筑波山
筑波山は別名「紫峰」ともよばれ、古来「雪の富士、紫の筑波」「西の富士、東の筑波」とも称えられてきた関東の二名山の一つです。
母子島遊水地から見る筑波山(2022年1月)

男体山と女体山の二峰をもち、朝には藍色、昼は緑色、夕方は紫色と一日に何度もその表情を変えます。また、神の住む山として古くから多くの人が信仰の対象とし、男女が歌を詠む歌垣の場所となりました。万葉集にも二十五首の歌が詠まれています。
筑波山中腹から見た風景(2020年8月)

「筑波の道」というのは連歌の異称です。これは、神話に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国遠征の帰途、筑波を過ぎて甲斐に到着した際、「新治(にいはり)筑波(つくは)を過ぎて幾夜か寝つる」と歌ったことに対し、甲斐の老人が「かがなべて夜には九夜(ここのよ)日には十日を」と答えたという昔から伝えられてきた出来事が連歌の初めとされたことによるものです。
母子島遊水地から見る筑波山(2022年1月)

筑波山神社
筑波山は延喜年間(782年~806年)、法相宗の僧である徳一(とくいつ)によって古筑波山寺が建立され、開山したと伝えられています。その後、空海が入山して知足院中禅寺と号しました。筑波山神社はその筑波山にある歴史ある神社です。神話の時代より筑波山神社には、二峰が並ぶ筑波山のその山容から男女二柱の祖神が祀られました。古代、物部氏の一族は筑波国造に命じられ、祭政一致により筑波山神社に奉仕しました。
筑波山神社(2020年8月)

筑波山神社の拝殿は山の中腹にあり、その本殿は男体山と女体山の頂上にあります。したがって、その境内は中腹の拝殿から山頂までを含む約370ヘクタールにもおよぶ広さとなります。
筑波山ケーブルカー・ロープウェイ
筑波山頂ヘはケーブルカーやロープウェイでアクセスすることができます。筑波山ケーブルカーは山麓の宮脇駅と筑波山頂駅を結び、筑波山ロープウェイは筑波スカイラインの終点となるつつじヶ丘駅と女体山駅を結んでいます。
筑波山ケーブルもみじ号(2020年8月)

筑波鉄道筑波線
筑波線は筑波山麓を走る路線であり、かつて土浦~筑波~岩瀬間を結んでいました。筑波線を開業した筑波鉄道は1914年(大正3年)に設立されましたが、それに先立ち1911年(明治44年)に土浦~岩瀬間を結ぶ軽便鉄道の免許を取得しています。
筑波山麓(旧上大島駅付近)の町並み(2017年8月)

軽便鉄道とは、一般的な鉄道よりも線路の幅が狭く、小型の車両を使用するような鉄道をさします。かつてはわが国にも、主要駅と小さな集落を結ぶ軽便鉄道が数多く存在しました。大正時代には100路線ほど、昭和30年代にも60路線ほど存在しましたが、昭和50年代までにはそのほとんどが廃線となりました。
旧筑波駅ホーム(2017年8月)

軽便鉄道は自動車の普及していなかった時代に荷物の運搬用などとして設置されたものです。普通の鉄道に比べるとレール軌間が狭く、簡易的な鉄道といえます。工事用軌道,森林鉄道,炭鉱鉄道などがその一例となります。
筑波山麓(旧上大島駅付近)の町並み(2017年8月)

軌間とは、2本のレールにおいて1本のレールともう1本のレールの間のことをさし、レールゲージともいいます。世界的には標準軌間は1,435ミリとなっており、これより広い場合を広軌、狭い場合を狭軌としています。日本の場合は明治時代に1,067ミリが標準軌間とされましたので、これより狭い場合を狭軌とよんでいます。
筑波鉄道の旧筑波駅ホーム(2017年8月)

筑波線の当初の計画は、真壁を経由して下館へ至る計画でしたが、岩瀬へ至る路線へと変更され、1918年(大正7年)に土浦~筑波~真壁~岩瀬間が開業しました。
筑波駅跡(2017年8月)

筑波鉄道は1945年(昭和20年)、現在の常総線となる路線をかつて運行していた常総鉄道と合併して常総筑波鉄道となります。さらに、1965年(昭和40年)には常総筑波鉄道が鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道となっています。また、関東鉄道は1979年(昭和54年)に筑波鉄道を設立し、筑波線をこれに譲渡しました。
旧筑波駅ホーム(2017年8月)

そして、1987年(昭和62年)4月1日、国鉄が分割民営化された同日に筑波線全線が廃止となりましたが、この廃止当時の駅数は18駅でした。
旧筑波駅ホーム(2017年8月)

