひろし」が「みさえ」にプロポーズした場所だそうです。

東武北千住駅2階ホーム(2022年9月)

ひろしがみさえにプロポーズをしたと思われる昭和時代の終わりの頃の北千住駅は、平成時代に入ってから行われる大改装を体験しておらず、プロポーズをしたのはかつての北千住駅だったと想像できます。

北千住駅3階ホーム駅名標(2021年6月)

1990年(平成2年)の伊勢崎線日比谷線ホームを拡幅工事を皮切りとして大改装がはじまり、1997年(平成9年)に駅改良工事が完了し、現在のような駅構造となりました。1階は伊勢崎線専用で1番線~4番線と特急専用ホームが設けられており、3階は日比谷線および日比谷線から直通する伊勢崎線の各駅停車用で5番線~7番線が設けられています。

東武線1階ホーム北千住駅(2022年3月)

2階には改札口とショッピングゾーンがあり、常磐線(快速線)と2005年(平成17年)に開業したつくばエクスプレス線への乗換口となっています。

つくばエクスプレス線北千住駅(2022年11月)


 


金町駅

金町駅(2021年9月)


我孫子駅

我孫子駅(2021年6月)

成田線(2021年6月)


取手駅

取手駅(2021年6月)

取手駅始発「上野行き」(2021年5月)


土浦駅

土浦駅は1895年(明治28年)、日本鉄道土浦線の駅として開業しました。その後、日本鉄道が国有化されて官設鉄道の駅となりました。1918年(大正7年)、筑波線(土浦~筑波間)が開業して乗換駅となりました。筑波線は1987年(昭和62年)に廃止となり、現在は常磐線の駅となりました。

土浦駅駅名標(2023年2月)

この土浦駅から徒歩15分の場所にはかつて土浦城がありました。

本丸跡(2021年4月)

土浦城は江戸時代に築かれましたが、堀に映る本丸の姿が亀の姿に似ていたことから「亀城(きじょう)」ともよばれています。

江戸時代の土浦城(2021年4月)

土浦城は平城(ひらじろ)であり、幾重にもめぐらされた堀を固めとする水城(みずじろ)でした。

史跡「土浦城址及び櫓門」の碑(2021年4月)

本丸,二の丸を中心とし、三の丸,外丸,武家屋敷,町屋がありました。北門,南門,西門をつなげる堀で囲む総構えとなっていました。

二の丸跡の碑(2021年4月)

現在では、本丸と二の丸の一部を公園として整備し、現在では「亀城公園」となっています。

土浦城址「亀城公園」(2021年4月)

土浦城の城主となったのは、戦国時代は若泉氏,信太氏,菅谷氏,織豊時代は結城氏、江戸時代前期は松平(藤井)氏,西尾氏,朽木氏,江戸時代中期以降は土屋氏でした。明治時代以降、その本丸は土浦県庁,新治県庁,新治郡役所などとして使われてきました。

土浦城址「亀城公園」(2021年4月)

亀城公園内にある現存する櫓門(やぐらもん)は1952年(昭和27年)に茨城県指定史跡第1号なりました。櫓門は1656年(明暦2年)に改築されたものであり、本丸にある江戸時代の櫓門としては関東地方唯一の遺構となっています。

櫓門(2021年4月)

その他に江戸時代の建築物としては、裏門の霞門,二の丸と外丸の間に移設された旧前川門(高麗門)があります。

霞門(2021年4月)

東櫓と西櫓は復元された建築物であり、これらは西尾氏の時代に本丸土塁の上に建築されたものとされます。

東櫓(2021年4月)

明治時代以降、多くの建築物が火災,移築,取り壊しなどにより消失し、本丸には櫓門,霞門,西櫓を残すのみとなってしまいました。このうち、西櫓も老朽化および台風の影響により取り壊しを余儀なくされました。現存する西櫓は1991年(平成3年)に復元されたものです。

西櫓(2021年4月)


石岡駅

石岡のまちには大化の改新の頃から人々が往来し、奈良時代には常陸国の国府が置かれました。『常陸国風土記』は713年(和銅6年)の詔により国司が常陸国の風土について記したものですが、現存する風土記は『常陸国風土記』の他、播磨,出雲,豊後,肥前の5か国のものだけです。

茨城県フラワーパーク「花束のオブジェ」(2020年1月)

