鹿島臨海鉄道の歴史
鹿島臨海鉄道は1969年(昭和44年)に設立された鉄道会社です。1970年(昭和45年)に貨物専用線として鹿島臨港線の北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム)~奥野谷浜間が開業します。
鹿島サッカースタジアム(2020年1月)
その後、北鹿島(現在の鹿島サッカースタジアム)から途中駅の鹿島港南間において一時旅客営業を開始しますが、5年ほどで旅客営業を廃止します。1984年(昭和59年)になると、国鉄鹿島線の水戸~北鹿島間を鹿島臨海鉄道が引き受けることが決まり、さらに1985年(昭和60年)には国鉄鹿島神宮駅(水戸—東水戸—常澄—大洗—涸沼—鹿島旭—徳宿—新鉾田—北浦湖畔—大洋—鹿島灘—鹿島大野—長者ヶ浜潮騒はまなす公園前—荒野台—鹿島スタジアム—鹿島神宮)までの乗り入れを開始します。鹿島神宮駅では鹿島線(鹿島神宮—延方—潮来—十二橋—香取—佐原)に乗り換えることができます。
鹿島線と国道51号線の交差(2020年1月)
また、最近では鹿島臨海鉄道は2016年(平成28年)、新型車両8000形を投入しました。これは1985年(昭和60年)から使用されてきた6000形の老朽化にともない、その置き換え用として新造された車両であり、関東鉄道5000形をベースとしています。そのボディカラーはブルーとブラウン、レッドの3色で塗装されていますが、ブルーは鹿島灘の海と空、ブラウンは砂浜と大地、レッドは地域に支えられ発展していく大洗鹿島線をイメージしています。旅客定員は6000形より15名増え、135名となりました。
大洗駅
大洗駅から南東方向へ徒歩20分ほど行くとめんたいパーク大洗があります。めんたいパーク大洗は明太子の老舗「かねふく」が運営する明太子専門テーマパークです。
めんたいパーク大洗(2020年1月)
テーマパークには明太子工場が併設されており、1日で5トンもの明太子が製造される日もあります。ここでできあがったばかりの新鮮な明太子をテーマパーク内のショップで購入することもできます。また、めんたいパーク大洗の近くには大洗港があり、大洗~苫小牧間を結ぶフェリーが就航しています。
大洗~苫小牧間を結ぶさんふらわあ号(2020年1月)
大洋駅
大洋駅は鉾田市にある鹿島臨海鉄道の駅であり、1985年(昭和60年)に大洗鹿島線開通と同時に開業しました。
大洋駅(2022年2月)
鹿島神宮駅
古くから人々に信仰されてきた鹿島神宮(茨城県鹿嶋市),香取神宮(千葉県香取市),息栖神社(茨城県神栖市)は「東国三社」と総称されます。江戸時代には、伊勢神宮を参拝した関東の人々が「下三宮参り」と称して、これらの三社を参拝する習慣があったといいます。
東国三社息栖神社(2023年12月)
鹿島神宮は鹿島神宮駅から徒歩約10分です。
鹿島神宮駅(2023年3月)
鹿島神宮は紀元前660年(神武天皇元年)に創建されたと伝えられ、東国で最も古い神社です。713年(和銅6年)に出された詔により編纂が開始され、養老年間(717年~724年)に完成したとされる『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』には「香島の宮」と記されています。鹿島神宮は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀る常陸国一之宮であり、現在の社殿,奥宮,楼門はいずれも重要文化財となっています。
拝殿(2023年12月)
鹿島神宮には東西南北に4つの一之鳥居があり、この内側が神域とされています。鹿島神宮の表参道にある二之鳥居をくぐり、さらに参道を進むと楼門が見えます。
鹿島神宮二之鳥居(2023年12月)
楼門は高さ13メートルありますが、1634年(寛永11年)に水戸初代藩主・徳川頼房(水戸光圀の父)により奉納されたものです。
楼門(2020年1月)