その18駅とは、土浦,新土浦,虫掛,坂田,常陸藤沢,田土部,常陸小田,常陸北条,筑波,上大島,酒寄,紫尾,常陸桃山,真壁,樺穂,東飯田,雨引,岩瀬です。現在では筑波線の廃線跡は自転車道「つくばりんりんロード」として整備されています。
筑波休憩所(旧筑波駅)に立つ案内板(2017年8月)

さらに、この「つくばりんりんロード」(40キロ)に加えて、霞ヶ浦を周回する湖岸道路140キロ(霞ヶ浦湖岸道路)を合わせて「つくば霞ヶ浦りんりんロード」とよんでいます。
筑波駅石碑に記される「つくばりんりんロード」の文字(2017年8月)

真壁駅
真壁駅は1面2線をもつ島式ホームと1面1線をもつ単式ホームからなる地上駅でした。
真壁駅跡(2020年2月)

その名残は今でも真壁駅跡に見ることができます。
島式ホームと単式ホームが見える(2020年2月)

真壁駅の廃止後も「真壁駅」の名はバス停の名(真壁駅停留所)として残りました。当時はつくばセンター方面、岩瀬駅方面,下館駅方面と結ぶ路線バスが発着していましたが、2011年(平成23年)をもってすべての路線バスが廃止され、バス停の名称としても「真壁駅」の名はなくなりました。
真壁の町並み(2020年2月)

この真壁駅跡から東へ徒歩10分ほどの場所には真壁城跡があります。真壁城は、平安時代末から戦国時代にかけて真壁郡の周辺を領有していた真壁氏の居城であり、筑波山より北西にある台地上に築かれた平城(平地に立地している城)です。
真壁城跡石碑(2020年2月)

真壁城には中央の本丸(城の中心となる曲輪=小区画)を同心円状に囲むような二の丸(本丸を守るための曲輪)があり、二の丸の東側に三の郭(中城),四の郭(外曲輪)があります。
真壁城跡本丸の案内板(2020年2月)

真壁城跡は1994年(平成6年)に国史跡の指定を受け、1997年(平成9年)より発掘調査が実施されています。
保存・整備工事の様子(2020年2月)

発掘調査の成果によると、室町時代の後半には方形の館が築かれ、徐々に改築されながら、戦国時代から安土桃山時代にかけて現状のような形になったと考えられています。
真壁城跡石碑(2020年2月)

城内には当時の建物などは残っていませんが、土塁や堀などの痕跡が良好に保存されています。
真壁城跡周辺の様子(2020年2月)

真壁城の遺構が良好に残っている地区は県道41号線より東側にありますが、南北約400メートル,東西約850メートル,国史跡の指定面積は約12.5ヘクタールになります。
真壁城跡周辺の様子(2020年2月)

この地区より西側には城下町が形成されていて、それが現在の真壁の町並みとして残っています。
真壁の町並み(2020年2月)

真壁のひなまつりは2002年(平成14年)、町おこしとしてお雛様を飾るというところからはじまり、翌年には約40軒、現在では約160軒の家々にお雛様が飾られるようになりました。
真壁のひなまつり(2020年2月)

真壁地区は2010年(平成22年)、茨城県初の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、この歴史的な町並みを舞台として毎年開催される真壁のひなまつりは全国的に有名になり、今では観光客も10万人を超えるようになりました。
真壁のひなまつり(2020年2月)

伝統的建造物群保存地区とは、歴史的な景観を形成している地区を伝統的な建造物単体だけではなく、町並み全体を構成する堀や石垣などの工作物、樹木や池などの環境も含めて、一体的に保存する価値が高いと市町村が決定したものです。
大正時代のお雛様(2020年2月)

その中でも、特に価値が高いとして国が選定したものが重要伝統的建造物群保存地区です。
伝統的建造物群保存地区の案内板(2020年2月)

真壁にはこの保存地区を中心として100棟を超える登録文化財があります。
登録有形文化財「旧真壁郵便局」(2020年2月)

江戸時代から明治時代にかけての土蔵や見世蔵、大正時代から昭和時代にかけての町屋や洋風建築などが残っています。
登録有形文化財「店舗及び主屋」(2020年2月)

真壁地区の中心的な役割を果たすのが2011年(平成23年)に完成した真壁伝承館であり、この場所には江戸時代に真壁陣屋(江戸時代の役所)、明治時代には真壁支庁、その後真壁町役場があったところです。
真壁伝承館(2020年2月)

真壁伝承館が建設される際には真壁陣屋跡の発掘調査が実施され、数多くの遺構や出土品が発見されました。
登録有形文化財「土蔵」(2020年2月)

こうした貴重な資料は真壁伝承館の歴史資料館で見ることができます。
登録有形文化財「長屋門土蔵」(2020年2月)