常陸国風土記』は養老年間(717年~724年)に完成したとされますが、この編者としては当時、常陸国の国司として中央政府から派遣されていた藤原宇合(うまかい)と考えられています。藤原宇合は藤原不比等の子であり、大化の改新の中心人物となった中臣鎌足の孫にあたります。常陸国府跡は平成時代の発掘調査により発見され、現在の石岡小学校の敷地内にあります。石岡小学校から東へ1キロほどの場所に石岡駅があります。

茨城県フラワーパーク「イルミネーション」(2020年1月)

石岡駅の歴史をみると、1895年(明治28年)に日本鉄道の駅として開業し、その後国鉄の駅となりました。1924年(大正13年)には鹿島参宮鉄道(後の鹿島鉄道線の石岡~常陸小川間が開業し、石岡駅は乗換駅となりました。現在の石岡駅は1面1線をもつ単式ホームと1面2線をもつ島式ホームとなっていますが、かつて乗り入れていた鹿島鉄道線は2007年(平成19年)にすでに廃止となっています。

品川駅に停車する常磐線の車両(2019年1月)

石岡市にある茨城県フラワーパークは約30ヘクタールもの広大な面積をもつ花と緑の公園です。広大な敷地内にはバラテラス,品種園,ボタン園,シャガ園,アジサイ園,やまゆり園,ダリア園,福寿草園などがあります。

茨城県フラワーパーク(2020年1月)

花が少ない冬季にはイルミネーションの企画などもあり、最近では「恋人の聖地」などともよばれることがあります。

茨城県フラワーパーク「イルミネーションの入園券」(2020年1月)

都心部のスポットと比べると来園者もそんなに多くないので、ゆっくりとイルミネーションを楽しむことができます。園内の中央には「きらめくブーケの園」のエリアがあり、ブルーに輝くビックアーチが印象的です。ビックアーチの周辺はまるで光の海のようです。

きらめくブーケの園(2020年1月)

「冬の天の川」のエリアは約100メートルの光のトンネルがあり、中央の花束のオブジェと記念撮影ができるようになっています。

光のトンネル(2020年1月)

茨城県フラワーパークへは石岡駅よりフラワーパーク経由の柿岡車庫行きの関鉄グリーンバス(石岡駅関鉄グリーンバス1番のりば)に乗車し、約30分で到着します。車の場合は常磐自動車道の千代田石岡ICまたは石岡小美玉スマートICより約20分、土浦北ICより約15分、北関東自動車道の笠間西ICより約25分で到着します。敷地内には約900台を駐車できる無料駐車場があります。

駐車場と周辺の自然豊かな風景(2020年1月)


羽鳥駅

羽鳥駅(2022年2月)


偕楽園駅

偕楽園の最寄り駅となるのは常磐線の偕楽園駅ですが、偕楽園駅は臨時駅なのでイベント「水戸梅まつり」の期間中のみの停車となります。

品川駅に停車する特急「ときわ」(2019年1月)

普通列車だけではなく、常磐線特急「ひたち」「ときわ」も停車しますが、下り方面行きしかホームがありませんので、東京方面への上り方面行き列車は停車することができません。

偕楽園駅駅名標(2021年2月)

偕楽園駅を出れば、偕楽園は目の前にあります。

偕楽園駅(2022年2月)

お隣りの水戸駅からは、茨城交通(水戸駅北口4番バスのりば)や関東鉄道(水戸駅北口6番バスのりば)の路線バスが運行されています。茨城交通のバス停は常磐神社の近く、関東鉄道のバス停は偕楽園駅の近くとなります。いずれも「水戸梅まつり」の期間中は増便されます。

ライトアップされた園内から見上げる月(2022年2月)

「偕楽園(かいらくえん)」の名には、「民ととも(偕)に楽しむ場所」という徳川斉昭(なりあき)の思いが込められているといいます。徳川斉昭は第9代水戸藩主であり、「日本三名園」の一つとなる「偕楽園」を造園した人物です。同じく徳川斉昭が創設した水戸藩の藩校「弘道館」が修業の場であるのに対して、偕楽園は修業の合間に心身を休める場として作られ、相互に補完し合う一対の教育施設となっています。

好文亭(2022年2月)