重要文化財である朱塗りの楼門をくぐると、右手には本殿,石の間,幣殿,拝殿からなる社殿があります。現在の社殿は徳川2代将軍・徳川秀忠により奉納されたものです。社殿の造営に先んじて、徳川秀忠は1618年(元和4年)に仮殿(かりどの)を奉納しています。
仮殿(2020年1月)
本殿の後ろには御神木となる大きな杉の木があり、御神木の樹齢は1300年以上,高さ43メートル,幹の周囲は12メートルにもなります。こちらは近くで見ることができませんので、楼門近くにある御神木に次ぐ杉の木を見ますと、樹齢は約700年,高さ40メートル,幹の周囲は約6メートルといいます。
大きな杉の木(2020年1月)
さらに、奥参道を進み、さざれ石,鹿園を過ぎると奥宮があります。
奥参道(2023年12月)
奥宮は1605年(慶長10年)に徳川家康が奉納した旧本殿を、後の徳川秀忠の造営の際に移したものです。
奥宮(2023年12月)
奥宮で道は二手に分かれ、右の道を進めば要石があり、左の道を進むと御手洗(みたらい)があります。要石は地表に見える石はそんなに大きくないものの、地中深くまで大きな石が埋まっているものです。この要石が、地震を起こすといわれる鯰の頭をおさえていると古くから伝えられています。水戸光圀は石の大きさを確かめるため、これを掘らせたが、いつまでも経っても石の大きさはわからなかったと言われます。
要石(2023年12月)
塚原卜伝(つかはらぼくでん)は戦国時代の剣の達人ですが、鹿島の地に生まれました。鹿島神宮駅から鹿島神宮へ向かう途上の公園内には塚原卜伝の像があります。16歳になると武者修行のため全国をめぐり、生涯において剣では一度も負けたことがないと伝えられ、将軍・足利義輝を指導しました。塚原卜伝は「鹿島新当流」の開祖であり、これは茨城県の無形文化財に指定されています。
塚原卜伝誕生500年記念像(2023年3月)
息栖神社は、総武線小見川駅より車で約10分となります。江戸時代には、松尾芭蕉らの多くの文人や画家が息栖神社を訪れています。
息栖神社(2023年12月)
江戸時代に入ると、当時東京湾に注いでいた利根川の改修工事が行われ、1654年(承応3年)には江戸への舟運路も成立し、物資の輸送の他、多くの人々が移動するようになりました。河岸(かし)とは、商品や農産物・水産物が集まる川岸に点在する集積地のことですが、息栖神社近くの息栖河岸には東国三社参りの人々に加えて、下利根川地方遊覧の人々も多く訪れています。
社殿(2023年12月)
現在の千葉県印西市にあった木下(きおろし)河岸から出発した遊覧船「木下茶舟」は、江戸時代中期には一日平均約50人を乗せて、利根川を上下したといいます。日本橋小網町より小舟で出発し、徒歩をはさんで、木下河岸より木下茶舟で利根川を下り、東国三社を訪れた人々が多くありました。
御神木(2023年12月)
利根川沿いの一の鳥居の近くには「忍潮井(おしおい)」とよばれる、小さな鳥居が建てられた2つの四角い井戸があります。2つの井戸の中には瓶(かめ)があり、それぞれに「男甕(おがめ)」「女甕(めがめ)」とよばれています。いずれの瓶も194年(仲哀天皇3年)に造られ、千年以上もの間、清水を湧出してきたとされています。海水を押しのけて清水が湧出してきたことから「忍潮井」とよばれるようになりました。
忍潮井(2023年12月)
香取神宮へは成田線佐原駅から車で約10分となります。経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が祀られる香取神宮の創建は紀元前643年(神武天皇18年)と伝えられます。
香取神宮(2023年12月)
香取神宮は下総一の宮であり、伊勢神宮,鹿島神宮とともに明治時代以前に「神宮」の称号を与えられた神社です。その本殿は重要文化財であり、1700年(元禄13年)に徳川綱吉が造営したものです。
本殿/拝殿(2023年12月)
本殿とともに建てられた朱塗りの楼門も重要文化財であり、掲額は東郷平八郎の筆によるものです。
楼門(2023年12月)