「日本三名園」のうち、兼六園(金沢)はその前身となる「蓮池庭」が1676年(延宝4年)が作られ、後楽園(岡山)は1700年(元禄13年)に「御後園」として完成し、水戸の偕楽園は1842年(天保13年)に造園されました。

ライトアップされる園内の木々(2022年2月)

偕楽園は明治時代に入った後、1873年(明治6年)に「常磐公園」と称され、茨城県が管理することになりました。1874年(明治7年)には園内に常磐神社が建立されます。1932年(昭和7年)になると「偕楽園」に名称を変更しますが、1948年(昭和23年)に「偕楽園公園」となり、1957年(昭和32年)に三度「偕楽園」と称することになりました。

ライトアップされる園内の木々(2022年2月)

2015年(平成27年)には「近世日本の教育遺産群―学ぶ心・礼節の本源―」として日本遺産に認定されました。そして、2022年(令和4年)には開園から数えて180周年を迎えることになりました。

ライトアップされる園内の小径(2022年2月)

偕楽園では毎年「水戸梅まつり」が開催されます。2022年(令和4年)の梅まつりは「第126回」となり、その歴史は120年を越えるイベントとなっています。庭園内には約100品種、3000本の梅が植えられていて、全国的にも梅の名所として知られています。また、園内には好文亭とよばれる建物がありますが、「好文」は梅の異名となります。好文亭は1945年(昭和20年)に空襲により全焼してしまい、現存する建物は昭和30年代前半に復元されたものです。

好文亭(2022年2月)

2022年(令和4年)には、偕楽園開園180年を記念してチームラボによる「偕楽園光の祭」が開催されました。

チームラボによる演出される幻想的な空間(2022年2月)

チームラボはデジタルテクノロジーを用いて、自然を壊すことなくアート空間をつくるというアートプロジェクトを行っています。昼間の偕楽園とは異なる幻想的な偕楽園が演出されています。

チームラボによる演出される幻想的な空間(2022年2月)


いわき駅

いわき駅は1994年(平成6年)に平(たいら)駅より改称されたものですが、もともと平駅としての開業は1897年(明治30年)に遡ります。平は、平安時代末期から戦国時代までは岩城氏の本拠地として栄え、江戸時代には磐城平藩の城下町として栄えました。明治時代になると東北地方の工業地帯の中心都市として発展し、現在においてもいわき市の中心として最大の商業地域として栄えています。

東京駅に停車する特急「ひたち」(2020年3月)

平町は1937年(昭和12年)に平市となり、1966年(昭和41年)に平市の他13市町村と大合併していわき市が誕生しました。当時、いわき市の面積は日本一となり「日本一広い市」として全国に存在感を示しました。2003年(平成15年)にその面積は静岡市に抜かれて「日本一広い市」ではなくなり、その後もその順位を大きく下げることになりましたが、現在でも仙台市に次いで東北地方で2番目に人口の多い都市としてその名を知られています。

特急ひたち19号「仙台行き」(2020年3月)

いわき市誕生にともなってその駅名を改称しようとする動きもありましたが、しばらくは「平駅」と名乗り続けることになりました。その間も「平」の名は常磐線特急の行先として東京でもよく知られる名前であり続けましたが、いわき市誕生から28年後の1994年(昭和41年)にようやく「いわき駅」へと改称することになります。

常磐線特急の車内(2020年3月)


Jヴィレッジ駅

Jヴィレッジ駅は2019年(平成31年)、広野~木戸間に平成時代最後の新駅(臨時駅)として開業しました。「Jヴィレッジ」の名は1997年(平成9年)に開設されたスポーツ施設の名称であり、2011年(平成23年)の東日本大震災による福島原発事故における廃炉作業の対応拠点として使用されていました。2020年(令和2年)に臨時駅から常設駅に昇格しています。

竜田駅に停車する列車代行バス(2017年1月)


千代田線

千代田線(代々木上原—代々木公園—明治神宮前<原宿>—表参道—乃木坂—赤坂—国会議事堂前—霞ケ関—日比谷—二重橋前<丸の内>—大手町—新御茶ノ水—湯島—根津—千駄木—西日暮里—町屋—北千住—綾瀬—北綾瀬)


新御茶ノ水駅

新御茶ノ水駅(2022年6月)


西日暮里駅

西日暮里駅(2021年2月)


綾瀬駅

綾瀬駅(2024年6月)